第157話 天使の輪

 ――一人の侵入者あり。安全圏まで誘導すべし。


 右耳の通信機からそんな指令を受けた鶫は、小さくため息を吐きながらぐるりと周りを見渡した。


「……とりあえず、大本を先に移動させるか」


 各々の首が炎や氷、電撃などを放っているが、まだ首が増えたばかりで統率が取れていないのかどことなく動きがたどたどしい。まだ高ランクの魔獣としては成長途上、といったところか。

 故にその攻撃の範囲外――十キロ程度離れた場所に居れば基本的には安全だ。


 そんなことを思いつつ、四つ首の竜をけん制しつつ、建物が少ない川の方へと竜を誘導する。

 それは別に街に配慮しているわけではなく、ただ単純に人的被害を減らすためだった。

 ……はっきり言って、どんなに気を付けようと人が入り込むことは予想はできいていたからだ。

 

 それに魔獣出現の中心地――シティ・オブ・ロンドンの周りには、地続きでいくつもの都市が並んでいる。

 一応ロンドンの都市全域には避難指示が出ているが、郊外ともなると避難していない人間も少なくない。つまり竜が移動すればするほど、人の命が脅かされる可能性があるのだ。

 そんな状況ではいくらイギリス側が人の立ち入り規制をしようとも、柵も何もないのであれば侵入は容易だ。……魔獣と戦いに来ている身としては、本当に迷惑な話だった。


「まったく、厄介な仕事だよ。雪野さんには後で文句を言わないと」


 鶫はそう愚痴を言いながら、ついッと空いていた手の指を動かした。それに連動して糸がまるで生きているかのように蠢く。


 鶫たちが戦いの前に服用した薬――魔核のエネルギーを抽出した丸薬の効果か、糸の操作性も結界の中での精度とそう変わらない。これなら最低でも半径三十キロくらいまでなら糸も届くだろう。


 そして指を動かしてからわずか数秒ほどで侵入者――恐らくは記者の類だろう男の所在を突き止めた鶫は、その男の手足に細い糸をからみつかせながら、グイッと糸を引っ張る。

 それと同時に、男がたたらを踏むような足取りで魔獣の進行方向と逆の向きに走り始めた。


「後で筋肉痛になると思うけど許してね。流石にそこまで調整はできないから。……まぁ、自業自得だと思うけど」


 その男の動きがあまりにも滑稽だったので、鶫は苦笑するように笑みを浮かべた。


 言ってしまえば、あれは簡易的なマリオネットのようなものだ。絡み付いた糸が足と連動することで、指定した方向へ障害物を避けながら動く命令を組み込んである。


 男は自分の身に何が起こっているのか分からず大声を上げているようだったが、わざわざ男の前に出て説明をしてやる気はない。

 恐らくはスクープ目当ての侵入だろうが、戦いが本格的になれば構っている暇はないのでさっさと逃げて欲しい。


「――竜は北西の方へ移動させるので、その間に男性の回収をお願いします」


 鶫はそう作戦本部に連絡すると、竜へと向き直った。


 ……あの身勝手な侵入者みたいな奴は邪魔だとは思うが、別に鶫は死人が出ていいとまでは思っていない。少なくとも目に見える範囲に人間がいるならば、自分が出来る範囲なら助けるつもりでいた。幸いにも鶫はメインの戦闘担当ではないので、周りを見るくらいの余裕はある。


「もう誰もいないといいんだけど。……流石にこれから先は構っていられないだろうし」


 そう言いながら、鶫はとん、と地面を蹴った。


 ――やはり人の有無を確認するなら、から見た方がいいかもしれない。


 そう考えた鶫は、自らが張り巡らせた糸の上を滑るように移動していき、さも当然のように竜の背中にストンと降り立った。別に転移で移動してもよかったのだが、動いているモノに座標軸を合わせるのは意外と面倒なのである。


 そのまま風を受けながらランウェイを歩くようにくるりと華麗なターンを決めると、鶫は呟くように言った。


「へぇ、これは絶景だね。転移も便利だけど、やっぱり空が飛べる子たちが羨ましいや」


 竜の背から歴史ある街並みを眺め、そんな軽口を叩きながら鶫は静かに笑った。


 一方背中に何かが乗っていることに気付いた竜は、首を動かし後ろを向こうとするが、首を繋ぐように巻き付けられた糸によってそれも叶わない。むしろ各々の首の主張が強すぎて、余計に首の可動域が減っている節がある。まあ、首が多いのも考え物ということだ。


 鶫は竜のゴツゴツとした背中の上を悠然と歩きながら、川の周辺をくまなく確認した。少なくとも、この一キロ圏内に人の気配は感じられない。


「大丈夫そうだし、そろそろいいかな。いい加減すみれさんも暇しているだろうし」


――現在の風は向かい風。この後のことを考えると、その方が都合・・がいい。


 そんなことを考えながら、鶫は最後の仕上げとばかりに大きく腕を振った。


 それと同時にいくつもの大きなビルを経由して作られた蜘蛛の巣が、四つ首の竜を川の真上に縫い留めていく。

 竜は急に身動きの取れなくなった体をよじり、糸の拘束から逃れようとしているが、一向に糸が外れる気配はない。

 まあ竜が暴れて糸が外れるよりも、糸の経由地となっているビルが崩れる方が早いだろうが、それはまた別の話である。


 だがこれで暫くの間、竜はまともに動けない。


「対象を固定。暫定拘束可能時間は三十秒です。――あとはお願いします」


 葉隠桜の任せられた仕事は此処まで。後は真打――遠野すみれの時間である。




◆ ◆ ◆




「さすが桜さん。ピッタリの位置取りね」


 遠野すみれはそう呟きながら、竜が拘束されている付近から一キロほど離れた場所――女王の名を冠する時計塔の上からテムズ川を見つめていた。


 竜の大きさはおよそ百メートル。だがそれも、広大な川の大きさに比べれば随分と小さく見える。

 この程度の魔獣に手こずるなんて外国も可哀想だな、などと考えながら、遠野はスッと銃に模した指を竜に向けた。


 その瞬間、竜の背に乗っていた葉隠桜が大きく手を振ってから、その場から消え去った。恐らくは被害が及ばない場所に移動したのだろう。


「上からの依頼はできるだけ派手に美しく、凄惨かつ豪快に、だったわね。――つまりはいつも通りってことでいいかしら?」


 そう言って遠野はクスリと笑いながら目を細めた。


「でも残念ね。もし今が夜だったなら、私の炎はきっと夜空に良く映えたでしょうに」


 ――遠野の魔法少女としての能力スキルは、『火』と『銃』の二つだ。

『火』は神話によっては神から人に与えられた物とされ、生命の象徴とも言われている。そして『銃』は、敵を攻撃することを前提に生み出された武器である。

 ……皮肉ではあるが、まさに遠野の生い立ちを表していると言っても過言ではないだろう。


「さてと、そろそろ終わらせましょう」


 遠野は静かにそう告げ、パチンと指を鳴らすと、竜の真上に円を描くように轟々と赤く燃えた銃が大量に生成されていった。

 近代の火器から火縄、マスケット銃まで、古今東西様々な時代の人の叡智あくいの結晶が、円のように竜の上に並んでいく。それはさながら、天使の輪のようにも見えた。


「ここでは有名な化物なのかもしれないけれど、私の前では等しく総じてその辺の有象無象と同じに過ぎない。魔獣ごときが――頭が高いのよ」


 そして遠野は、手元に出現させた拳銃を自身の真上に掲げた。


 遠野が手を拳銃に翳すのと同時に、竜の頭上からガチリ、と鈍い音が重なるように響く。――撃鉄が起こされたのだ。


 頭上から攻撃の気配を察した竜は怒りの声を上げながらもがくが、葉隠の施した強固な拘束からは逃れられない。


 遠野は竜の足掻く声を聞いて穏やかな笑みを浮かべると、そのままためらいもなく竜に引き金を引いた。


 ――その刹那、幾重もの銃が咆哮のように吠えた。


 赤く焼けた幾重もの弾丸の波が竜を襲い、一拍遅れて巨大な爆撃を受けたかのような轟音が辺りに響く。

 四方八方から放たれた弾丸はあっという間に竜の硬い鱗を食い破り、竜の体躯を真っ赤に染め上げた。

 そして体の内部に残った弾が燃え盛るように熱くなり、やがて竜は宙に浮いたまま業火に飲まれていった。


 竜を拘束していた糸が焼き切れ、炎の珠のようになりながら落ちていく。


 ――人の心の弱さに付けこみ神の敵サタンを模した獣に変質しようとしていた魔獣は、奇しくもヨハネの黙示録のように火と硫黄に飲み込まれることになった。これもまた、強大な化物を見立てた魔獣の運命だったのかもしれない。


「前情報の割にはあっけなかったわね。……あら?」


 遠野がぽつりとそう呟くと、川の対岸――竜よりも遠くにある高いビルから、葉隠桜が焦ったように遠くの橋の方を見ているのが見て取れた。そしてすぐに転移をしたのか、フッと葉隠の姿がその場から消える。


 その様子を不思議そうに見つめながら、遠野は首を傾げて言った。


「……何かあったのかしら?」







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