第159話・妖精の悪戯

 黒い口が完全に竜を飲み込むのを見届け、鶫は座り込んだまま大きくため息を吐いた。

 ……本当に、今回ばかりは駄目かと思った。


 いつも通り奇妙な満腹感を味わいつつ、鶫は気絶した子供たち――獣の口が消えた後にぐったりと意識を失った――をジッと見つめ、ゆっくりと地面に降ろした。あんな光景を見たのだ。気絶してもおかしくはない。


 ……幼い子供を硬い地面に寝かせておくのは少し可哀想かなと思ったが、あまりこの子たちに触れているのは得策ではない。

 そうして鶫が子供から一歩離れると、すぐに効果が表れ始めた。


「やっぱりこの子たちに触れていたことが、能力が使えなかった原因なのか……」


 そう言いつつ、指に絡ませた糸を操る。先ほどの不具合が嘘のように糸が動く。無事能力が使えるようになったことにホッとしつつ、持たされていた端末を使って二人の写真を撮った。画面を確認すると、ちゃんと子供が写っている。

 ……まあ一応写真には写るようなので、神や幽霊の類ではないだろう。


 そして鶫はその写真を作戦本部に送信し、近くの壁に寄りかかりながら考えこむように顎に手をあてた。

 ――これからこの子たちはどうなるのだろうか。

 彼らに触れたら魔法少女としての能力が使えなくなる――それは魔法少女にとっては最大の脅威である。しかもこの子は他国の人間だ。場合によっては、日本の敵になる可能性が極めて高い。


 鶫がそう悩んでいると、ピピッと端末に連絡が入った。


「はい、もしもし」


『こちら山吹です。――葉隠さん。単刀直入にお聞きしますが、今までどちらにいらしていたんですか?』


「え?」


 その後山吹に詳しく話を聞いてみると、どうやら鶫が子供を抱き上げてから下に降ろすまでの間、葉隠桜の生体反応が急に消えてしまい、姿すら見つからなかったらしい。しかも急に川に大穴・・が開き竜の死体が消えたため、現場では大騒ぎだったそうだ。


 もしかしたらこの子供が人から認識されないように、彼らに触れられると同じように認識されなくなるのかもしれない。……なんてヤバい能力なんだ。


 また鶫が送った写真に関しても、子供の姿が見える者は数人しかおらず、それ以外の人間はただの地面の写真に見えたそうだ。ちなみにイギリス側の人員は一人も子供の姿を見ることが出来ず、こちらが質の悪い冗談を言っていると思っているらしい。


 そんな少し怖い話を聞きつつ、鶫が橋の付近に降りてから起こった事や、彼らに触れていると能力を使えなくなる事などを簡単に説明すると、山吹は『では今から車を迎えに行かせます。その際に例の子供たちも一緒に乗せて下さい。十五分ほどその場で待機をお願いします』と言って会話を打ち切った。


 ……どうやら諸々のことは待機場所に戻ってから検討するらしい。

 急に手持無沙汰になった鶫はぼんやりと元に戻った川を眺めながら、ぽつりと呟くように言った。


「……本当に割の合わない仕事だった。やっぱり人の頼みなんて引き受けるもんじゃないな」


 雪野さんにはガツンと文句を言ってやらないと、と決意を新たにしていると、鶫の真後ろから声が聞こえてきた。


「――随分と大変な目にあったみたいだな」


 そんな突然の声に、びくりと肩を揺らしながらバッと振り向く。


「誰だっ!! ……なんだ兄さ……じゃなかった、シロ様か。どうしたんですか、こんなところで」


 そこにいたのは金眼の白兎――千鳥の契約神であるシロだった。千鳥がイギリスにいる以上ここにいてもおかしくはないのだが、まさか話しかけてくるとは思わなかった。


 ――まさか近くに千鳥はいないよな、と思いながら辺りを見渡す。そうしていると、シロがテクテクと鶫の足元に近づき、囁くような声で言った。


「心配せずとも姉君ちどりは来ていないぞ。無論、私の姿も声も他には見えないようにしてある。ふふ、私の妹は心配性で本当に愛らしいな」


「あの、自分は貴方の妹じゃないんですけど」


 ……あの時百歩譲って弟になることは了承したが、断じて妹になるつもりはない。

 鶫が憮然とした様子でそう答えると、シロはむっとしながらふわりとその場に浮き、そのまま鶫の胸元にしがみつく様に抱き着いた。思わずふわふわの毛玉がずり落ちないように慌てて下側を支える。言ってしまえば抱っこの体勢だった。


 どうやら鶫の素っ気ない返答が気に障ったらしい。……もうこれじゃあどっちが弟だか分かんないな。


 そしてシロは満足げに鶫の腕の中に居座りながら、ぐったりと気絶している子供たちを見下ろして感心したように言った。


「――それにしても、よくもまあこんな骨董品が現代まで残っていたな。遺物アーティファクトとしての質も高い。ふむ、最近力を籠めなおしたのだろうか」


「遺物ですか?」


「その布切れから、この土地に根付いている神秘の気配がする。おおかた魔獣の力の余波につられて顕現した妖精かナニカが、昔作った遺物を引っ張り出してきて気まぐれに子供に与えたのだろう」


 妖精――普通の日本人にとって妖精は綺麗で可愛らしいイメージが最初に浮かんでくるが、その実態はかなり悪質なモノも多い。

 外国の書物を好んで集めている千鳥曰く、妖精は土着信仰の神が零落した姿とも言われ、言ってしまえば日本の妖怪の成り立ちとそんなに変わらないらしい。それ故に、人を害する悪辣な逸話もかなり残っている。

 どうして妖精が彼らに姿を消せる不思議な布を与えたのかは分からないが、こうして痩せて薄汚れている子供の現状を考えると、あまり妖精に良い印象は抱けない。


「じゃあ姿が消えたりする不思議な力は、この子たちの能力じゃなくてそのローブの効果なんですね」


 そう言いながら、少しだけホッと胸を撫で下ろした。姿を消したりする力がこのローブによるものなら、いくらでも対処の方法がある。最悪こっそり燃やしてしまえば脅威にはならないだろう。

 こっそりとそんなことを思いつつ、鶫は質問を続けた。


「ローブを与えた妖精は今も彼らの側にいるんですか?」


「もういないぞ。この地に満ちる力はあまりにも弱い。恐らくはこの子供らに隠匿……いや、境界をずらす・・・効果のある布を渡してさっさと消えてしまったのだろう。あれらは基本的に加減を知らないからなぁ。悪気は無かったのだろうが、困ったものだ」


「……なんてはた迷惑な」


 鶫は呆れたようにそう言った。

 こんな幼い子供に良く分からない物を与えておいて、自分はさっさと消えてしまうなんて無責任にも程がある。しっかり契約者の面倒を見てくれるベルを見習うべきだ、と憤慨しながら鶫はシロに質問をした。


「シロ様はこれにどんな効果があるか分かるんですか?」


「うん? まあ見れば大体のことは分かるさ。これは触れている者を疑似的な幽世に引きずり込み、現世から存在を隠す効果を持つ遺物だ。いわゆる透明マントというやつだな」


「ああ、だから他の人には見えないんですね。それにしても、幽世ですか。まるで小規模な結界みたいですね」


 そう言って鶫は納得したように頷いた。

 ずれた次元を作り出すことによって、外界から見えないようにする――つまり魔法少女の結界と似たようなシステムなのだろう。


 だが、どうして鶫は消えた子供のことを見ることが出来たのだろうか。そう疑問に思い、鶫は口を開いた。


「でも、この子のことを見ることが出来る人と出来ない人がいるのは何故ですか? それに、急に力が使えなくなった理由も気になります」


 鶫が不安そうにそう問いかけると、シロはゆっくりとした口調で言った。


「子供らを見ることが出来るのは、単純に死にかけた経験があるか否かだろう。本物の幽世を垣間見た者には、この手の隠匿は効かない。……それとベル殿との繋がりが遮断されたのは、隠匿の効果――境界のずれが発動した際に契約神との距離が開きすぎていたからだろうな。それに加え、ベル殿がこの地を嫌っているのも繋がりが薄くなった原因の一つだろう。かの神は西洋諸国とは極めて相性が悪い。まあ、ベル殿が近い場所にいれば防げた事態だな」


「えっ、そうなんですか?」


 衝撃の事実である。つまり、もしこの場にいたのが他の魔法少女――契約神と一緒に行動している者だったなら、問題なく能力が使えたのだ。

 ……まさかこんなところでベルの謹慎の弊害が出てくるとは思いもしなかった。


 鶫はがっくりと肩を落としながら、力のない声で言った。


「えっと、良く分かりました。能力が使えなくなったのも、ただ単に間が悪かっただけなんですね……。 あれ? それならなんであの時【暴食】のスキルは使用できたんですか?」


 繋がりが一時的に切れた――それならば、何故【暴食】のスキルは発動したのだろうか。

 鶫がそう問いかけると、シロは何ともなさそうな顔でこう答えた。


「恐らくそのスキルが魂に深く結びついていたのだろうな。結界の外で力を使えたのも、疑似的に幽世に近づいたせいで体が『ここは結界の中だ』と勘違いしたのかもしれない。ある意味では、運が良かったのだろう」


「ああ、確かにそれなら筋が通りますね……」


 鶫はふむ、と考え込むように顎に手を当てた。確かにシロの言い分は理にかなっている。

【暴食】と魂の結びつき――自身の一部を贄として捧げた回数なら群を抜いている。契約者の危機にスキルが勝手に発動したとしても、そんなにおかしいことではない。――でも、何故か心に引っかかるものが残るのは何故だろうか。


 釈然としない気持ちは少しあったが、ここでシロが嘘を言う必要は何もない。……きっと死にかけたせいで少し気が立っているのだろう。

 何はともあれ、疑問は解消できたのだ。子供の今後は少し気になるが、これ以上の事は上の連中に任せてしまえばいい。

 そう判断した鶫は、小さく息を吐いてシロを見つめた。


「わざわざ説明をしてくれてありがとうございます。色々と不安だったので助かりました」


 鶫がそう言って頭を下げると、シロは目を細めて笑った。


「ふふ、別に気にせずともよい。保護者ベルがここに来れない以上、兄である私が手助けしてやるのは当たり前のことだ」


 シロはそう答えると、そのままひょいっと鶫の腕の中から飛び降りた。


「さて、私はそろそろ姉君の元へ戻るとしよう。黙って出てきたので今頃心配しているだろうからな」


「……あんまり千鳥に気苦労を掛けないでくださいね。こっちと違って彼女は繊細なんだから」


 鶫がそう告げると、シロは図星を突かれたかのようにぺたりと耳を下げ、空気に溶けるようにしてその場を後にした。……どうやら多少の自覚はあったらしい。


 鶫は肩をすくめて、眠り続ける子供をちらりと見た。恐らくは兄弟なのだろう。顔立ちがよく似ている。

 茶色いローブから零れ落ちた髪はくすんだ金髪で、自分で適当に切ったかのように長さが不揃いだ。体もとても細く、パッと見た限りでは性別すら分からない。


 シロの言った通りこの魔法のローブが偶発的に与えられた物ならば、きっとこの子たち自身に危険性はないだろう。彼らの今後のことは、もう政府に任せてしまった方がいい。

 ――それよりも、昨日アザレアと聖遺物の話をしたのだが、このローブこそがまさにそれに近いかもしれない。

 過去に作られた遺物アーティファクトに顕現した妖精が手を加えた代物――聖遺物のモデルケースとして見るには最適だ。

 ……なんかこれから色々と荒れそうだな、と鶫は思ったが、あとは偉い人が話し合って何とかすればいい。末端の兵士である葉隠桜には、これ以上できることなんて何もないのだから。


 そうしている内に、何かのエンジン音のようなものが耳に届いた。


「――車の音だ」


 どうやらシロと話している間に、随分と時間が過ぎていたらしい。

 ――何はともあれ、これでひと段落付きそうだ。

 そうして鶫は、瓦礫を避けて走って来る車に向けて大きく手を振った。






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