第148話 友達初心者

 その後鶫は、遠野と一緒に神祇省の面々の護衛に付いた。


 ――神祇省とは昔存在した祭祀と行政を掌る機関を下敷きにした省で、現在は天照を中心とした神事や、結界や護符などの巫術を取り扱う特殊な組織である。いわゆる日本のオカルトのエキスパート達だ。


 基本的に遠野のような例外以外、神祇省の人間がこうして表に出てくることは少ないが、今回ばかりは重い腰を上げたらしい。

 まあ、神祇省の秘蔵っ子である遠野が前線に出ているのだから、ある意味それも当然と言えるが。


 ちなみに以前千鳥が誘拐された時に遠野が使っていた術も、そこで教わる基本的な術らしい。

 鶫も護衛――という名の暇な時間に少しその原理を説明されたが、難しすぎて何一つ理解できなかった。

 ……いや、これは別に鶫が馬鹿という訳ではない。どうやら神祇省にいる面々は、別の意味で天才揃いなようだ。


 ――ただ少し気になったのが、神祇省から派遣されてきた人間と遠野の関係だ。

 遠野自身はいつも通りの振舞いなのだが、神祇省の人間は遠野に対し淡々としている……というよりもあまり彼らに関わらないようにしているように見えた。仮にも同じ組織に属しているにしては、あまりにも他人行儀な対応だ。


 もしかしたら遠野が魔法少女としても活動していることで、神祇省側と何らかの軋轢があるのかもしれないが、この少しのやり取りからでは判断がつかなかった。


 何にせよ、鶫と遠野は無事ホテルに結界――悪意のある人間の接近と攻撃を探知するシステムが設置されたのを確認し、和気あいあいとは程遠い空間を後にした。

 ……別に呪術を扱う人間全てが暗いとまでは言わないが、ただただ重苦しい時間だったとだけ言っておく。


 その後は昼食の時のように夕食の運搬をし、鶫と遠野は指定された部屋へと向かった。

 タイミングが合わなかったのか、千鳥や鈴城の顔を見ることが出来なかったのは残念だが、これだけ事前に対策を練っているのだからそこまで心配しなくてもきっと大丈夫だろう。


 そんなことを考えつつ、鶫は部屋の前にとたどり着いた。見るからに重厚で高そうな扉が鶫達を出迎えている。

 鶫は渡されたカードキーで鍵を開け、苦虫を噛み潰したような顔で部屋に入り、ぐるりと大きく部屋を見渡した。

 そうして鶫は部屋の内装を確認した後、顔に両手を当てて大きなため息を吐いた。


「……なんでよりにもよって風呂場が丸見えなんだよ。あんなのガラス張りにする必要があるのか?」


 そう思わず素の口調で言いながら、鶫は力なく俯いた。


 そのスイートルームは、広い部屋とベッドルームが一体となっており、ダブルベッドが二つ置いてあることから、恐らく本来は四人部屋なのだろうということが推測出来た。

 問題はベッドと反対側にあるバスルームだ。そのバスルームは、何故か高い部屋にありがちなガラス張りの部屋になっていた。


 ……男友達と泊まりに来たならばいい笑いの種になっただろうが、隣にいるのがあの遠野だと思うと全く笑えなかった。むしろ地獄度が増したともいえる。


「わあ、夜景がキレイね。ベッドも広いしよく眠れそう」


 一方遠野は、鶫の様子など気にも留めずに楽しそうに部屋の中を歩き回っている。

 ……そろそろ普通に怒っていいかもしれない。


 鶫は苛立ちを隠すように眉間を押さえると、感情を抑えたような声で話し始めた。


「はあ……。取り合えず、俺はもう少ししたらこの部屋から出て自宅で睡眠をとるので、遠野さんはここでゆっくり過ごしてください。もちろん、朝までにはちゃんと戻りますから」


 遠野をこの部屋に一人にするのは、護衛的な面を考えるとあまり良くはないのだろうが、外国の刺客――普通の人間の襲撃程度で遠野がどうにかなるとは思えない。


 それにいくら葉隠桜が周りには女性と認識されていたとしても、結局その中身はおとこでしかないのだ。倫理的に考えても、鶫はこの部屋には留まるべきではない。


 鶫がそう告げると、遠野は不思議そうな顔をして口を開いた。


「どうして? この部屋に一緒に泊まればいいじゃない」


「……遠野さんは俺の本当の性別を知ってるでしょう? 無茶を言わないでくださいよ。万が一のことがあったらどうするんですか」


 すると遠野は、少しむくれたような顔をして話し出した。


「だって、誰かと一緒に寝泊まりするなんて初めてだったんだもの。少しくらい夢を見てもいいじゃない」


「初めてって、そんな大げさな……。普通に生きてれば修学旅行とか色々あるじゃないですか」


 鶫がぼやくようにそう言うと、遠野は目を伏せて首を横に振った。


「私は学校に一応在籍はしていたけど、一度も通ったことはないの。俗世に関わると碌なことがないからって、彼ら・・は言っていたわ。ふふ、もし私が八咫烏様に見初められなかったら、きっと今も暗い部屋に閉じ込められていたでしょうね」


「……えっと、巫女様になるってそんなに厳しいんですか? 他の人もそんな過酷なことを?」


 突然の告白に戸惑いながら、鶫はそう返した。


「いいえ、私だけよ。――私だけが、唯一の特別・・だから隔離されたの。ごめんなさいね? いきなりこんなことを言われても訳が分からないでしょう?」


「いえ、その……」


 そう鶫が言葉に困っていると、遠野はふっと笑って言った。


「まあ、二十歳を超えてからは色々と彼らの束縛も弱くなったのだけれど。きっと彼らも、今さら私が歯向かうとは思っていないのでしょうけど。それも八咫烏様の提言のおかげね。――でも今はそれなりに自由にしているから、そんなに気にしないで頂戴。お友達の貴方にそんな顔をされると私は悲しいわ」


 そう言って遠野は自嘲するように微笑んだ。

 ――この時鶫は、今まで誰よりも自由に見えていた遠野の体に、縛り付けるように取り巻く糸が見えた気がした。

 まさか遠野がそんな過去を背負っているだなんて知らなかったし、天照の巫女の薄暗い事情を聞いてしまい鶫は動揺が隠せなかった。


――学校にも通わず、前にデパートで話していたように他の巫女に人間関係を制限され、特別な存在として扱われる。

 そんな人権を無視したような扱いは、鶫にはさっぱり理解できない話だが、これが本当だとすれば先ほどの鶫の発言――「普通に生きていれば」という言葉は、遠野にとってどれだけ鋭い刃物になったのだろうか。そう思うと、罪悪感で押しつぶされそうになる。


「俺、その、何も知らなくて……」


 鶫が後悔の気持ちを抱えながら頭を下げると、遠野は軽い調子で口を開いた。


「いいのよ。こんな話、神祇省の外でしていい話じゃないもの。ただ、どうしてかしら。貴方だけには知っていて欲しかったのかもしれない。――だって貴方は、私と一緒・・だから」


 そう言って遠野は綺麗に微笑むと「この話はもう終わり。これ以上は何も話せないわ」といった。話さないではなく、話せないと言ったということは、この話題を続けることは何らかの制約があるのかもしれない。鶫はそう思い、納得しない気持ちを抱えながらも渋々頷いた。


 ――遠野が秘密主義なのはいつものことだし、情報を小出しにするのも段々慣れてきた。きっとこれが彼女のスタイルなのだろう。


 鶫は考え込む様に手を口に当てると、静かに目を閉じた。


 ――遠野の言うことが全て真実ならば、今まで友達がいなかったという話もあながち嘘ではないのかもしれない。

 つまり遠野は、いかにも人を食ったような言動や見た目をしている癖に、友人――対等な人間に対する経験が薄いのだ。

 何故そんな遠野が最初の友人にあえて鶫を選んだのかは分からないが、遠野にとっては鶫の何かが琴線に触れたのだろう。そうでなければこんな不審な人間を友と呼ぶはずがないのだから。


 それに幼いころから巫女として生活――神聖な場所に閉じ込められていたならば、男女間の距離に疎いのも多少は納得できる。


 ……だからといって男と一晩過ごして良いというわけではないが、そう考えると遠野の気持ちも分からなくなかった。

 ――初めての友達相手に浮かれるのは、人間として当然の反応だ。たとえ、それがあの遠野だったとしても。


 鶫は大きな溜め息を吐きだすと、遠野に向き合って口を開いた。


「……遠野さんが寝るまでだったら、部屋にいてもいいです。でもそれ以上は無理ですからね」


 そう言って鶫は諦めた様に笑った。

 別に遠野に同情したわけではない。何も事情を理解していない鶫がそんな風に思うのも遠野に失礼だし、何よりも遠野が詳細を話さない以上首を突っ込むことも出来ない。


 ――けれど、友人・・のささやかな夢くらい叶えても罰は当たらないだろう。鶫はそんな風に自分を誤魔化した。元々鶫は女性に対しては甘い男だ。当然の結果ともいえる。


 鶫がそう答えると、遠野はパっと笑みを浮かべた。


「本当に!? 嬉しいわ!!」


「わっ、ちょ、み、密な接触は困ります……」


 言葉と共に抱ついてきた遠野から逃れつつ、鶫はそっと顔を逸らした。

 ……あくまでも、遠野は友人である。変な気を起すわけにはいかない。それも、恐らく遠野の友人に対する意識や情緒は幼女並みだ。慎重に対応しなくてはいけないだろう。


 抱擁を躱された遠野は、不満そうに頬を膨らませながら鶫の手を両手で掴むと、歌うような声で言った。


「もう、葉隠さんは意地悪なんだから。――ああでも、もう友人なんだから葉隠さんと呼ぶのも他人行儀ね。なら鶫と呼んでもいいかしら? もちろん外ではちゃんと桜の方で呼ぶわ。それに私のことは遠野じゃくてすみれと呼び捨てにして頂戴。あとは敬語を外してもらって――」


「は、早い早い、距離を詰めるのが早いって……!!」


 ――そ、想像以上にグイグイくるなこの人。

 鶫はほんの少しだけ自分の選択を後悔しながら、押し迫る遠野から身を逸らした。見た目は完璧な美女なくせに、こんな子供みたいな姿を見ることになるとは思ってもいなかった。


 ――でも、今の方がずっと人間・・らしいな。

 何となく鶫はそう思った。初めて会議で会った時のように、悠然と振る舞うよりもずっと感情豊かで可愛らしい。まあ、こんなことを年上の女性に思うだけで失礼なのかもしれないが。


 この後鶫は、遠野が風呂に入っている間は退出し、両手いっぱいのお菓子を抱えて部屋に戻ってきた。

 なお、遠野が風呂に入る前に「今は女の子の体なんだから」と遠野が言い出してひと悶着あったことは秘密である。

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