第151話 夜の遭遇者

 鶫が庭を歩いていると、中庭の中央にある噴水の側に誰かがいるのが見えた。

 何となく近づいてみると、月夜に煌めく金色の髪にカソックのような黒い服を身にまとった少年――アザレアが憂鬱そうな顔で噴水の縁に座っているのが見えた。


「レークスさん? どうしたんですか、こんな夜遅くに」


 鶫が思わずそう声を掛けると、アザレアはハッとした顔をして振り返り、鶫のことを見て不思議そうな顔をした。


 そうしてアザレアは鶫の姿を上から下まで見て確認すると、不思議そうな顔をして「ええと、葉隠さんで合っていますよね? すみません、普段とあまりにも服装が違ったので……」と困惑したように告げた。


 ――今の鶫の姿は、家から持ってきた大きめのパーカーに七分丈のゆったりとしたズボンを合わせた非常に簡素なものだ。

 この服装だと、いつも比較的可愛らしい恰好をしている葉隠桜だとは確かに気付きにくいかもしれない。


 ……先ほどまで自分の事情を知っている遠野と一緒に居たせいで、その辺の細々とした気遣いを忘れてしまっていた。

 鶫は失敗したなぁと心の中で愚痴りながら、誤魔化すように笑みを浮かべた。


「ああ、紛らわしくてすみません。寝る前の散歩のつもりだったのでオフの服装で出てきてしまいました。――ちょっと恥ずかしいので、皆さんにはナイショにして下さいね?」


 人差し指を口に当てるようにして、鶫はそう告げた。

 少しわざとらしいかもしれないが、これくらいあざとい方が誤魔化しには効果的だ。何より相手に深入りされにくい。……その分、多少自分の心にダメージは入るが。


 するとアザレアは、ふっと小さな笑みを浮かべて穏やかに頷いた。どうやら鶫の格好は不問にしてくれるらしい。


「遠野さんは一緒ではないのですか?」


 そうアザレアに聞かれ、鶫は首を横に振った。


「遠野さんはもう部屋で休んでいますよ。ふふ、私より遠野さんの方が良かったですか?」


 鶫がそう答えると、アザレアは顔を引きつらせて「まさか!」と声を上げた。

 そうしてアザレアは近くに遠野がいることを想像してしまったのか、軽く腕に浮いた鳥肌を擦りながら大きな溜め息を吐いた。


 ……仮にもナンバーワン魔法少女の事に対する返答とはとても思えない。映画館の時で大体分かっていたが、アザレアは本当に遠野のことが苦手らしい。


 鶫がそれを見て苦笑していると、アザレアは顔を上げて取り繕うように言った。


「すみません。遠野さんのことは何と言いますか、少しだけ苦手でして……」


「まあ、それは人それぞれですから。でもあんまり遠野さんを邪険にしないであげてくださいね? あの人はちょっといじめっ子みたいなところはありますけど、基本的には良い人ですから」


「……あはは、そうですね。善処させていただきます」


 そんな断り文句にしか聞こえない言葉を口にしつつ、アザレアは本題を切り出すように鶫を見つめた。


「僕は一応日本政府の神祇省にお邪魔させてもらっているのですが、あまり魔法少女の方とお話する機会がなくて。葉隠さんがもし良かったら、座ってお話しをしませんか?」


 そのお願いに対し、鶫はどうしようかなと少しだけ迷った。確かに明日は朝が早いが、それでもまだ寝るには早い時間だ。少しくらいなら話に付き合っても支障はないだろう。


「――ええ、私で良ければ」


 それに鶫自身も、アザレアの話に興味があった。普段学校ではクラスメイトとして話をすることはあるが、宗教家としてのアザレアと話すのはこれが初めてだったからだ。


 そんな好奇心もあり、鶫はそう言ってゆっくりとアザレアの隣に座った。するとアザレアはホッとしたように笑い、嬉しそうに口を開いた。


「ありがとうございます! 魔法少女のシステムについて気になっていたことがあるのですが――」


 それからしばらくの間は魔法少女関係のことを話し、その後は当たり障りのないこと――アザレアが日本に来て思ったことや、実際に魔獣と対峙するとどんな風に思うかなどを鶫が話した。

 その中でも、神祇省の人員はみんな研究者気質な人や独特な人が多くて場の空気が重いという愚痴があり、アザレアも苦労しているんだな、と鶫は同情した。


 そうしている内にふと話が途切れ、アザレアが何をか決意したようにキュッとこぶしを握り、しっかりと鶫の目を見て口を開いた。


「――葉隠さんは、この国に現れた魔獣の話を聞いてどう思いました?」


 そんな曖昧な問いに、鶫は首を捻った。


「どう、と言われましても……。大変だなぁ、とは思いましたけど。海を越えた国々ではあまり魔獣が出ることもないですし、結界も作れないとなると色々と対処が大変ですよね?」


 どう思うと言われても、鶫の感想としてはそれくらいしかない。ただ、――魔法少女・・・・がいない国は一匹の魔獣にすらこんなにも苦労するのか、とも思った。


 そんな言葉にしない思いが透けて見ていたのか、アザレアは悲しそうに下を向きながら胸の上にぶら下がるロザリオを握りしめた。


「そうですよね。アマテラスというカミに守られている貴女達は、魔獣を倒す術を持っている。けれど、我々には存在しない。僕は――それが酷く納得できないのです」


 アザレアはそう告げると、悔しそうに表情を歪めながら言葉を続けた。


「僕は、到底信じられませんでした。――神は人が乗り越えられる試練しか与えない。けれどこれはもう、災厄の域に達している。それなのに、どうして我々の神は沈黙したままなのでしょうか」


「……それは」


 アザレアが信じる神は唯一無二――かの全知全能の神だけだ。

 今現在、それに類する神の顕現は日本でも確認されていない。それについては色々と理由があるのだが、アザレアにとっては『現れない』ということ自体が問題なのだろう。


「多くの戦力を有する貴女がたと違って、我々には魔獣に対応する術が限られています。……それなのにどうして、――どうして我々には救い・・が訪れないのでしょう?」


 どうして、と言葉を繰り返しながらアザレアは苦しそうにそう告げた。

 ――日本以外の国には、魔法少女のシステムが存在しない。それはアザレアも理解しているだろうが、神に仕える者としては複雑な気持ちなのだろう。


「貴女の国のカミは、日本に住まう信徒の為に分霊を遣わしたと聞きました。ならば、数十億の信徒を持つ我らの神は、何故お姿を見せてくれないのですか? 僕は、日本さえ来ればその手掛かりがつかめると思っていました。けれど、結果はこの有様です。……これでは、僕が日本に来た意味がなくなってしまう」


 そうぼそぼそと聞き取れるギリギリの小さな声で告げて、アザレアは苛立ったように髪をかき上げた。

 それを聞きながら鶫はなるほど、と思った。アザレアがわざわざ日本に留学してきた理由は、つまり魔獣と対抗する術を手に入れる事だったのだ。ならば、苦手な遠野の誘いにのってまで神祇省に出入りする理由も理解できる。


 するとアザレアは話し過ぎたと思ったのか、ハッとした顔をして口を押えた。


「すみません。葉隠さんにこんなことを言うつもりはなかったのですが。少し、感傷的になっていたようです。……忘れてください」


 そう言って、アザレアは悔いたような顔をして目を伏せた。


 鶫はアザレアのその吐き出すような独白を聞きながら、ふと疑問に思って首を傾げた。


 ――けれどよくよくアザレアの話を考えてみると、少しおかしな部分がある。アザレアは彼の信じる神が地上に現れないことを嘆いていたが、そんなのは――どう足掻いても不可能・・・なのに。

 

 そう思った鶫は、静かに口を開いた。


「レークスさんの信じる神というと、あの御方しかいませんよね。……そうなると、どう考えても顕現は不可能だと思うのですが。少なくとも、私は絶対に無理だと思いますよ」


 そう鶫があっさりとした様子で告げると、アザレアは目を見開いて鶫のことを見た。


「――貴女は、何を言って」


 アザレアはふらりと立ち上がり、一歩鶫に近づいた。馬鹿にされたと思っているのか、声に怒りが混じっているに聞こえた。……それに加え、瞳孔が開いていて少しだけ恐ろしい。


 別に鶫としては変なことを言ったつもりはないのだが、どうやらアザレアの気に触ってしまったらしい。


 ――これはきちんとした説明が必要かもしれないな。そう思いながら、鶫は小さく溜め息を吐いた。


 そうしてアザレアの伸ばした手が鶫に触れようとしたその瞬間、鶫はずいっと水の入ったペットボトルをアザレアに突きつけて言った。


「今からちゃんと理由を説明しますから。その、落ち着いてください」

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