第149話 秘密の夜会話

 こっそりと家に戻ってパーカーに着替え、お菓子を持って遠野の待つ部屋に戻った後、お互いに気になった菓子をつまみながら遠野と鶫は色々な話をした。


 なお、湯上りの遠野は大変目に毒だったが、鶫は「これは幼女、これは幼女……」と必死に自分に言い聞かせて平静を保った。これは自分の魅力を分かっていてちょっかいを掛けてくる芽吹よりも、さらに厄介である。


 ちなみに呼び捨てにするように言われた名前については、話し合いの結果【すみれさん】に落ち着いた。敬語を外すのは追々、ということで保留にしてもらっている。

 ……そもそも鶫は、千鳥――家族以外の異性を呼び捨てにした経験が無いのだ。いくら本人がそう呼べと言ったとしても、どうにも気恥ずかしさと抵抗がある。


 そう鶫が告げると、遠野は不思議そうに首を傾げながら「千鳥さんと貴方は血が繋がっていないのだから、家族ではないと思うけど?」と手痛い一言をもらった。

 ……確かにそれは事実だが、このタイミングで思い出させなくてもいいだろうに。


 そんな苦い思いもしつつ、鶫は「それでも千鳥は俺にとって家族なので……」と言い張った。

 遠野――八咫烏の関係者がどう思おうと、千鳥は鶫にとって大事な家族である。それだけは何があっても変わらない。


 鶫がそう告げると遠野は少し不満そうな顔をしていたが、やがて興味を無くしたように話を流した。まあ、遠野にとっては些細な疑問に過ぎなかったのだろう。


 そんなやり取りの後、遠野が鶫に話すように強請ったのは、鶫の普段の生活についてだった。

学校で起こったことや、クラスメイトとの他愛ない会話、そして男友達とのやり取りなどを、遠野は満足そうに聞いていた。

 鶫としては別にそんなことを聞いてもつまらないだろうと思ったのだが、遠野が楽し気に聞いている様子を見ると、そうではないらしい。


 そんな話の中で鶫が過去の失敗談――行貴がらみの事件で上級生から校内を駆け抜けて逃げ回った話をすると、遠野はおかしそうに笑った。


「ふふ、鶫には面白いお友達が多いのね。それで、逃げるために二階から飛び降りた後はどうしたの?」


「普通に足を派手に挫いて病院送りになりました。後で誤解だったことが分かって上級生からは謝られたんですけど、騒ぎを起こした張本人は結局ケラケラ笑うだけでしたね……」


 そう言って鶫は肩を竦めた。面白い話の引き出しはあまりないが、行貴がらみで起こった災難の話なら腐るほどある。こんな話で笑ってもらえるなら、苦労した甲斐があったかもしれない。


 そうして取り留めのない話を続け、夜も更けてきた頃、遠野はふわ、と控えめな欠伸をした。どうやらようやく眠くなってきたらしい。

 無理もない。時差を含めて、二十時間は起きているのだ。そろそろ眠らなければ明日に響くだろう。


「もう眠った方がいいですよ。明日は早いんですから」


 鶫が諭すようにそう告げると、遠野は悲しげに目を伏せながら名残惜しそうに口を開いた。


「でも、せっかく楽しく話をしてたのに」


「別に話なんていつだって出来るじゃないですか。友達なんだから、予定が合えばそれくらい付き合いますよ」


「……いいの?」


「勿論大丈夫ですよ。あ、でも雪野さんの時みたいに無茶ぶりするのは止めてくださいね。流石に急に呼び出されると、いくら俺でも困りますから」


 鶫が付け加えるようにそう言うと、遠野はきょとんと目を丸くして、やがてクスクスと笑い始めた。どうやら何かが笑いの琴線に触ったらしい。


「ふふ、そうね。――時間はいくらだってあるものね」


 遠野はそう言うと「歯を磨いてくるわ」と立ち上がった。どうやら機嫌は直ったらしい。


 その後、鶫はお菓子の残骸を片付けた後、寝る準備に入った遠野を見て部屋を去ろうと考えていたのだが、鶫がさて帰ろうと後ろを向いた瞬間、がくん、と体が揺れた。

 訝し気に振り返ると、ベッドに入った遠野が鶫の袖口を掴んでいるのが見えた。


「えっと、すみれさん?」


 鶫が不思議に思いそう声を掛けると、遠野は拗ねた様に鶫を見ながら言った。


「私が寝るまで一緒に居てくれる約束でしょう?」


「……いや、確かにそう言いましたけど。起きてる奴が隣にいたら寝にくいんじゃないですか?」


「私は気にならないもの。だから――私が寝るまで手を握っていて。……それだけで、いいから」


 遠野はそう言うと、懇願するように鶫のことを見上げた。その時鶫は「また子供みたいなおねだりを……」と思いかけたのだが、遠野の不安に揺れる瞳を見て考えを改めた。


 ――遠野すみれは、鶫が思っているよりもずっと【子供】なのかもしれない。

 閉じ込められるように幼少期を過ごし、大人に行動を管理されて生きてきた。それは――幼少期の鶫の境遇とよく似ていた。


 ……ああ、だから遠野はこんなにも自分に警戒心が薄いのだろう。そう思い、鶫は小さく唇を噛んだ。

 遠野は鶫の過去を知っている。きっと遠野にとっては、鶫は同じ経験をしている仲間・・なのだ。だからこんなにも、無警戒に擦り寄ってくる。情緒が育っていない子供のように。


 ――鶫は千鳥が手を取ってくれたけど、遠野にはそんな人がいたのだろうか。そう思うと、刃物を刺されたように心が痛む。まるで――もう一人の自分を見ているようだった。


 だから鶫は、掴まれた反対の手で遠野の手を取った。


「――分かりました。すみれさんが寝るまで一緒に居ます」


 そう言って、鶫は遠野を安心させるように微笑んだ。

 ――倫理も何も知ったことか。今この場においては、ただ一人の友人として側にいよう。自分の手があの日の千鳥のように誰かの救いとなるならば、それが一番だろう。

 そう考えながら鶫は床に座り込み、遠野と目線を合わせた。


 すると遠野は、ホッとしたように嬉しそうに目を細めて「ありがとう」と言った。

 控えめに繋がれた手は、じんわりと熱を帯びている。その熱を享受しながら、鶫は静かに目を閉じた。


 互いに言葉もなく、チクタクと時計の針の音だけが部屋に響く。鶫はそんな静寂が嫌いじゃなかった。


 それから遠野が規則的な寝息を立てるまで鶫は気配を殺し、置物に勤めた。十五分やそこらの時間だったが、気を使っていたためか体が少し痛い。


 鶫は寝入った遠野の手からするりと自分の手を抜き取り、そっと遠野の顏に掛かった髪を払った。すうすうと子供のように安心した風に眠る姿は、いつもの凛とした遠野の姿からはかけ離れている。


 そんな遠野の姿を確認し、鶫は小さく息を吐いた。ようやくお役御免らしい。このまま今すぐ転移で家に帰ってもいいけれど、少しだけ頭を冷やしたい気分だった。


 ――きっとどんな人間にだって、聞かれたくない過去はある。けれど、それにしたって遠野の境遇はあまりにも哀れだった。

 だからといって、鶫がその過去をどうにかできるわけではない。時折話を聞くくらいが精々だろう。


 鶫は自分の役に立たなさを自嘲しながら、ガリガリと頭を掻いた。


「……少し、中庭でも見てみるか」


 そう言って、水の入ったペットボトルを持ってベランダに出る。上層階にある部屋からは、キラキラと光る綺麗な星空が見えた。その下には、美しく整えられた中庭が見える。


 鶫は下の様子を確認すると、スリッパのままひらりとベランダの外に飛び降りた。そしてそのまま糸を滑車とクッションのように使いながら音もたてずに下に降りていく。見る人が見れば、アメコミのヒーローのように見えたかもしれない。


 そうして中庭に降り立った鶫は、ぐるりと中庭を見渡し、噴水の方へと歩いて行った。

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