第112話 月夜の共犯者
――青白い月が昇る夜の高層ビルの上で、一人の少年が空を見上げていた。
「かくして囚われのお姫様は助け出され、哀れな生贄は失われた記憶を取り戻し、太陽の巫女は重い腰を上げて動き始めた。……うーん、これからはちょっと動きにくくなりそうだなぁ。ただでさえ時間があんまり無いっていうのに」
不満げにそう告げた少年――天吏行貴は、大きなため息を吐きながらビルの縁へと座り込んだ。彼は高所にいる恐怖心など一切感じていないような気軽さで、ぶらぶらと空中で足を揺らしている。
「さあて、次はどうしようか。僕も別に万能って訳じゃないから取れる手段は限られてるし。あーあ、本当に嫌になっちゃうぜ。有象無象の羽虫共ならともかく、――どうして好き好んで大事なオトモダチを
やれやれと、辟易とした風に肩を落としながら行貴はそう言った。
そしてどこからともなく黒い手帳を取りだすと、徐に一枚のページを開きその項目の一つに大きくバツ印を書き込んだ。
「今回は他所の誘拐計画に便乗して千鳥の奴を排除しようと思ったけど、やっぱり行き当たりばったりじゃ上手くいかないな。やっぱり腐ってもあの英雄の娘ってことか。まあ随分と生き汚いことで」
そう揶揄するように呟きながら、行貴はくるりと羽ペンを指で回した。怪しい輝きを放つその鴉のような羽は、ふわりとはためく度にキラキラと月明かりを反射している。
「色々と手を打ち始めたみたいだけど、政府の連中は鶫ちゃんの
そう何となしに告げながら、行貴はとある悪魔を思い浮かべていた。
十二枚の羽根を持つ、強大な力を有する堕天使であり、世界最大の宗教の怨敵とされ、事あるごとに【悪】の代名詞に上がる、神への反逆者。
その者の名は――大悪魔ルシファー。その分霊であり、魔獣としての因子も兼ね備えた逃れ者の邪神である。
その悪魔は梔尸沙昏という人の体を手に入れ、
……もし彼女が土壇場で心変わりさえしなければ、この世は地獄そのものになっていた事だろう。そういった意味では、七瀬鶫は世界を救った英雄とも呼べるのかもしれない。
けれど、それだけで終わらないのが運命というものだ。
「どうして政府の連中は誰も気づかないんだろう? 神降ろしに失敗して、街が一つ燃えて、それでおしまい――そんな事あるわけないのにさぁ」
――あの性格の悪い大悪魔が選定し、支配下に置こうとした【神】がそんな生易しい訳がないだろうに。その残滓は、確実に世界を蝕んでいる。
彼女が呼び出そうとしたのは、この日本という極東の地に根差し、今もなお深い信仰を集めているが決して天照にまつろわぬ闇側に属するモノ。荒神を祀るこの国の中でも上位に位置し八百万を超える神々の中でも得体が知れない、魔獣の在り方に最も近い存在。
――境界を司る神、ミシャグジ。まさに天の裂け目を掌握するには相応しい
「鶫ちゃんに、千鳥、そして有名どころだと十華の吾妻かな? あの日、赤い焔に巻かれた魔法少女たちは皆『転移』に関係する力を持っている。――どう考えても、降ろした神の影響としか思えないのに。天照の連中も平和ボケで
――境界を司る神は、彼らの中に巣食っている。その中でも一番侵食が深いのは、間違いなく七瀬鶫その人だった。
儀式の際に一番近くにいたこと。そして、生まれてからずっと贄としての調整を受けていた彼は、最高の器として機能した……
神の器になった者の末路は昔から一つと決まっている。魂を食まれ、元の人格は消滅し、個人の尊厳も何もかも全て踏みにじられ、まったく違うイキモノへとなり果てる。
だからこそあの大悪魔――一人のバカな女は、その魂ごと全てを投げうって彼を守ったのだろう。たった一人のちっぽけな人間の為に。
ミシャグジの侵食が始まった瞬間に鶫の魂を己の魂で覆い、力業で侵食を食い止めた。それによって自分が消滅することを知りながらだ。並大抵の覚悟で出来ることではない。
「梔尸沙昏の中にいたのは
そう言って、行貴はケタケタと嘲るように笑った。
だが、彼女のその献身も結局は時間稼ぎでしかない。彼女が命を懸けて作り上げた守りは今や儚く擦り切れ、わずかに残っていた自我さえもミシャグジに呑まれつつある。
長くて一年、短くて半年。それが彼らに残された時間だった。
もし鶫が魔法少女になってさえいなければ、魂の摩耗をもう少し遅らせることが出来ただろうが、結末が伸びるだけで末路は変わらない。
「あーあ、なんて可愛そうな鶫ちゃん。あんな奴の弟に生まれたばっかりにこんな目に遭うなんて。……そうじゃなきゃ、僕だってこんなことをしなくても良かったのに」
そうして行貴――政府の手から逃れ、人の体を借り受けて暮らす邪神の一柱は、普段の彼からは想像できない程に悲し気に俯いた。
――鶫の中から感じる同胞の気配に惹かれ、興味本位で彼に近づいた。最初はただ、それだけだったのだ。
それが紆余曲折を経ていつしか共にいる様になり、まるで見えない糸に絡めとられるかのように、本当の友達のように過ごすようになっていった。
……それを不思議と心地よいと思ってしまったのは、入れ物にしている人間の情動に引きずられてしまったからなのだろうか。
この言葉にできない気持ちを何と呼べばいいのか、行貴――邪悪を冠する悪魔には分からない。友愛と呼ぶには薄汚く、執着と呼ぶにはあまりにも純粋すぎた。
けれど一つだけ言えることがある。いずれ来る鶫の末路に気が付いた時、行貴が感じたのは間違いなく『絶望』だった。
だから、行貴は決めたのだ。七瀬鶫は――こんな行貴のことを友人と呼ぶ鈍くて愚かな
策を弄し、手を変え、時には自身の中に渦巻く魔獣の因子を使って天の裂け目に干渉し、鶫を殺そうとした。そのついでに邪魔な人間達も消そうと思っていたのだが、それも全てことごとく失敗に終わってしまった。
無意識の内に手を抜いてしまっているのか、それとも純粋に鶫の運が良いだけなのか。どちらにせよ、それ以外の方法が見つからない限りは行貴が止まることはない。
「やっぱり今後のことも考えてもっと共犯者を増やした方が無難かな。今の奴も悪くないけど、目的が合わない事の方が多いし。……どうせ今回のことも文句を言われるんだろうなぁ。あーめんどくさい」
そう言いながら行貴がだるそうに頭を抱えていると、背後から、ざり、と何か小さな物が動く様な音が聞こえてきた。
「――また私の契約者にちょっかいを出したのか。お前も懲りないな」
その単調な声に、行貴は器用に背を反るようにして頭だけ振り返り、軽薄な笑みを浮かべながら軽い声で言った。
「あはは、でも止めたりはしないんだ。薄情だねぇ、
その問い掛けに白兎――千鳥の契約神である月読は何も答えずに、行貴の方に向かって手に持っていた物体――黒い羽根を投げつけた。
「千鳥の持ち物に紛れ込んでいた。悪運を操る呪いか、趣味が悪いな。……あまりあれを虐めてやるな。あんなにも健気に生きているのに可哀想だろう」
「健気? 無知の間違いだろ。――それに、お前だけにはそんな事を言われたくない。お前だって、自分の目的の為に彼らを利用しているくせに。下手に味方ぶっている分、僕よりも質が悪いね」
行貴が責めるような口調でそう告げると、月読は何かに耐える様に目を伏せて口を開いた。
「……全ては大義の為だ」
「あっそ。別にどうでもいいけど。――さて、もう一度お互いの目的をすり合わせようか気狂い兎。大事な姉を欺いて、こんな醜悪な悪魔と組んでまでお前は一体何をしたいんだい?」
嘲るように問いかけた行貴に対し、月読は静かに前を見据え、しっかりとした声で答えた。
「――
そう言って、月読はうっそりとした笑みを浮かべた。それは愛か、はたまた狂気か。それを知るものは、誰もいなかった。
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