第160話 月光の献身
鶫たちを乗せた車が走り去っていく様子を眺めながら、シロ――月読は呟くような声で言った。
「ふむ。少々
七瀬鶫は一度内側に招き入れた者をあまり疑わない。本来であればそれは美徳だが、同時に致命的な欠点ともいえる。
あのお人好しな性格でよくぞここまで歪まずに育ってこれたものだと思いながら、月読は続けた。
「あの時ベル殿との繋がりが切れたのは偶然だったが、【暴食】の発動は人為的なものだった。……ふむ、どうやら私が思っていた以上に浸食が進んでいるらしい」
七瀬鶫に巣食う神――ルシファーの分霊は【暴食】のスキルに干渉し、喰らったモノのリソースを掠め取っている。今回に至っては、ベルの目が無いのをいいことに掠め取るどころか全てを飲み込んでみせた。ルシファーと同一視されるサタンを模した魔獣は、さぞ良い糧になったことだろう。
「
そう言って、月読は目を伏せた。
――天照が天より降りて来る前に現世に顕現した、まつろわぬ神々たち。
その殆どは天照の眷属によって排除されたが、中には眷属の目を掻い潜り現世にとどまっている者もいる。月読もその内の一柱だ。
……正確に言えば眷属との戦いになる前に天照に恭順の意を示したので、黙認されている状態ともいえる。その際に権能に枷を付けられなかったのは、単に月読が
土地の補正を含めて考えると、日本において月読は天照に次ぐ力を持つ神だと言っていい。天照本人が出て来るならともかく、月読が本気を出せば眷属程度では相手にならない。そういった事情もあり、無駄な争いを避けたい天照側は月読の存在の黙認を決め込んだのだ。
――月読が何を考えているかなんて、気にもせずに。
そんなことを思い出しながら、月読は悲しげに微笑んだ。
「――思えば姉君はいつも
天照に次ぐ神として生まれた月読は、いつも姉の影に隠れるように密やかに生きてきた。それが姉の心の安寧に繋がると信じていたからだ。
それでも漠然とした寂しさだけはどうしようもなかった。そんな折に現れたのが、莫大な力を秘めた空の裂け目だ。
月読はほんの気まぐれで下界に降り、悪しき化物に破壊される国を見た。それを特に楽しみもせず、悲しみもせず、ただその光景を見続けた。月読にとっては、自分が生まれた国なんてどうでもよかったから。
けれど天照が人々のために再びこの国に君臨するのを見た瞬間――生まれて初めて月読に
――こちらを見て欲しい。笑いかけて欲しい。話しかけて欲しい。それすら許されないのなら、せめて貴女の重荷を代わりに背負いたい。そんな想いが、頭に張り付いて離れなくなったのだ。
「……ああ私だって分かっているとも。今の状態が姉君の本意ではないことくらい。民からの過剰なまでの信仰も、やむを得ない生贄も、数多の神々の管理ですら貴女の望んだモノではなかった」
そう言って月読は静かに目を閉じた。
――父に国を任された責任の重さで潰れそうなくせに、そんな素振りを見せずに堂々としていた姉君。プライドは山のように高いくせに、些細なことで引き籠ってしまうほど繊細だった姉君。いつ同格の
その為になら
下界に降りた月読がまず最初に話を持ち掛けたのは、
幸か不幸か、月読とルシファーの利害は一致していた。
ルシファーは空の裂け目を含む権利と君主の簒奪を、月読は天照を重責から解放することだけを願った。たとえその結果国がどうなろうとも、それは月読の知るところではない。
それからは二柱で――時に人に紛れ、時に他の逃れ者の手を借り、天の裂け目に干渉して情報を抜き取ったり、天照の目を盗みつつ長い時間をかけて計画を進めていった。
……だが、結局計画は失敗した。
境界を司る神を掌握し、魔獣や裂け目から漏れ出る神力に対する実権を握るという段取りまでは良かったのだが、最後の最後に失敗したのだ。
失敗の原因は言わずもがな――ルシファーの
散々裏方で協力してきた月読にとっては、よくも勝手な都合で計画を台無しにしてくれたなという気持ちも大きかったが、それ以上にルシファーの行動に衝撃を受けた。
血の繋がりがあるとはいえ、それは仮初の体の話で、ルシファーとは縁もゆかりもない子供なのに、それでもルシファーはその生贄を救おうとした。
あんな――血も涙もない悪神ですら、
姉から弟に対する
羨ましいような、憎らしいような、そしてどこか救われたような、そんな不可思議な気持ち。水面に映る星についに手が届いたかのような安堵感。やはりどんな形であれ、姉は弟を想っているものなのだと月読は確信した。
だが、結局失敗は失敗だ。天照の限界が迫っている以上、ルシファーの時のようにあまり長い時間は取れない。最悪多少無理をしてでも、天照の位を簒奪すべきだろう。
そう思っていた月読の考えが覆ったのは――逃げ延びた
月の裏側に潜むように、元の人格を保持しつつも境界の神を取り込み、七瀬鶫の魂に巣食う悪魔――ルシファーの残滓。
その力こそは弱っていたものの、月読が計画の続行を決めるには十分だった。
――境界の神の力はすでにこちらの手にある。ならば後は、その力を行使するための新しい器を用意するだけ。
だが新しい器に移すにも、まずはルシファーの力を取り戻さなくてはならない。そう判断した月読は、静かに時を待った。
そして大火災から十年。
ひ弱だった
このままではルシファーが完全回復する前に、器の方が駄目になってしまう。そう判断した月読は七瀬鶫に執着していた悪魔――ベリアルに目を付けた。
ほんの少しだけ力を貸して七瀬鶫の現状を見せてやれば、後はもう転がる石も同然。魂の無い延命よりも意味のある終わりを是とした悪魔は、自ら進んで鶫を手に掛けようとした。それこそが月読の真の狙いだと知らぬままに。
人の器が最も成長するのは、生死の狭間をさまよった時だ。死の淵を這い上がろうとする気概こそが、成長の源となるのだ。
――それにどうせベリアルは七瀬鶫を殺すことはできない。愛情とはこの世で最も制御できない感情だ。それは神であろうと悪魔であろうと変わらない。
殺すか殺さないか迷っている間は、ベリアルが本気を出すことは無いだろう。直接手を下すことが出来ず、遠回りな方法を選ぶ時点でそれは明らかだった。
だが、それでも油断は禁物だ。うっかり鶫が死亡する可能性だってある。
散々利用する気ではいるが、月読にとって鶫はそれこそ生まれる前から見守っていた可愛い幼子である。死んでほしくないと思うくらいには、鶫に情が湧いていた。
もし本当に鶫が死にかけたらこっそり手を貸そう――そう考えていた月読だったが、今のところ計画は順調に進んでいる。……まあ鶫が魔法少女になったのは少々誤算だったが。
鶫の契約神――ベルのせいで監視がしにくくなったため、隙をみて鶫の義理の姉である千鳥に契約を持ち掛けたが、今となってはその選択は勇断だったと言える。彼らとの家族ごっこは、月読にとって中々悪いものではなかったから。
鶫と千鳥。血の繋がりがない弟と姉。けれどその絆は本物だった。……監視というのは建前で、本当は仲の良い姉弟の中に加わりたかっただけなのかもしれない。
けれどそんな情ですら、
それこそが、弟から姉に対する愛の証明だと月読は信じて疑わなかった。
「――あとは
そう言って月読――ルシファーの
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