第150話 巫女の独白

 鶫が部屋から消えた後、遠野はゆっくりと目を開けた。狸寝入りをしていた――という訳ではなく、ただ単純に眠りが浅かったのだ。遠野が窓を開ける微かな音で目覚めてしまったのは、出ていった鶫としても予想外だった事だろう。


 遠野は寝ぼけ眼でぼんやりと窓の方を見つめながら、ぽつりと呟くように言った。


「あの子は、本当に優しいのね。お人好しで、押しに弱くて、掴まれた手を振り払えない。――それなのに、どうしてそんな正しい人間が死ななくちゃ・・・・・・いけないのかしら」


 そう言って遠野は悲し気に目を伏せた。


 七瀬鶫は、普通・・の生き方を知っているまともな人間だ。だからこそ、遠野は哀れに思った。


 鶫の中に存在する、邪神の残滓。それはいつか彼の体を喰い破り、この地上に破壊と混沌を齎すと予想されている。どう転ぶにしろ、鶫の命はあまり長くない。

 ――そう、それこそ遠野すみれと同じよう・・・・に。


「私に残された時間も、あと四年ほど。……それが過ぎれば、魔法少女を引退して本来の務めを果たさなくてはいけない。――次代の天照の器・・・・として」


 そう静かに告げて、遠野は両手を祈るように握りしめた。


 遠野すみれは、天照の器――贄となるために調整されたデザインベイビーである。これは神祇省の中でも高ランクの機密であり、上層部にしかその詳しい経緯を知る者はいない。どう考えても人道に反しているが、それは全て大義の為だった。


 天照の力は国民の信仰の力によって底上げされ、年々強力になっていっている。それ故に、仮初の体――強度の低い分霊体ではその膨大な力を制御しきれなくなってきているのだ。


 万一にも分霊体が破壊されれば結界は砕け、またしても日本に混沌の時代が訪れる。それを防ぐために考えられたのが、仮初の肉の器だ。分霊体を肉の体で覆うことで、ダメージを肩代わりする鎧を作ろうと当時の術師たちは考えたのだ。


 一方天照の部下である神々も、その術師たちの計画を手放しで喜んだ。

 そもそも古き神々にとって、巫女とは御用聞きの召使い・・・である。そんな巫女を使い捨ての器として使用することは、名誉な行いだと褒めることはあっても、巫女を哀れに思うことはなかったのだ。


 その非人道的な計画が始まったのは、およそ二十五年前。

 ――まだ公に朔良紅音が生存していた当初、天照の器――名誉ある贄の役を朔良紅音にやらせようと術師たちは画策していたのだ。

 それは別に、術師たちが朔良紅音に対して悪意を持っていたからではない。術師たちにとっては、かの英雄にとってはそれが一番の誉れであると信じて疑わなかったからだ。ある意味、善意の空回りである。


 だが、朔良紅音は逃げた。しかもよりにもよって――天照の腹心である八咫烏の手を借りて。


 天照はその件について、何も言及をしなかった。許したのか、それともどうでも良かったのか。それは只人である遠野には分からない。

 問題は、その逃亡のあおりを受けた人間がいたことだ。


 それは天照の器の第二候補。術師として優秀で、魔法少女の才も飛びぬけていた美しい女性。――遠野すみれの、遺伝子上の母親だ。


 彼女は調整された子どもである遠野を生んだ後、すぐに天照の器としてその生を終えた。……いや、体はまだ生きているが、人格も魂も何もかもが天照によって塗りつぶされてしまったならば、それはもう人として生きているとは呼べない。


 そしてその器の娘である遠野は、機密を知る巫女たちによって徹底的に管理されて育った。

 贄になることを疑問に思わないように狭い世界で生き、容姿の良さを利用され、嫌々ながらも政治の手伝いをさせられた。そのおかげで大人に対する立ち振る舞いは覚えたが、遠野はずっと孤独だった。


 尊き身だと褒め称えられ、変な思想を抱かぬように同じ年頃の子供とは離されて育てられた。子供の頃に遠野の周りにいた人間は、機械のような笑みを張り付けた天照の狂信者と、利益を求める薄汚い大人だけ。そんな人間達の中では、誰にも気を許すことなんて出来なかった。


 そんな遠野を憐れに思ったのか、遠野が十五歳――ちょうど普通の人間が中学を卒業する年に、八咫烏から「魔法少女にならないか 」と誘いを掛けられた。


 ……きっと八咫烏は、朔良紅音を逃がしたことで割を食った遠野への罪悪感があったのだろう。

 監視役の巫女からは、断れと言われた。それでも反対を押し切って八咫烏の手を取ったのは、外の世界を知りたかったからだ。


 ――けれど、喜び勇んで飛び出した世界は思っていたよりも過酷だった。

 日常的に同僚――魔法少女は死んでいき、心を壊して去っていく。時折親しく話すようになった少女もいたが、育った環境の差もあり友になることは出来なかった。


 ……いや、それ以上に妬ましかったのだと思う。

 自分と違って、人生を好きに選ぶことができる少女達。年齢はほとんど一緒な筈なのに、決められたレールがすでにある遠野には、その姿がとても眩しく見えたのだ。


 鬱屈とした思いを抱えながら表面上は自由奔放に振る舞い、遠野は限られた時間を過ごしていた。そんな中で八咫烏に命じられた仕事――七瀬鶫への接触は、遠野の意識を変える切っ掛けとなった。


 遠野と同じように、神の器となるべく生まれてきた不遇な少年。本人はきっと知らないだろうが、あと数年でその命が散ってしまうことすらも遠野の境遇と似通っていた。

 偶然の一致ともいえる共通点の多さ。遠野が鶫に興味を持つのも当然のことだった。


 ――映画館で話した時は、普通の少年に見えた。

 ――フードコートで会った時は、真っ当に日常を生きている彼が妬ましくなった。

 ――会議室で話をした時は、どうせどちらも近いうちに死ぬのだからと遠慮することを止めた。


 無理やり押し付けるように友を名乗り、憧れを押し付け、散々我儘を言った。別に呆れられたって良かった。だって鶫にどう思われたところで、どうせ二人ともあと数年で死んでしまうのだ。それなら後悔がないように生きた方がずっといい。


 ――けれど鶫は、そんな我儘な遠野の手を取ってくれた。それが、本当に嬉しかったのだ。


期限付きのお友達。どちらかが死んでしまうまでの、短い関係。運が悪ければ、遠野が邪神に蝕まれた鶫を殺すケースだってあるだろう。


「……別に死にたいわけじゃないけれど、私にはどうすることもできない」


 小さな声で、そうぽつりと零す。巫女たちの監視がある時は間違ってもこんなセリフは言えないが、今は誰もいない。


 別に遠野は天照の器になることが嫌なわけではない。器となること自体はとても名誉なことだし、この国の為になるのならば、それも仕方がないと納得している。けれど、それと心は別物だった。


 ――本当は、鶫が話していたように友達と放課後にカラオケに行ったり、旅行に行ったり、他愛のない話をしたり、そんな当たり前の日常を自分も体験してみたかった。使命になんか縛られないで、自由に生きてみたかった。

 でも、それは所詮叶わぬ夢だ。――夢だからこそ、眩しく見える。


 ――かれは優しいから、きっと遠野がお願いすれば大体のことは叶えてくれるだろう。

 けれどそれは遠野が特別だからではない。単純に、鶫が友達に優しい善人だからだ。


 別に遠野はそれでもよかった。遠野にとって鶫は唯一の友達どうぞくだが、彼にとってはそうではない。少しだけ悲しいが、一番に優先されないのは当然のことだ。


 その一方で、遠野が朔良紅音の娘である七瀬千鳥に苦手意識を持つのは、ある意味仕方がないことだった。

 朔良紅音が逃げたせいで、遠野の運命は生まれる前から決まってしまった。その原因となった女の娘に八つ当たりをしないだけ立派だと言うべきだろう。


 ――けれど不満には思っていた。自分は鶫にとってその他大勢の一人に過ぎないのに、七瀬千鳥だけが彼の特別なのだ。血も繋がっていないくせに、図々しいにも程がある。

先ほど鶫に「千鳥さんは家族じゃないでしょう?」と辛らつな言葉をかけたのは、そんな不満のせいだった。


「……あの子のことは苦手。だって、一人だけ幸せに生きていくなんてズルいもの」


 ――いっそのこと役目を彼女が代わってくれればいいのに、とも思う。どうせ元々は親が器になる予定だったのだから、今度は娘が器になったっていいだろうに。そう思うも、言葉には出さない。

 それを口に出してしまえば、自分の存在意義がなくなってしまうことが分っていたからだ。


「結局、今さらどうしようもないのね。はあ、嫌になっちゃう」


 どんなに嘆いたとしても、遠野の運命は変わらない。そして、邪神の器つぐみの運命も。


「でも、こんな目に合っているのが私一人だけじゃなくてホッとしたわ。――お互い死ぬ時は違っても、きっとすぐに冥府で会えるだろうから」


 理不尽を強いられているのは自分だけじゃない。そう考えるだけで、少しだけ心が軽くなった。

 

 だからこそ、と遠野は思う。

 限られた時間の中で、少しくらい羽目を外したっていいはずだ。どうせ二人とも近いうちに死ぬのだ。それまでは――子供みたいに楽しんだって罰は当たらないだろう。


「ふふ、今度は何をして遊ぼうかしら。本当に、楽しみ」


 そう呟きながら、布団に潜る。こんなに穏やかな気持ちで目を閉じるのは久しぶりだった。


 するりと落ちるように意識が水底に沈んでいく。遠野が眠りに落ちるまであっという間だった。



 ――一方、遠野が再び眠りについた頃。中庭に降りた鶫は意外な人物と出くわしていた。


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