閑話 夏休み直後の部活の一コマ

 夏休み初日。学校での授業こそないものの、夏にある大会に向けて運動部は部活に精を出していた。千鳥の所属する剣道部も例にもれず、初日から厳しい練習に励んでいる。


「――今日の練習は以上で終了とする! 各自片付けに入るように!」


 部活の顧問がそう告げ、部員たちはぜぇぜぇと荒い息を吐きながら頭を下げた。まさに疲労困憊といったところだろうか。


 面を取り、息を整えながらタオルで汗を拭いていた千鳥は、そんな光景を見て小さく笑みをこぼした。


――みんなとても頑張ってるから、この調子なら夏の大会でも良い成績が取れるだろう。……今年の二月に部の主力である自分が大会に出られなくなって、部活の皆には色々と迷惑をかけてしまったが、持ち直してくれて本当に良かった。そう考え、千鳥は苦笑しながら目を伏せた。


 魔法少女として政府に登録されている千鳥は、規定により大会参加資格を失っている。

 神様と契約した魔法少女の体は、個人差はあるが魔獣と戦いを重ねるごとに動きやすいように最適化され、普通の人間よりも身体能力が遥かに高くなるようになっている。そんな規格外の人間が、一般の大会に出られないのはある意味当然のことだ。

……試合に出られないのは少しだけ悲しいが、それは納得するしかない。


 タオルを床に置き、周りに人がいないことを確認してから軽く竹刀を下に振り下ろす。そんな単純な動作ですら、以前とは比べ物にならないくらいの威力と精度がある。あまり魔獣と戦っていない千鳥ですら、ここまでの恩恵があるのだ。


 高ランクの魔法少女――それこそあの遊園地で戦っていた壬生は、もっとずっと鋭くて速かった。まさにあの姿が、魔法少女としての理想形なのだろう。


 千鳥がそんなことを考えながら自身の周りの片づけをしていると、同じ場所で稽古をしていた男子剣道部の後輩が側に駆け寄ってきた。


「七瀬先輩。道場の前に鶫先輩が来てますけど」


「えっ、鶫が? 何かあったのかしら」


 千鳥が不思議そうに首を傾げると、後輩は続けて言った。


「鶫先輩が言うには、芽吹先輩から差し入れを預かってきたそうですよ。なんか大きなクーラーボックス六つくらい抱えて死にそうな顔をしてました。うちの先輩たちに遊ばれてるんで、できれば早めに行ってあげた方がいいですよ」


「……そう。鶫ってばまたけい先輩に仕事を押し付けられたのね」


 入り口付近の窓を見てみると、重そうな荷物をいくつも持った鶫が、男子剣道部に所属しているF組の男子に話しかけられているのが見えた。だが、彼らは荷物を運ぶ手伝いに来たようには見えない。……早く荷物を降ろさせてあげないと流石に可哀そうだ。


「教えてくれてありがとう。ついでで悪いんだけど、顧問の先生にも差入れの件を伝えてもらってもいいかしら?」


「了解っす。七瀬先輩もお疲れ様でした」


 後輩は千鳥に向かって頭を下げると、顧問の元へと歩いて行った。千鳥はそれを見送ると、急いで剣道場の入り口に向かった。


 入り口に近づくと「これ中に何入ってんの?」「最近CMでやってるスポドリ。赤いパッケージのやつ」「えっ、あれって結構高いじゃん? さっすが芽吹先輩だわ」と鶫たちの話す声が聞こえてくる。


 仲が良さそうな割に手は貸さない辺りはあの子たちらしいな、と思いながら千鳥は鶫に声を掛けた。


「暑いのに来てくれてありがとうね、鶫」


「ああ、千鳥もお疲れ。今日はずっと練習だったんだろ? 先輩から差し入れを預かって来たから受け取ってくれ。……正直もう肩が外れそうなんだ」


 大きな溜め息を吐きながらそう言った鶫は、周りでケラケラと笑っている友人たちをジロリと睨み付けると、軽く荷物を抱えなおした。


「本当にすごい量ね。重いでしょうから、中に入って荷物を降ろしましょう? ほら、私も一つ持つわ」


 千鳥はそう言って荷物を受け取ろうとしたが。周りにいた鶫の友人たちが「千鳥ちゃんにこんな重いものを持たせるわけにはいかない」と言い張って鶫から荷物を奪っていってしまった。こちらが全く口をはさめないくらいの早業だった。


 急に荷物を盗られた鶫は「マジかよこいつら。調子が良すぎるだろ……」と呟いて呆れた顔をしている。……少々可哀そうな気もするが、もしかしたら男の子同士の接し方というのは大体こんなものなのかもしれない。


 そんな不満そうな鶫の顔を見て、千鳥は苦笑しながら言った。


「良かったら鶫も中に入って休んで行って。荷物が重くて疲れたでしょう?」


「いや、俺は部員ってわけじゃないし他の皆にも悪いだろ。もしそれで差入れが足りなくなったら困るしさ。あ、それとクーラーボックスは芽吹先輩の家に着払いで送り返して構わないって言ってたから、後はよろしく頼むな」


 そう言って鶫は断るように軽く手を振った。どうやら鶫本人としては荷物を持ってくるまでが仕事で、後のことには関わるつもりが無いらしい。


……でも、そんなのは寂しすぎるだろう。先ほど中に入って行った鶫の友人たちだって、まさか鶫がこのまま帰るなんて思っていないはずだ。鶫の優しさは確かに美徳だが、もう少しくらい我儘になってもいいと思う。千鳥はそう考えながら、鶫の手を取った。


「大丈夫よ。それに芽吹先輩だってちゃんと鶫の分を見越して用意をしていると思うから。ほら、行きましょう?」


「でもその、本当に大丈夫か? 俺、千鳥の後輩とかには結構嫌われてたと思うんだけど」


 鶫は千鳥に手を引かれながら、戸惑いつつもそう言った。もしかしたら、剣道場の中に入りたがらない理由はそちらの方が大きいのかもしれない。


「もしかして、二月の件を気にしてるの?」


「まあ、少しだけ。……あの時は派手に泣かれたから、危うく問題になりかけて冷や冷やしたよ。あれからは出来るだけあの子らを刺激しないように避けてたけど、中に入ると流石にそうもいかないからさ」


 鶫はそう言うと、疲れた様にため息を吐いた。


――二月の中頃。魔法少女になってしまった千鳥が大会に出られなくなったと聞いて、特に千鳥のことを慕っていた後輩の何人かが、鶫のことを責め立てる事件があった。


 言ってしまえば、その子たちは大好きな先輩と一緒に大会に出られなくなってしまった憤りを、誰かにぶつけたかっただけなのだろう。普段から温厚そうに見える鶫は、そういった意味でも八つ当たりに都合が良かったのかもしれない。


 その後輩たちは人気のない所に鶫を呼び出して、あの日に遊園地に行ったことや、千鳥を戦わせたことを責めたらしい。

 後から鶫に聞いた話では、本人たちも半分八つ当たりだと理解していたのか、最後の方には泣き出して鶫の方が慰める側にまわったそうだ。……自分達が呼び出したくせに本末転倒である。


 彼女達の泣き声で人が集まり始めた頃には、当人たちの間では一応の和解は済んでいたらしいが、鶫は気まずいのかそれからはあまり接触しないようにしているようだ。


 一方後輩たちは、色々な人に叱られて深く反省したのか、もう一度ちゃんと謝りたいと言っているのだが、鶫が避けているのもあって中々タイミングが合わないらしい。

 まあ、恐らく鶫の友人たちや鶫のことを好意的に見ている部員たちが配慮をして、その子たちを近づけさせないようにしているのだろう。これについては千鳥としても思うところがあるので、いくら可愛い後輩であっても手を貸すつもりない。


 そんなことを考えながら、千鳥はくすりと笑って言った。


「あの子たちも、あの時のことはちゃんと反省しているから。鶫が気にする必要はないわ」


「そうか? なら別にいいんだけどさ」


「ええ。それに片付けももうすぐ終わるだろうから、少し休んだら一緒に帰らない? ふふ、久しぶりに外食して帰るのもいいかもしれないわね」


「それいいな。何が食べたい?」


「うーん、今日はとっても疲れたからがっつり食べられるものがいいかも。――そうだ、その時に来月の計画も立てましょう? 夏が終われば私も引退だし、時間が取れる様になったらまた一緒にどこかに出かけたいわ」


――ここ半年は色々と問題が多かったのと、千鳥の部活と政府での仕事、そして鶫のバイトなどもあってあまり二人で過ごす時間が取れていなかった。……前回の映画はあんなことになってしまったし、この夏休みは仕切りなおすにはいい機会だろう。


 千鳥がそう告げると、鶫は穏やかに目を細めて「それは楽しみだな」と言って笑った。


 微笑ましいはずの日常の一コマ。

 でも、その鶫の笑顔が――どうしても【さくらお姉ちゃん】にダブって見える。


 笑うときに首を少しだけ左に傾ける癖や、困ったときについ首に触れる癖。自分とは違うその些細な仕草に、遠い過去に置いて来てしまった誰かの幻影をみる。


――陽だまりのような笑みを浮かべ、慈しむ眼で千鳥たちを見つめていたあの人は、今の自分たちを見て何を思うのだろうか。


 そんな感傷に胸に鈍い痛みを感じながらも、千鳥は繋いでいた鶫の手をぎゅっと強く握りしめた。

――時々、鶫がどこかへ消えてしまう夢を見る。散り際の桜が風に飛ばされて遠くへ消えていくように、鶫が目の前からいなくなってしまう夢。まるで何かを暗示しているかのように鮮明なその夢は、千鳥の心に暗い影を残していた。


 けれど、そんな不安を振り払うかのように千鳥は笑って言った。


「さ、早く行かないと余った分まで取られちゃうわ。急がないと!」


 そうして鶫の手を引きながら歩く。十一年前の時から比べると、お互いに姿かたちは変わってしまったけれど、それでも変わらないものは確かにある。


――あの日、炎の中を駆け抜ける私のことを信じてくれたように、鶫は絶対にこの手を振りほどかない。

 それにたとえ血が繋がっていなかったとしても、七瀬鶫は――千鳥にとって誰よりも大切な家族なんだから。

 そう思い、千鳥は自分の心を奮い立たせた。



――けれど、人の想いは絶対ではない。

 もし彼女ちどりが自分の過去を思い出してしまったとき、仇の親族である鶫のことを彼女はどう思うのだろうか。


 愛おしい家族。都合の良い偽りを植え付け、平穏を引き裂いた女の弟。愛と憎しみ――彼女ちどりは一体どちらを選び取るのだろうか。


――選択の時は近づいている。


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