第158話 空腹の川
ちょうど竜がたくさんの銃に取り囲まれていた頃、鶫は少し離れた場所――ピラミッドを上に伸ばしたような形をしている高いビルの上からその光景を眺めていた。
――宙に浮かぶ様々な銃から感じる、明確な『お前を殺す』という意志。そして浄化の炎が込められた聖なる弾丸は、いかなる邪悪を貫通する。これで傷を負わない魔獣はまずいない。
悪意の具現から生まれる魔獣への対抗スキルとしては、これ以上無いほどの性能だ。
そして何よりも、物量に任せた一斉射撃というのは心躍るものがあった。ある意味男の子の憧れである。正直決め手が少ない鶫から見たら羨ましいものがある。やはり戦いは派手な一撃があってこそだろう。
――でも、やっぱり彼女の戦いは以前のA級昇格戦と違って不安なく観戦できるから安心できる。
……だがこうして考えてみると、遠野が十華の序列一位を独占するのは必然だったのかもしれない。
圧倒的な討伐者としての
類まれなる美しい容姿。
天照の巫女という立場。
そして――
どれをとっても一級品だ。そもそも人気が出ないわけがなかった。
そんな風に遠野のことを考えながら、左手上空にいる今にも銃で撃たれそうな竜を見やる。
あの数の銃に撃たれたら、為す術もなく絶命して下に落ちる。それはほぼ確定だ。ただ一つ懸念事項があるとすれば、落ちたその後だろうか。
主にイギリス側からの要請で竜を川の上まで誘導したが、百メートルを超える巨体があの高さから落ちるとなると、流石に下に流れる川にも多少は影響が出てくる。少なくとも、橋や岸辺にある建物を飲み込む程度の波が起こることは間違いないだろう。
……でもまあ近辺の建物の中はびしょ濡れになるだろうけど、きっと壊れるまではいかないだろうしそこまでの問題ではないのかもしれない。
そう思いつつ、銃声の爆音と共に竜が火だるまになっていく姿を見やる。イギリス軍相手には無双した魔獣も、魔法少女の頂点が相手では形無しだ。
……なんか大きな鳥の丸焼きみたいで、見てるとお腹が空いてくるな。昼ご飯はから揚げとかそんなのが食べたい気分だ。
そこまで考えて、鶫は恥ずかしそうに俯いた。いくら魔獣討伐の後とはいえ、すぐに食べ物のことばかり考えてしまうのは、流石の鶫でも恥ずかしいものがあった。
鶫は小さく咳払いをすると、気を紛らわすように周りの景色に目を向けた。後方――鶫から見て右手側に平たいアーチ式の橋が目に留まる。シンプルだがなんとなく歴史がありそうな橋だな、と鶫は何となく思った。
もうすぐあの橋も可哀想なくらい水浸しになるのかな、と思いながら観察していると、橋の近くの路地に、何かが蠢くのが見えた。
「……ん? 風でも吹いたのかな」
そう呟きながらジッと違和感がある場所に目を凝らす。
――すると、茶色のローブのような物を羽織った人影がそこに見えた。
その長いローブを見た瞬間、鶫はイギリスの外交官が話していた『魔女』の噂を思い出した。けれどまじまじとその人影を見つめて、鶫は
「逃げ遅れた、こども?」
そして彼らの周りの建物の高さから推測するに、人影の身長は百センチにも満たない。――つまり、あそこにいるのは幼い子供なのである。
子供はその目に絶望を宿し、震える手を祈る様に握りながらに燃え盛る竜の塊を見上げている。どこからどう見ても、目の前の光景に怯えているようにしか見えない。
――避難の指示はとっくの昔に出ているはずだ。あれくらいの歳の子供は普通親と一緒に避難しているはずだ。それに鶫だって早朝に人が残っていないか確認した。それなのに何故?
遠目から見た子供の身なりはお世辞にも綺麗とは言い難く、手足もやせ細り不健康に見える。
……あまり考えたくないが、避難の際に保護者が子供を置いて逃げたのかもしれない。
何故今まで警察や軍に保護されなかったのかは疑問ではあるが、あのままあの場所に居るのは危険だ。
そう考えながら、鶫は竜を拘束している糸を強化した。せめてあの子供の避難が完了するまでは竜を川に落とすわけにはいかない。
あの高さから竜の巨体が落ちれば、高波が起こる。するとあの子供はどうなるのだろうか?
――そんなこと、考えるまでもない。
「緊急連絡。竜の後方の橋――ええと、ロンドン橋?の北側の路地に逃げ遅れた子供がいます。急いで救出をお願いします」
鶫が端末にそう告げると、困惑した声が耳に飛び込んできた。
『申し訳ありません葉隠さん。チェックの結果、橋の北側の路地に生体反応は見受けられないのですが、本当にそこに人がいるのですか?』
「え? だって今もあそこに見えているのに――」
そう言って子供に向かって思わず指を差したが、ここからの景色が相手に見えるわけもない。
やり取りをしている間にも、時間はただ過ぎていく。……今は何とか糸の強度を引き上げて竜を剣山に刺すように上空に固定しているが、このままだと土台になっているビルの方が先に倒壊してしまう。恐らくはもって数分が限界だろう。
「分かりました。もう時間が無いので私が直接向かってみます」
『ですが、何らかの罠という可能性もあります。私共としては、葉隠さんに無理はしてほしくないのですが……』
オペレーターがそう不安そうに告げる。彼らからしてみれば、確認できない存在のために魔法少女が危険な場所に降りると言い出したのだから、気が気じゃないだろう。
なぜ子供が彼らに見えないのかは分からないが、鶫にはあれが幻覚の類だとは思えなかった。
――少なくとも、このまま確認もせずに何も見なかったことにすれば、確実に心の傷になる。
鶫はそう決意し、静かに言った。
「問題ありません。もし誰もいなかったらすぐに安全域に転移しますから」
鶫が強い口調でそう言うと、オペレーターは不安を押し殺したような声音で静かに許可を告げた。
『……確認次第すぐにお戻りください。どうかお気をつけて』
「はい、承知しています。ああそれと――」
そこで鶫は言葉を区切り、困ったように口を開いた。
「――一緒に逃げようって、英語では何て言えばいいでしょうか?」
◆ ◆ ◆
オペレーターとの会話を終え、鶫はすぐに橋の向こうへと転移した。
――なんだやっぱり居るじゃないか。
そう思いつつ子供の後ろにふわりと降り立つと、怯えられないようにそっと声を掛けた。
「えっと、Let's run away(逃げよう). It's not safe here (ここは危ない)」
オペレーターの人にざっくりと教えてもらった文章をそのまま口にする。発音には自信がないが、何となく伝わればそれで十分だ。
「――!!」
だがいきなり背後から声を掛けられたことに驚いたのか、異国の子供たちは声にならない悲鳴を上げ、震えながら鶫のことを見上げている。……今の服装は軍服みたいな感じだから、少し威圧感があったのかもしれない。
――だが、もう彼らの心情を考慮している余裕がない。時間があれば端末から直接オペレーターに説得してもらったのだが、今は一刻一秒が惜しい。
そう考えた鶫はできるだけ穏やかに見える笑顔を浮かべながら、スッと子供たちに近づいた。
「――――ッ!!」
……恐らくは『来るな』みたいなことを言っているのだろうが、さっぱり分からない。
よくよく近くで子供を見てみると、茶色だと思っていたローブは汚れて茶色に見えるだけで、本当は白色なのだろうと鶫は思った。白い上着がこんな風になるまで、この子は一体何をしていたのだろうか。
ふと子供のローブの両端に何か丸い刺繍のような物があることに気づき、名前でも書いてあるのかと思ったが、今はそんなことを気にしている余裕がない。この子の身元は、保護してからイギリス政府に調べてもらえばいいだろう。
「ごめんね、怖いよね。でも、ここにいると本当に危ないから」
そう言って、二人の子供に手を伸ばす。二人を連れて転移はできないが、糸を使えば十秒もしない内に危険域からは離れられる。
そうして鶫が逃げようとする子供二人を両手で抱え上げたその瞬間――パチンと弾けるような音が耳元で聞こえた。それと同時に、ゾッとするような悪寒が背筋に走る。
――糸が、
手にも足にも巻き付けていたはずの糸の感覚が見当たらない。街中に張り巡らせていた糸の気配すらも消えてしまっている。それどころか、新しく糸を出そうとしても上手く力が使えずにいた。
「そんな、どうして……いや、糸が消えたということはッ――!!」
子供二人を抱えながら、鶫は焦ったように上を見上げた。
――燃える巨体が、墜ちていく。
高さ五百メートルからの物体の落下時間はおよそ十秒。その短い間に能力無しに子供二人を連れて逃げるなんて不可能に等しい。
波に飲み込まれて全身を打ち付けるイメージが鶫の頭に過る。そんな動揺を無理やり抑え、鶫は子供たちをしっかりと抱えなおし少しでも川から離れるように走り出そうとした。
――その刹那、頭の中で声が響いた。
≪ あ れ 、 た べ て も い い ? ≫
ぞわり、と心臓の奥から力が抜けていく。鶫は急な脱力感に耐えられず、思わず膝をついてしまった。
――こんな風に蹲っている場合じゃないのに。そう思うも、腹の中をかき乱すような不快感で体が動かせない。
せめてこの子だけでも助けないと。そう思いながら鶫が必死で立ち上がろうとした瞬間、川にぽっかりと黒い穴が開いた。
「――違う」
――アレは、穴なんかじゃない。
鶫だからこそそれが何なのか分かった。魔法少女になってから今までずっと側にあったもの。
ははっ、と乾いた笑いが喉から漏れる。
――何だよ。ルールを飛び越えてこんな所にまで出てくるなんて、どれだけ
黒い穴なんかじゃない。あれは――ただ
「いいよ、お食べ。それは
川に落ちた竜が、そのまま獣の口の中に飲み込まれていく。なんとも悍ましい光景だ。
そして獣の口はばくりと口を閉じると、波の一つも立てずに消えるように去っていた。
……見る人が見れば、こちらの方が化物に見えるかもしれない。
【暴食】のスキルは結界の中でしか使えない。そういうルールだ。それが何故今になって外で使えるのかは分からないが、今回ばかりは助かったと言ってもいい。食いしん坊もたまには役に立つ。
――この子にも、色々と話を聞かないとな。
鶫は呆然と川を眺める子供の横顔を見つめながら、小さく溜め息を吐いた。
恐らくであるが、糸が切られた原因はきっとこの子供にある。まだまだ日本には帰れそうになかった。
あとがき――――――☆☆☆
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