第161話 悲しみの残留

 鶫が子供二人を作戦本部に連れ帰った後、子供やローブの扱いなどの話し合いでイギリス滞在期間が一週間も延長された。


 ……こんなに面倒なことになるなら、存在を隠したまま日本に連れて行ってしまえばよかったのに、と思わなくもないが、流石にそれは人道的にしてはいけないことだろう。


 特に葉隠桜はローブの効果――隠匿の術を見破れるという理由で、話し合いが終わるまで返してもらえなかったのだ。……いくら仕方が無いこととはいえ、人の貴重な夏休みを何だと思っているのだろうか。


 ちなみに遠野も鈴城も風車もとっくに帰宅済みである。あまりにも惨い仕打ちだった。

 だが不幸中の幸いか、千鳥も同じように子供の姿を認識できたため、葉隠桜同様に日本に帰れなかったので、鶫の不在は千鳥にはバレずに済んだ。

 もしかしたら遠野辺りが手を回してくれたのかもしれないが、本当にギリギリの采配である。


 まあもしそのまま日本に戻っていたとしても、それはそれで大変だったかもしれない。

 ――魔獣が川に落ちたあのシーンが、お茶の間に流れたからだ。


 鶫としてはその瞬間「あ、ついに見られたか。やっぱりイメージダウンとかするのかな?」程度にしか考えていなかったのだが、そんな単純な問題ではなかったらしい。


 暴食の口が魔獣を捕食した瞬間、鶫は境界からズレた場所にいた。するとどうなるか――そう、普通の人間には川に落ちた瞬間に魔獣が消えた・・・ようにしか見えなかったのだ。

 けれど一部の人間――事故や病気などによって生死の境を彷徨ったことのある人間には、はっきりと魔獣を喰らう獣の口が見える。ちなみに撮影担当の風車は見えない側だったので、無修正での公開である。ある種のホラー動画の完成だった。


 掲示板やSNS界隈では見える派と見えない派で大荒れのようなので、日本に帰ったら説明を求められるかもしれない。それに関しては遺物アーティファクトの効果の開示も関係してくるので、政府との調整も必要だろう。……それを考えると、ただただ憂鬱だった。


 まあそんな些細な出来事は置いておいて、イギリスでの話に戻る。


 保護された子供二人――アーサーとケイの兄弟に詳しく話を聞いたところ、様々なことが分かった。

 彼らはこのロンドンで生まれ育ち両親と四人で暮らしていたが、ドラゴンの襲撃により家が焼け、その後勃発した被災者たちの物資を奪い合う暴動によって両親が亡くなり、暴動から逃げるように路地に身を隠していたらしい。

 そして兄弟二人きりで大人を避けるようにさまよっていたところ、背の低い老人に林檎の刺繍が入った白い布を手渡されたそうだ。


 その老人は「このローブを羽織っている間、君たちは誰にも見つかることはない」と言い残し去っていったらしい。

 大人に捕まることを恐怖していた兄弟は、その不審な老人の言っていたことを素直に信じた。その頃は武装した軍人も避難指示のため歩き回っており、兄弟としては藁にもすがりたい気持ちだったのかもしれない。


 だがそのローブは一つしかなかったので、半分に裂き二人分けて使用する事にしたそうだ。そのせいか、隠匿の効果は二人が一緒にいる時にしか使えないとのことだった。


 二人の兄弟はその後も大人や軍から逃げ、ずるずると誰もいないロンドンに留まり続けた。ただ単純に大人が怖かったのか、生まれ育った場所から離れたくなかったのか、本当のところはどうか分からない。

 そうしてついに食べ物も見つからなくなり、フラフラと川まで歩いてきたところを、黒い服を着た東洋人――葉隠桜に見つかったらしい。その後の展開はもう分っているので省略する。


 二人を保護した当初消える子供の存在を訝しむイギリス側に対し、山吹に指示されて鶫が子供のローブを剥いだところ、急に目の前に現れた子供たちに厳つい大人たちが悲鳴を上げるという事件があったが、それは別にどうでもいいことだ。


 ちなみに話し合いは揉めに揉めた。まあそれも当然である。


 戦闘力は無いものの、日本の戦闘兵器である魔法少女をけん制できるクラスの遺物アーティファクト。使い方によっては、各国の要人も容易く暗殺できるのだ。誰も権利を譲るはずがない。

 強いて言うならアーサーとケイのセットでしか運用できないのは弱点だが、それでもその有効性は高い。

 ……もしこれが誰にでも使用できたとしたら、それこそ血で血を洗う争いになっていたかもしれない。


 しかも子供二人の戸籍を辿ったところ、二人の親族は皆亡くなっており、間の悪いことに二人がイギリス国教会ではなくカトリックの洗礼を受けていたことが発覚したため、図々しくもバチカンが子供の引取りを主張してきたのだ。もうこうなってしまえばまともな話し合いなんて出来ない。


 それでも何とか各々の立場に折り合いを付け、一時的にローブの契約者である子供二人の身柄はイギリスへ、ローブの片方を日本、もう片方をバチカンに保管することになった。その際に色々な政治的やり取りが起こったそうだが、鶫にはさっぱりだったのであまり詳しくは聞いていない。


 また近いうちに本格的な話し合いが開催されると思うが、流石に次回の話し合いには葉隠桜は呼ばれないと思うので、これ以上は気にしないことにした。


「やっと日本に帰れる……」


 鶫が大きなため息を吐いてそう呟くと、目の下に大きな隈を作った山吹が乾いた笑みを浮かべながら口を開いた。


「私たち外交官はまだ仕事が残っているんですけどね。――それはともかく、今回はお疲れ様でした。後のことは大船に乗ったつもりでお任せください。出来る限り日本に利が出るような形で話は勧めますから」


 そう言って山吹――検査と研究の名目でローブの半分の所有権を掴み取った男は笑った。

 これだけ聞くとあまり成果が無いように思えるが、子供二人とローブ二枚が揃わない限り隠匿の術は使用できないので、暗殺の危険を無くしただけでも御の字である。むしろ正当な所有権がないのによく交渉が出来たものだ。


「お疲れ様です。……それにしても、やはり歴史のある国は怖いですね。いくら魔獣の残滓の影響があったとはいえ、あんな遺物アーティファクトが急に出てくるなんて」


「この国は昔から魔術や妖精伝承の多さには定評がありますから。――専門家の話によると、あのローブはイギリス伝承にあるブリテン島13の宝の一つとデザインが酷似しているそうなので、他にも何か出てきてもおかしくはないですね。……ははは、流石にそうなったら過労死する自信がありますけど」


 そう言って遠い目をする山吹に、鶫は目を逸らして曖昧な笑いを返した。

 ……いくら高給取りのエリート職とはいえ、こうして倒れる寸前まで仕事をしなくちゃいけないのを見ていると、政府には絶対に就職したくないなと鶫はしみじみ思った。


「それにしても、妖精があの子たちを遺物の使用者に選んだのは名前のせいかもしれないですね」


「名前ですか?」


「はい。ブリテン島13の宝は、かのアーサー王が所有していた物だそうです。きっとローブを与えた妖精も、かの王と同じ名を持つ少年達の手助けをしてあげたかったのでしょう」


 そう言ってほほ笑む山吹に、鶫は意外そうな目を向けて言った。


「山吹さんって、意外とロマンチストなところがあるんですね」


「普段は合理主義者を気取ってますから。……これでも昔はヒーローを目指していたこともあったんですよ。今となっては良い思い出ですけどね」


 そう苦笑するように告げた山吹に、鶫は日曜劇場のヒーローを思い浮かべた。

 最近は魔法少女に寄せて女の子のヒーロー物の方が多い傾向にあるが、古き良きアクション物などはまだまだ男性が現役だ。山吹の子供時代だと、むしろそちらの方が主流だろう。


 そう考えた鶫は「この人にもそんな可愛らしい時代があったんだな」と思いながら少しだけ微笑ましい気持ちになった。ちょっとだけ親近感を覚えてしまう。

 そして鶫は、まるでそれを感傷のように語る山吹に、ふと思ったことを口に出した。


「私からすれば、そんなにフラフラになるまで頑張って仕事をしてる山吹さんは、十分立派なヒーローに見えますけど」


「――え?」


 鶫の返答に対して不思議そうな顔をした山吹に、鶫は首を傾げながら言葉を続けた。


「だってヒーローっていうのは、大事な何かを守るために戦える人のことですよね? なら国を背負って外国の偉い人たちと戦っている山吹さんは、その、ヒーローと呼んでもいいんじゃないかなって、思いまして」


 そう鶫が言った後、ぽかんとした様子で黙り込んだ山吹に、鶫はまさか何か変なこと言ってしまったのかと少しだけ焦りを感じた。

 気まずくなった鶫は「えっと、そろそろ時間なので荷物をまとめてきますね」と言って話を強制的に打ち切った。


 ……よくよく考えてみれば、相手は海千山千の外交官だ。こんな子供みたいな誉め言葉なんて、きっともう聞き飽きていることだろう。逆に呆れられてしまったかもしれない。そう考えるとなんだか恥ずかしくなってしまった。


 黙っている山吹からそっと目を逸らし、余計なことを言ってしまったなと後悔しながら、鶫は逃げるようにその場を後にしたのだった。





◆ ◆ ◆





 その男――山吹静流しずるは、かつて奇跡のような確率で神に選ばれた、男の魔法少女の適性者だった。過去に契約した神様がそれを人に話すことを禁じたため、その事を知っている人間は山吹本人以外には一人もいない。


 契約した当初は自分が特別な人間だと信じていた山吹だったが、山吹は葉隠桜や雪野雫とは違い、魔法少女としての適性はあっても戦いの才能には恵まれなかった。


 名前と姿を偽り在野の魔法少女として活動を始めた山吹は、早々に壁にぶつかった。

 割り振られたスキルは平凡で、しかも戦闘センスは上位の魔法少女に比べたら圧倒的に劣っていた。

 最終ランクはD級。しかも大怪我を負い、運よく勝てた程度の実力しかなかった。


 六華に選ばれるなど夢のまた夢。それどころか上位の魔法少女に食い込むのすら不可能。そして勝ち目のないC級に挑む勇気もなかった山吹は、早々に夢を諦めた。

 その時山吹は、生まれて初めて深い挫折を味わったのだ。


 魔法少女としての活動期間はたった一年。今となっては覚えている人を探す方が難しいだろう。

 山吹を選んだ神様とは、契約を解除してからは一度も会っていない。少しだけ寂しい気持ちはあるが、期待に応えられなかった以上それも仕方がない事だ。


 だが山吹はそのせいで腐ったりはしなかった。

 挫折した悔しさをバネにするかのように勉強に打ち込み、誰からも羨ましがられるであろう政府のエリートコースを掴み取ったのだ。


 ――山吹は今の自分を誇りに思っている。けれど魔法少女ヒーローとしての挫折は、心の奥に消えないしこりとして残っていた。


「十分ヒーローに見える、か。――まさかかつての目標にそんなことを言われる日が来るとはな」


 山吹はそう呟いて、天井を見つめた。


 ――かつての自分では決して超えられなかった壁を軽々と乗り越えた少女が、今の山吹をヒーローと呼んだ。


 あんなのはただの社交辞令だってことはちゃんと分っている。けれどそんな言葉だけでこんなにも救われた気分になるのは、あまりにも単純すぎやしないだろうか。

 葉隠桜がどんな意図であんな話をしたのかは分からないが、それでも心が軽くなった事だけは確かだった。

 ……思春期のガキじゃあるまいし、と自分に苦笑する。


「……でも、今日は美味い酒が飲めそうだな」


 いつも睡眠薬代わりに煽っていた無駄に高い酒も、今日だけは楽しめるような、そんな気がした。


 ふと、恥ずかしそうに去っていった葉隠桜の後姿を思いだす。上手く反応できずに気まずい思いをさせてしまったのは、少しだけ申し訳なかったかもしれない。


 ――だがそれ以上に、あれは本当に恐ろしい子供だと山吹は思った。


 政府内部からの話だと、葉隠桜は異常なほど職員からの評判がいいと聞いていたが、ここまで・・・・だとは考えもしなかった。


 葉隠桜は、まるで当たり前のように人が望んだ姿や態度で振舞うことが出来る。それも八方美人という訳ではなく、きちんと自分の意見を持ったままに。

 誰にも気取られぬまま、その人にとって好感の持てる位置に陣取り、さらりと心の隙間に入り込む様な言葉を告げる。


 本人としては決して媚びているという様子はなく、本能的に人の機微を読み取り、自分に違和感が出ない程度に無意識に調整をしているのだろう。

 ……天性の素質だとしても、あまりにも手慣れすぎている。捉え方によっては、甘い猛毒のような存在だ。


 ――だが、使い様によってそれは最大の武器にもなる。

 今の状況から考えると、他国との面倒なやり取りはきっと増えていく。場合によっては鎖国が解けるのも時間の問題だろう。そうなると、他国の圧力に負けない振舞いのできる外交官の教育は必須だ。

 だがあの葉隠桜ならば、言葉の壁さえどうにかなれば即戦力としてすぐに動けるだろう。そう考えると、このまま接点を無くすのはあまりにも惜しい。


「魔法少女を引退した後、どうにか外交部こっちに引っ張ってこれないだろうか……」


 本人が聞いたら真っ青な顔をして拒否しそうなことを考えながら、山吹はフッと笑った。

 ――どうやら自分もそれなりに毒が回っていたらしい。


「でも、あの性格だといつ背中から刺されてもおかしくないな。……今度会った時に、一応気を付けるように忠告はしておくか」


 このままだと勘違いして執着する人間も出てきそうだからな、と思いながら山吹は静かに頷いた。


 ――まあ、そんな忠告をしてもすでに鶫の人間関係に関しては色々と手遅れなのは言うまでもない。






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