第152話 悩める子羊

 鶫は持っていたペットボトルの上半分を糸で切り飛ばし、残った下の部分を使い噴水の水を汲んだ。

 そしてその即席のカップをトン、と噴水の縁に置いて鶫は静かに口を開いた。


「日本にいる神様たちは、分霊という仮の器に、空の裂け目から発生している力を注ぎこむことによって地上に顕現しています。つまり簡単に言うとこの水が力で、カップが体みたいなものですね。この二つがきちんと揃うことによって、初めて神様は体を得ることが出来るのです。ここまでは大丈夫ですか?」


 そう言って鶫は、アザレアの顔を見上げた。するとアザレアは、不満そうな顔をしながらもゆっくりと頷いた。それを見て、鶫は話を続ける。


「神様によって体の形状や注ぎ込まれる力の量は変わりますけれど、顕現の理屈はどんな神様でも一緒です。ちなみにこの姿形については、地上の人間のイメージに多少左右される傾向がありますね。私の契約している神様もそのタイプですから」


 まあ多少は神様の意志で姿の方向性は指定できるだろうが、それでもイメージの影響は残る。

 鶫が契約している神様――ベルバアルは特にその傾向が顕著だ。


 ベルの場合、ベルゼブブという悪魔のイメージから虫の羽を。そして大本となる猫のような体は、恐らく同一視されているバエルという悪魔の逸話の一つからきている。

 それに加え尻尾がトカゲのような形状をしているのは、よく絵画などで見る悪魔のイメージが何となく爬虫類っぽいからなのかもしれない。


 ちなみに他の神様――以前に部屋に侵入してきた柩の契約神だった鬼子母神などは、大蜘蛛の姿をしていた。

 あれは恐らく、千を超える子供を生み出す逸話や、他人の子供を食らう残虐さなどの逸話がミックスされてあんな姿になっているのだろう。

 まあ蜘蛛の中には子供を飢えさせないために自分の身を捧げる母蜘蛛もいるらしいので、あながち形代としては間違ってないのかもしれない。


 そう鶫が告げると、アザレアは怪訝そうな顔をして眉を顰めた。


「……つまり、葉隠さんは何が言いたいのですか?」


「分かりませんか? これが貴方たちの神様が下りて来られない・・・・・・・・理由の一つですよ。――だって、貴方たちの宗教は基本的に偶像崇拝を禁止しているでしょう? 大本となるイメージが存在しないのだから、下りてこられるわけがないじゃないですか」


 そう言って、鶫は肩をすくめた。

 ――偶像崇拝を禁止するということはつまり、仮の器の否定に繋がる。その上信仰が深ければ深いほど、その意識は強くなる。こうなってしまえばもう詰みだ。

 たとえ彼らの神様がどんな姿を取ったとしても、人間に深く刻み込まれた信仰心がその姿を否定する。


 するとどうなるか――そう、器にが開いてしまうのだ。

 そうなれば、いくら力を注ぎ込んだとしても、力は漏れていくばかりで顕現することは出来なくなる。

 つまり、彼らの神様が下りて来られないのは人間側の自業自得なのだ。


 鶫が淡々とそう説明すると、アザレアは小さく震えながら口元を手で覆った。


「そんなこと、神祇省の人たちは誰も教えてくれませんでした」


「ああ、恐らくですけど、神祇省の人たちは教えるまでもない事だと思っていたのかもしれませんね。分霊に関する基本的な理論は、日本だと義務教育のうちにざっくりと習うので。でもアザレアさんは外国の方なので知らなくても仕方無いと思います。……きっと神祇省の人たちは、そのあたりの配慮が出来ていなかったのでしょうね」


 とりあえず鶫はそう答えたが、内心では神祇省は知ってて黙っていたんだろうな、と邪推した。

 きっと大して価値のない情報を小出しにしながら、アザレアの持つ西洋呪術やカトリックの知識を吸い出そうとしていたのだろう。……国の組織としては間違っていないのかもしれないが、あまりにも性格が悪い。


「では、我らの神は御身を地上に表すことすら出来ないのですか?」


 顔を青くしてそう呟いたアザレアに、鶫は静かに頷いた。


「少なくとも、日本で用いられているシステムだと不可能でしょうね。まあ別の逸話から仮の姿を作ったり、それに合わせて力を抑えたりすれば可能かもしれないですけど、でもそれは皆さんが納得しないでしょう?」


 日本だって、漫画のキャラの髪型一つで「解釈違いだ!」と争いが起こるのだ。世界一の規模の宗教にとっては、そんなのは比じゃないだろう。下手をすれば戦争が起こってもおかしくはない。


 鶫がそう告げると、アザレアは胸の上のロザリオをぐしゃりと握りしめ、それに答えた。


「そうですね……。僕はともかく、敬虔な信者たちはきっとそれでは納得しないでしょう。僕らにとって神とは――唯一無二の道しるべなのですから。欠点など、絶対に・・・あってはならない」


 そう言って、アザレアは辛そうに顔を伏せた。

 ――アザレア達のような敬虔な信徒にとって、【神】とは絶対的な存在だ。それ故に、全知全能でない・・・・・・・神など絶対に認めることは出来ないだろう。

 その辺は多神教の鶫にはいまいち理解できないが、恐らくはアイドルに対して過度に幻想を抱く感覚と似ているのかもしれない。


 打ちひしがれるように肩を落しているアザレアに、鶫は追い打ちをかけるように続けた。


「二つ目の理由ですが、たとえ器が用意できたとしても、全知全能を体現するためには力のリソースが全く足りないと思います。これは私の推測ですが、日本にいる神様を全部消して力をかき集めたとしても、貴方がたの【神】の顕現にはとても足りないでしょうね」


 そう鶫ははっきりとした声で言った。

 そもそも彼らが想像するような全知全能の完全無欠モードで【神】が顕現するためには、天井知らずの力が必要となるため、裂け目から漏れ出た力程度ではまったくリソースが足りないのだ。

 どう考えても、彼らが望む形での顕現は不可能に等しい。ある意味、【神】という存在を神格化し過ぎた弊害とも言える。


 ――ちなみに鶫がここまで他の宗教の話に詳しいのは、友人である行貴の受け売りだった。まあ最も受け売りと言っても、行貴が事あるごとに色々な国の宗教観をこき下ろしていたので、何となくその問題点を覚えていただけである。

 ……まさか鶫もこんな風に知識が役に立つ時が来るとは思っていなかったが。


「以上が神様が顕現できない理由です。ご理解いただけましたか?」


 鶫はそう締めくくり、気遣うようにアザレアのことを見つめた。


 少々アザレアにとってはキツい話だっただろうが、何も知らないまま苦しむよりはずっといいはずだ。


 ……もしかしたら後で神祇省から「余計なことを話すな」とクレームが来るかもしれないが、それくらいは甘んじて受け入れよう、と鶫は決意した。


 これがもしアザレア――友人ではなくただの宗教家が相手だったなら、こんな風に一から説明なんてしなかった。あくまでも、鶫がアザレアを友人だと思っているからここまで話したのだ。


 そうしてしばらくの間沈黙が続き、アザレアは深呼吸のように長い息を吐き出すと、困ったような笑みを浮かべて鶫の方を見た。そこには、もう怒りは浮かんでいなかった。


「悔しいけれど、よく理解できました。――神の救いが無いと分かった以上、結局僕らは永遠に貴女がた魔法少女に頼ることしか出来ないのですね。……本当に、情けない話だ」


 そう言って、アザレアは疲れたように空を見上げた。

 ――アザレアがいま何を思っているのかは分からない。けれど、何か大事なモノが折れてしまったかのような儚さを鶫は感じた。


 その空気に不安を覚え、鶫は話題を変えるように話し始めた。


「ええと、たとえ神様そのもの・・・・が下りて来られなかったとしても、何か方法はあると思うんです。たとえば、神様の力の一部だけをお借りするとか」


「一部、ですか?」


「はい。以前日本でも魔法少女以外の戦力を模索していた時期があったんです。人が神様と直接契約するのではなく、力の一部を借りる――武器や道具に加護を与えて貰って、戦力の拡充をしようとしたんですよ。……結局は魔法少女が戦った方が効率が良かったので、その計画は頓挫してしまったんですけどね」


 そう言って、鶫はため息を吐いた。


 武器や道具などに神々が加護を与え、使用者に特殊能力や身体強化などのバフを付与することにより、適正者以外の者を戦力に変える計画――その名も『神器兵計画』。

 一般的にはそんなに知られている計画ではないが、鶫はその詳細をよく芽吹が話していたので大体のことは覚えていた。


 神祇省や政府はその計画を十年ほど試行錯誤したのだが、神器を使用すると結界が張れないのと、神器と使用者の相性によって出力のバラつきが出たり、力のコストを考えるとあまり効率が良くなかったので、現在その計画は凍結されている。

 芽吹が行っている研究が進めばその辺の問題も解決するのかもしれないが、それはまだ先の話になるだろう。


 だが、神が下りられるほど力が満ちていない外国にとっては、その方法の方が適しているのかもしれない。

 加護自体は神の意志――たとえ分霊として地上に顕現していなかったとしても、地上に干渉するための僅かな力と、加護が耐えられる器さえあれば付与できる。後はその神器と相性がいい使用者が魔獣と戦うだけだ。


 まあ彼らが神器を得ることで多少のパワーバランスは崩れるかもしれないが、別に『神器兵計画』は箝口令を敷かれていたわけでもないので、この件をアザレアに話したことで鶫が責められる謂れはない。


 それにいくらアザレア達が神器を作成したところで、魔法少女に敵うとは到底思えない。魔法少女は、やはり別格の存在だ。――明日になれば、きっとこの国の誰もがそれを思い知ることだろう。


 そんな説明をした後、鶫はそっとアザレアの着けているロザリオを指で示した。


「別に加護の器は何でもいいんです。人が『これには特別な力がある』と信じている物なら、何でも。加護を得る上で一番大事なのは『これは加護を宿すことができる』と誰もが認識することですから。例えばそのロザリオ一つにしたって、レークスさんにとっては特別な存在でしょう? ならば、十分に資格はあるはずです。そうじゃなくても、バチカンの教会にはたくさん聖遺物があるでしょう? 器に困ることはないと思いますけど」


 以前に行われた実験では、ただの古い人形に加護が付与された例もあった。要は、神様の心持一つなのだ。

 それにアザレア達が信じる神様ならば、きっとその信仰が根深く絡んだ物がちょうど良いだろう。


「でも、肝心の加護はどうやって得ればいいのですか。もし、祈っても貴方の言う加護が得られないとしたら、僕は……」


 アザレアが、不安に揺れる目をしながらそう告げた。

 ――希望を持ったとしても、もし肝心の加護が得られなかったら。そう考えると、不安でいてもたってもいられないのだろう。


 日本の場合は、直接神とコンタクトが取れるので加護のやり取りはスムーズに進められるのだが、流石に組織体系から違う【神】のことまでは鶫には分からない。


「うーん、私も専門的なことまでは分からないので、詳しいことは神祇省の方に聞いてみた方がいいかもしれないですね。……レークスさんはお嫌かもしれませんが、私の方から遠野さんに話を通してみます。あの人は真摯にお願いをすれば、きっとそれを無碍にはしないでしょうから」


 鶫はそこで言葉を区切り、不安そうなアザレアの手を取って静かに口を開いた。


「――求めよ、されば与えられん」


「……え?」


「祈りましょう。強く、深く、真っすぐに。神様は、きっと我々をお救いになるのだと。人々がそれを真実だと信じた時、神様は祈りに応えてくれるはずです。――幸いにも、人の信仰が神に力を与えることは天照様の存在が証明しています。だから、きっと大丈夫ですよ」


 そう言って、鶫はニコリと笑った。

 ――実際にはどうなるか分からないが、彼らの神に人を救う気があるならば、きっと動いてくれるはずだ。少なくとも、鶫はそう信じている。


 するとアザレアは、驚いたように目を見開いて鶫の顔を見つめた。そしてくしゃりと泣きそうな顔をすると、俯いて小さな声で言った。


「……もっと早くに、貴女と話をしていれば良かった」


 そしてアザレアは静かに顔を上げると、小さく笑った。


「ありがとうございます。少しだけ、気が楽になりました」


「いえ、私は大したことはしていませんから」


 鶫がそう言って手を離すと、アザレアは鶫が触れていた部分をさらりと反対の手で撫でた。……もしかして、直接触れられるのは嫌だったのだろうか。


 少しだけ気まずい空気を感じながら、鶫は誤魔化すように笑みを浮かべて口を開いた。


「この件はちゃんと遠野さんに話をしておきますから。後できちんと対応はしてくれると思います。――ああ、もうこんな時間ですか。そろそろ部屋に戻らないと」


 そう言って鶫がその場を去ろうとした時、アザレアが緩やかに口を開いた。


「――葉隠さんからはとても有意義なお話を聞かせてもらったので、僕からも一つだけ秘密の話をさせて頂きます。これでお相子ですね」


「秘密の話ですか?」


「はい。今回の一件はバチカンからの要請があったと日本側は聞いているでしょうが、本当はなんですよ。イギリスで一番力を持つ宗派――国教会側からバチカンに仲介の打診があったのです。いくら宗派が違うとはいえ、彼らは元を同じくする神を敬う仲間ですからね。横の繋がりはいくらでもあるのですよ」


「ええと、話がよく見えないのですが」


「簡単な話ですよ。国教会――つまり女王陛下に依頼され、日本に頭を下げたくないイギリス政府を僕らが無理やり説得したのです。そうでもしなければ、この国は滅びますからね。ふふ、おかしいでしょう? 表向きは敵対しているように見えて、僕らは意外と貴女たち魔法少女のことを評価しているのです。こんなこと、素直に神様を信じてくれている信者たちには話せないですから」


「……つまり、化物に化物をぶつけたかっただけでは?」


 鶫がそう皮肉を言うと、アザレアは悪戯げに笑って鶫に一歩近づいた。


「僕の上にはそう思っている方もいらっしゃいます。――でも、僕は貴女のような美しい方を化物だなんて思ったりはしませんよ」


 アザレアはそう告げると、そっと鶫の手を取って軽いキスをした。

 鶫があまりのことに硬直していると、アザレアはニコリと笑って「それでは、お休みなさい」とだけ告げて颯爽とその場から去っていた。


 アザレアが見えなくなった後。硬直が解けた鶫は呆然と呟くように言った。


「あ、あれが本場の伊達男……! こ、怖ぁ……」



◆ ◆ ◆



 ――鶫がそんなこと呟いていた頃。ホテルの中を歩いていたアザレアは、ピタリと足を止めて小さな声で言った。


「本当におかしな人だ。――あんな人材を異教のカミに仕えさせるのは、少し惜しいですね」


 そう言いながら、アザレアは苦笑した。

 ――たった数十分程度の会話で、随分と絆されたものだ。


 七瀬千鳥の誘拐事件の後、上手く政府の組織である神祇省に潜り込めたのは良かったが、それ以降がいけなかった。

 度重なる質疑に、情報だけを搾取される日々。いくらこちらが情報を引き出そうとしても、上手く躱される毎日が続いた。


 それに加え、針の筵に座るような遠征と、周りからの懐疑の目。いくら強靭な信仰心を持つアザレアであろうと、心が疲弊するのは否めなった。


 だから、こっそりと抜け出した先で出会った少女――葉隠桜に普段は絶対に言わない胸の内を吐き出してしまったのかもしれない。


 何よりも、葉隠の顏がいけなかった。その顔が、彼女の持つ空気が――あまりにも友人つぐみに似ていたのがいけなかった。だから、ほんの少しだけ気が抜けてしまっていたのかもしれない。


「けれど、そのお陰で有益な情報が得られた。……そのうち本国に戻ったら、色々と実験をしないといけないですね」


 そう言って、アザレアは静かに歩き出した。



 ――近い将来。ヨーロッパに加護を得た聖遺物を使って戦う兵が現れるかどうかは、まだこの時点では誰も分からなかった。


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