第113話 変わらないもの

 病院に運び込まれてから一夜が明け、朝の検査でも問題無しと診断を受けた千鳥は、誘拐事件の事情聴取のため政府へとその足で出かけて行った。


 それを病院の前で見送った鶫は、陰鬱な思いを抱えながらゆっくりと帰路についた。その際に珍しく転移の力を使わなかったのは、少しだけ考える時間が欲しかったからだ。


――千鳥は、鶫にそばにいて欲しいと言った。少なくとも、彼女の記憶が戻らない間はその気持ちは変わらないだろう。だって千鳥は、鶫のことを本当の弟だと信じているのだから。


 千鳥の記憶がいつ戻るのかは分からない。それは明日かも知れないし、一生戻らない可能性もある。……その不確かな未来に怯えて暮らすことが、鶫にとっての罰なのかもしれない。


 そうして電車やバスで時間をかけて移動し、鶫はようやく家の前へとたどり着いた。家の中からは、よく見知った気配――ベルの存在を感じる。


――ベルは、この記憶の話を聞いたら一体どんなことを言うのだろうか。それが、とても気になった。

呆れるだろうか。それとも軽蔑するだろうか。もしくは興味が無いと言って全く取り合わないかもしれない。ただ、見捨てられることだけが心の底から恐ろしかった。


 千鳥との血の繋がりが消えてなくなった今、ひとりぼっちの鶫が心から縋れるのは、契約神であるベルしかいない。そんな最後の心の支えとも呼べる存在に見捨てられたら、何とか踏みとどまっていた鶫の心は簡単に折れてしまうだろう。


 そこまで考えて、鶫は小さく首を横に振った。


「違う。ベル様だけは――俺の神様だけは、ぜったいに離れてなんかいかない」


 胸の上を強く握りしめながら、鶫は小さな声でそう呟いた。


 偉そうで、我儘で、いつも無茶ばかりを言う鶫の神様。でも鶫は、そんな唯我独尊を地で行くような神様が、鶫のことをそれなりに大事に思っていてくれていることを知っていた。


――信じよう。ベル様だけは、きっと大丈夫だって。


 そして鶫は気合を入れる様に大きく息を吐くと、真剣な顔をして玄関の扉を開けた。すると、もの凄い勢いでリビングから怒声が聞こえてきた。


「遅い! 我の呼び出しに時間をかけるなど、随分と良いご身分になったものだな!!」


 リビングから顔を出したベルが、怒ったような顔をして鶫のことを睨み付けてくる。その良くも悪くもいつもと変わらないベルの言動に安堵を覚えながら、鶫は苦笑して部屋の中に入っていった。


「ごめん、ベル様。色々と考え事をしていたら少し遅くなった。……あのさ、ベル様にも話をしておきたいことがあるんだけど、いいかな?」


 鶫が躊躇いがちにそう告げると、ベルは訝しそうに片耳を下げて不遜に言った。


「ふん? まあいい、話してみろ。我は寛大だからな」


 そう言ってあっさりと許可を出したベルは、大きなソファにどっかりと腰を下ろし、鶫に続きを話すように促した。


「ああ。まずは昨日の話からなんだけど――」


 そうして鶫が昨日起こった事、思い出した過去の記憶、十一年前の大火災の真実や鶫と千鳥の本当の関係の事などを告げると、ベルは小さな手で自分の額を押さえ、深々とため息を吐いた。


「つまり、なんだ。貴様は贄として育てられた子供で、あのいけ好かない白兎の契約者は、貴様の姉ではなく儀式に巻き込まれただけの赤の他人だったと。……気まぐれに試練を課す暇な神が多かった時代でもあるまいに、よくもまあそんなにも不幸が集中するものだな」


「……俺だって、まさか自分にこんな大それた事情が隠されてるなんて思ってなかったよ」


 力ない声でそう呟くと、鶫は俯いて床を見つめた。昨日受けた衝撃からは、普通の受け答えが出来るくらいには立ち直っているが、それでもやはり陰鬱な気分は消えない。


――きっと、何も知らない方が幸せだった。過去なんて調べずに、与えられた日常をただ享受していれば、こんな辛い思いなんてしないで済んだだろう。


 危ない時に力を貸してくれた『さくらお姉ちゃん』の事を知りたいと思ったことは後悔していないが、それでも、と考えてしまうことは止められない。


「だが、妙だな。なぜ天照の狗はわざわざ貴様の記憶を蘇らせた? そんなことをして何の得があるというのだ」


 不満そうにそう告げるベルに、鶫は静かに首を横に振った。


「それは俺にも分からない。……ただ、あの時火傷の女性の体を借りていた神様は、千鳥の事を『あかねの娘』と呼んでいた。俺は、その名を持つ魔法少女のことをたった一人しか知らない」


「――朔良紅音か。確かに言われてみれば、似ている気もするな」


 ベルが答えたその名前に、鶫は静かに頷いた。


――記憶が戻ってから、ずっとあの火傷の女性の事を考えていた。

 イレギュラー戦にも出てきた、謎の女性。あかねという名前と、使っていた能力の奇妙な符号。普通に考えれば、とうの昔に死んでいた人物が出てくるなんて到底あり得ない話だと思うが、鶫の中の何かが、それが正解だと声を上げている気がするのだ。


「ああ。少なくとも俺はそう思っている。……そう考えると、朔良紅音が魔獣と相打ちになったっていうのは偽装だったのかもしれないな。それに結界の外で大立ち回りをするなんて、それこそ十華クラスの実力が無ければ出来る事じゃない。消去法から考えても、あれは朔良紅音だった可能性が高いと思う。つまり、あの神様は……」


 かつて朔良紅音と契約していた神であり、今は遠野すみれの側にいる天照の側近――八咫烏やたがらす。あの神様は彼だった可能性が高い。それに天照の次に強い権力を持つ八咫烏ならば、人ひとりの死を偽装するくらい簡単にこなせただろう。


……誰しもが認める英雄だった朔良紅音が、何を思って自身の死を偽装したのかなんて鶫には分からない。だがそんな風に、周りの目を欺いてまで手にいれた彼女の十年の平穏を壊したのは、間違いなく鶫と鶫の姉に責任がある。


 そこまで考えて、鶫は胸の痛みに耐える様にぐっと強く自身の手を握り込んだ。


「……やっぱり、俺は恨まれていたのかもしれないな。自分の契約者を、――大切に思っていた人が死ぬ原因になった奴が、その娘と幸せそうに暮らしてるなんて普通は許せないだろうから」


 鶫が諦めた様にそう言うと、ベルは怪訝そうな顔をしながら口を開いた。


「どうだかな。他の雑多の神が考えることなんぞ、我には理解できん。――それに、別に貴様がそこまで気に病むことでもないだろうに。結局は死んだ奴らが悪いのだ。生き残った貴様がとやかく言われる謂れはない」


 そうはっきりと身も蓋もない事を言い出したベルに、鶫は苦笑して答えた。


「それは少し極論の様な気もするけど」


「何を言う。そもそも人間の歴史はずっとそう・・だったはずだ。負けた側が淘汰され、勝った方が上に立つ。そしてそれは神の世界でも変わらない。負けた側にいつまでもみっともなくしがみ付くなど、情けない事この上ないからな。貴様の様に、死んだ者のことをいつまでも気遣う方がおかしいのだ」


 戸惑う鶫に、ベルは腕を組みながらふん、と鼻を鳴らしながら続ける。


「何をそんなに落ち込む必要がある? 今の貴様は我の契約者であり、それ以上でもそれ以下でもない。そんな下らないことで悩むくらいならば、全部忘れて我にもっと尽くせばいいだろうに。本当に面倒な人間だな、貴様は」


 そのベルの気持ちがいいほど自分本位な言葉に、鶫はぽかんと大きく口を開けると、ふふっと堪えきれない笑い声が口から洩れた。


「ふ、っふふ、ベル様はほんと、しょうがないなぁ」


 鶫のことを気遣ってわざとそんなことを言っているのか。それとも本当にそう思っているのか。――恐らくはその半々だろう。


 きっとベルは、鶫の過去をそこまで重要視していない。ベルが見ているのは、鶫の『今』だけだ。その清々しい程に単純な真実に、心の底から安堵を覚える。


 ベルは鶫が無様な行動をとらない限り、鶫のことを見放さない。たとえ鶫が大罪人だったとしても、それは変わらないのだ。――本当に、人の心を掴むのが上手い神様だ。


「なんだいきなり笑いだして、気持ち悪い。……それにしても、天照の狗が何をしようとしているのかが気になるな。そいつの動きによっては、我が前に出る必要も出てくる。まったく、貴様は厄介な事ばかりを呼び込みおって」


「う、それは悪いと思ってるけど……」


 面倒くさそうに告げたベルに、鶫が申し訳なさそうな顔をしてそう返すと、ベルは小さな笑みを浮かべて優しい声で言った。


「まあいい、どうせこの世は泡沫の夢だ。たまには哀れな下僕の為に面倒事に付きあうのも悪くない。――精々我を飽きさせない様にするんだな」


「分かっているよ、俺の情け深い主。――貴方のお陰で、俺は真っすぐ立っていられるんだから」


 そう言って鶫は、恭しくベルの前に膝をついた。ベルは満足そうな顔をして鶫のことを見下ろしている。そんな下らなくて神聖ないつものやり取りが、鶫はとても好きだった。


 変わっていくもの。崩れていくもの。壊れていくもの。たとえ運命に翻弄されることしか出来なかったとしても、それでも変わらないものがあると信じたかった。





◆ ◆ ◆




――七瀬鶫という特異点を中心に、ゆっくりと戯曲は進んでいく。錯綜する数多の策略の中で、彼らはどんな選択をすることになるのか。それは、きっと神ですら予測することが出来ないだろう。




あとがき――――――☆☆☆

これにて第四章が終了となります。


鶫君の過去と、各陣営の様子が少しずつ明らかになってきましたね。持っている情報の差異で思い違いをしたり、奇跡的なニアピンをしたりと、色々と思惑が錯綜しております。


いくつかの陣営がぶつかることになる、動乱の五章もどうかよろしくお願いします。


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