第101話 消えゆくモノ

 鶫がアザレアと一緒に千鳥の所へ戻ると、行貴はもうその場には残っていなかった。


「行貴はいない、か。待ってる間、変なことは言われなかったか?」


 辺りを見渡しながら鶫がそう問いかけると、千鳥は小さく笑って首を振った。


「ううん、天吏君はあの後すぐに帰ってしまったから。……あの、鶫。もしかして後ろにいる子って」


「ああ、紹介するよ。彼が芽吹先輩が言っていた遠縁の、アザレア・レークス。千鳥に会ってみたいって言うから連れてきたんだ」


 鶫はそう言うと、斜め後ろに立っていたアザレアの手を引き、千鳥の前へと連れ出した。前に出たアザレアは人好きのする笑みを浮かべると、右手を差し出しながら千鳥に挨拶をした。


「初めまして、七瀬千鳥さん。お会いできて嬉しいです。実は、貴女のことは恵からよく話を聞いていたんですよ」


「こちらこそよろしくお願いします。ええと、恵先輩は私のことをどんな風に言っていたの?」


 千鳥はおずおずとアザレアの手を握り返し、不安げな表情を浮かべそう聞き返した。……恐らく、芽吹がどこまで話しているのか気になっているのだろう。


――千鳥が魔法少女であることは学校内では公然の秘密となっているが、あまり詳しい部分までは知られていない。あの芽吹のことだから話しても問題ない事柄以外は伝えていないだろうが、それでもやはり心配だった。


 そんな二人の不安をよそに、アザレアは至って普通な様子で話し始めた。


「――確か、千鳥さんは外国の文学に興味があるんですよね? もしよければ、僕が持ち込んだ本をお貸ししますけど」


「え、本当に!?」


 アザレアが告げた言葉に、千鳥はパアっと顔を輝かせ、嬉しそうにそう問いかけた。


「はい。どんな本が好みか分からないので、今度リストを持っていきますね。英語とドイツ語、それとイタリア語なら僕もそれなりに話せるので、もし分からない言い回し等があったら気軽に聞いてください」


「わあ、ありがとう! 語学関係は独学だと分からないことも多かったから、そう言って貰えると嬉しいわ」


 そう言ってニコニコしながらアザレアに話しかける千鳥を見つめながら、鶫は小さくため息を吐いた。魔法少女の件は杞憂だったが、これはこれで複雑である。

 千鳥が素直に喜んでいるのは微笑ましいが、自分のついていけない話で盛り上がられると、少しだけ寂しいものがある。


 千鳥とアザレアが好きなジャンルの本について和気藹々と話している横で、鶫はジッと時計を見つめた。


――観ようとしている映画の上映まで、あと三十分。移動やチケットを買う時間を考えると、そろそろ動き出した方がいいだろう。


「ごめん、千鳥。そろそろ時間だ」


 鶫がそう告げると、千鳥はハッとした表情で時計を見つめた。


「あら、本当ね。――今日はお話を聞かせてくれてありがとう、レークス君。また学校でも話しかけてもいいかしら?」


「ええ、喜んで。――この後はどちらに行かれるんですか?」


「鶫と映画を観に行くの。レークス君は?」


「僕はこのまま帰ろうと思います。七瀬君にも迷惑を掛けてしまいましたし……」


 そうしおらしく肩を落とすアザレアを見て、千鳥が同情したように表情を曇らせたので、鶫はふと思いついたことを口にした。


「――もしアザレアがよければ、このまま一緒に映画に行かないか?」


「え?」


「いや、別に嫌ならそれでいいんだけどさ。観るのは恋愛映画らしいし」


 急な鶫の誘いに驚いた様に目を瞬かせるアザレアに、鶫は取り繕う様にそう言った。よくよく考えてみれば、普通の男子高校生が恋愛映画を好んで観るはずがない。アザレアだって誘われても迷惑だろう。

 鶫はそう考えていたのだが、予想に反してアザレアは嬉しそうに微笑んで見せた。


「いいんですか? ――ふふ。実は僕、映画館で映画を観るのは初めてなんです」


 そう言って笑うアザレアを見て、鶫はほっとした様に息を吐いた。


「そうか。じゃあそろそろ移動を――千鳥? どうかしたのか?」


 鶫が千鳥の方に顔を向けると、千鳥は動揺した風に目線を彷徨わせながら、軽く両手の指を組んでぐるぐると親指を回していた。鶫がそう問いかけると、千鳥は困ったような笑みを浮かべながら口を開いた。


「いえ、その、気にしないで……。男の子と恋愛映画を一緒に観るのは、ちょっと気恥しいなって思っただけだから」


「元々俺と観に行く予定だったのに、何を今さら」


 鶫が呆れた様にそう告げると、千鳥はムッとした様子で口を開いた。


「だって、鶫は鶫じゃない。あ、別にレークス君の事が嫌なわけじゃないからね!」


 千鳥が慌てた様にそう告げると、アザレアはおかしそうにクスクスと笑いだした。


「本当に二人は仲がいいんですね。羨ましいです」


「もう、レークス君までそんな風に揶揄うんだから」


 そう言って千鳥が不貞腐れたように頬を膨らますのを見て、鶫は小さく笑った。


――最近は何だか落ち込んでいるみたいだけど、これなら大丈夫そうだな。


 鶫自身、さくらお姉ちゃんの件で手一杯であまり千鳥のことを気にかけられなかったのだが、ここ暫く千鳥は何かに思い悩んでいる様子だった。最近は笑っていてもどこか無理をしている様な空気があったのだが、今の千鳥にはそんな様子は見受けられない。


一緒に出掛けた甲斐があったな、と考えながら、鶫は映画館へと足を進めた。





◆ ◆ ◆




 歩いて十分。ひんやりとした冷房の空気に包まれながら、鶫は額に浮いた汗を拭った。やはり七月の日差しは体に毒らしい。


 チケットを購入し、無事席を確保した鶫達は、映画のポスターを見ながら他愛もない話をしていた。そんな中、千鳥はちらりと時計を確認すると、鶫に近づいて小さな声で話しかけた。


「ねえ、鶫。私ちょっとお手洗いに行ってくるわね」


「ああ、分かった。なら俺はその間に適当に飲み物を買っておくよ」


「そう? じゃあお願いするわね」


 そう告げると、千鳥は映画館の奥にあるトイレへと歩いて行った。



――千鳥が席を外してから、早十五分。鶫は腕時計を眺めながら心配そうに口を開いた。


「……随分と掛かるな。何かあったのか?」


 飲み物を買い、鶫とアザレアの二人は大人しく千鳥の帰りを待っていたのだが、千鳥は中々戻ってこなかった。時間はもうすでに十五分近く経過しており、あと数分で映画の上映が始まってしまう。電話も掛けてみたが、電波状態が悪いのか、一向に繋がる気配はない。


「ごめん、アザレア。ここで待っててもらってもいいか? 俺はちょっと受付の人に頼んで、中の様子を見てもらってくる」


 鶫はアザレアにそう告げると、受付の女性スタッフに「姉が長時間トイレから出てこないから、様子を見てきて欲しい」と頼んだ。

……千鳥がこのことを聞いたら恥ずかしがって怒りそうな気もするが、この際仕方がないだろう。


 そして女性スタッフと共にトイレの入り口まで向かい、鶫は入り口の手前で立ち止まった。流石にこれ以上進むことは出来ない。


「では、少し見てきますね。……あら、何でこんな物がここに?」


 鶫が女性の目線の先を見てみると。道の真ん中に『立入禁止』と描かれた小さな立て看板が置いてあることに気が付いた。


「もしかして掃除中でしたか?」


「いえ、この時間帯は掃除はしていない筈なんですけど……」


 女性スタッフは不思議そうな顔をして、その看板を横に退けた。するとその瞬間、道の向こうから中学生くらいの少女が焦った様子で走ってきた。


「すみません!! 助けて下さい!!」


 少女はそう声を上げると、前にいたスタッフに震えながら縋りつき、泣きそうな声で話し出した。


「あの! 友達がトイレから二十分くらい出てこなくて! 倒れたのかと思って心配になっちゃって、わたし、周りに誰もいなかったからよじ登って上から覗いて見たんですけど、誰も入ってなくて! 壊れた携帯と白い上着が落ちてるだけで、中には誰もいなかったんです! 理央りお――私の友達は何処に行っちゃったんですか!?」


「え、あの、落ち着いてくださいお客様!!」


 そう言って女性スタッフが少女を宥めようとするが、泣いてしゃくり上げるだけで、少女は一向に落ち着きそうもない。


 そしてその様子をすぐ側で見ていた鶫は、捲し立てるように叫ぶ少女の言葉の中に引っかかるモノがある事に気が付いた。


「白い、上着?」


――今日、千鳥は白いカーディガン・・・・・・・・を着ていたはずだ。


 トイレから出てこない千鳥。落ちている白い上着。奇妙な一致に、鶫は背筋が冷えるのを感じた。


 鶫は泣いている少女に近寄り、肩を掴んで問いかけた。


「なあ、教えてくれ。君の友達も、白い上着を着ていたのか?」


 急に肩を掴まれたことに驚いたのか、少女はびっくりした様に目を見開いた。大きく開いた目から、ぽろぽろと涙が落ちていく。だが少女は言葉に詰まりながらも、鶫の質問に答えた。


「う、ううん。あの子は黒いパーカーを着てたから……」


「そうか、ありがとう」


 少女の言葉を確認すると、鶫はスッと二人の横を抜けて躊躇いもなく女子トイレの中へと入っていった。後ろから「お客様!? お待ちください!!」と叫ぶ声が聞こえたが、そんなことを気にしていられる余裕はなかった。


 手洗い場を抜け、個室が並ぶ場所へと足を踏み入れる。その中に、一つだけ閉ざされている扉があった。


 鶫は焦る気持ちを抑え、糸を操り個室の内鍵を外した。ゆっくりと祈るような気持ちで扉を開く。


――個室の中には、少女が言った通り誰もいなかった。


「千鳥、どうして……」


 鶫は呆然とそう呟きながら、落ちているモノを見つめた。


 画面が破壊され、水の中に沈む二つ・・の携帯電話と、赤い染みが点々とついた白い上着――千鳥が着ていた物と全く同じものが、床に落ちていた。

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