第100話 正当防衛

 行貴が言っていた通りに辿り着いた鶫は、周辺にある路地を片っ端から確認していった。するとその内の一つから、誰かが争っている様な声が聞こえてきた。


……もしかしたら、ここが当たりかもしれない。そう考えた鶫は、声がする方へ慎重に足を進めた。そこで鶫が見たのは、予想外・・・の光景だった。


 行貴が言っていた様に、見るからに柄の悪い男が二人、地面に縫い付けられるようして倒れていた。


――その状況を生み出しているのは、穏やかそうな金髪の少年――アザレアだった。


 男の一人は背中を足で強く踏みつけられ、もう一人は腕をひねり上げられて膝を付いており、二人とも苦痛に顔を歪めながら呻くような悲鳴を上げている。


……単純に判断すれば、絡まれはしたがそのまま力業で解決した、という所だろうか。行貴の揶揄した通り、これならば助けにくる必要はなかったかもしれない。鶫は介入するべきか少しだけ迷い、やがて諦めた様に路地の奥へと足を進めた。


 足音に気づいたのか、緩慢な動作でアザレアが足音の方向――鶫のことを見る。驚いたような表情浮かべ、アザレアは声を上げた。


「――どうして七瀬君がここに?」


 アザレアにとっても、鶫との遭遇は予想外の事だったのだろう。どことなく、バツが悪そうな空気を出している。


「あー、えっと、行貴――さっき偶然会ったクラスメイトから、この辺でアザレアが変な奴に絡まれてるって聞いて様子を見に来たんだが……、とりあえず何があったのか教えてもらってもいいか?」


 鶫が強引にそう聞くと、アザレアは困ったように眉を下げながら口を開いた。


「……この人たちがいきなり喧嘩腰で話しかけてきたんですよ。その、最初は無視していたのですが、急に怒りだして掴みかかってきたので拘束させてもらいました」


 そう言って、アザレアは逃げようともがく男の手を強く締め上げた。その容赦の無さに、鶫は思わず乾いた笑みを浮かべた。……どうやらアザレアは、鶫が思っていた以上に過激な性質らしい。


「……なるほど。状況は理解した」


 鶫は押さえつけられている男たちに近づくと、しゃがみ込んで視線を合わせ、静かな声で言った。


「大丈夫ですか? うん、目立った怪我は無いようですね。――お兄さんたちも、ちょっかいをかけるなら相手を選んだ方がいいと思いますよ。こいつ、見ての通り・・・・・ですから。あまり大事にしない方がお互いの為だと思うんですけど」


 下手に騒ぐと面倒なことになるぞ、言外に脅しながら、鶫は男たちにそう告げた。外国人絡みの事件は、色々と複雑な手続きが必要になってくる。加害者であろうと、被害者であろうとも、その厄介さに変わりはない。

 しかもアザレアの言葉を信じるならば、先に手を出してきたのは彼らの方だ。それに彼らも見たところ大した怪我はしていないようなので、お互いこの辺で手打ちにするのが無難だろう。


 アザレアに掴まれている男も同じ考えに至ったのか、苦々しく顔を歪めながらも鶫の提案に小さく頷いた。


 そして鶫がアザレアに手を放すように促すと、男はノロノロと立ち上がった。そして男は大きな舌打ちをすると、地面に押さえつけられていたもう一人の男を支え、鶫たちを睨み付けながら足早に去っていった。まるで今に見ていろ、とでも言いたげだ。


……彼らに報復をする度胸があるとは思えないが、一応アザレアの保護者である芽吹に報告を入れておいた方がいいだろう。


 去っていく男の背中をぼんやりと見つめながら、鶫は安堵した様に大きなため息を吐いた。


「気を付けた方がいいぞ。あいつ等みたいに、お前が何も悪いことはしていなくても因縁を付けてくる奴らだっているんだから。――でもまあ少しだけ安心したよ。あれだけやり返せるなら、自分の身はちゃんと守れそうだしな」


 鶫がそう告げると、アザレアは驚いた様に目を見開いた。そしてアザレアは不思議そうに鶫に問いかけた。


「……幻滅したりはしないんですか?」


「はあ? 何に?」


「いえ、普通の方が僕のこういった面を見ると、大抵距離を置かれるので」


 そのアザレアの言葉に、鶫はポカンと口を開け、まじまじとアザレアのことを見つめた。

――確かに見た目穏やかそうなアザレアが、いとも容易く悪漢を撃退していたのは意外だった。だがそれだけだ。見た目詐欺の人間なんて、鶫のクラスには沢山いる。


「これくらいのことで距離を置いてたら、うちのクラスの連中とは話すら出来なくなるぞ。あいつら今はまだ大人しくしてるけど、基本的には変な奴ばっかりだからさ」


 クラスの寡黙な文学少女が痴漢を片手で捻り上げたり、見るからに野球少年な男子生徒が自作AIの事を彼女だと言い出したり、可笑しな話題には事欠かない。それに比べれば、この程度のギャップなんて有って無い様なものだ。


 鶫がそう告げると、アザレアは何とも言えない苦笑いを浮かべながら頬を掻いた。


「あはは。恵の言っていた通り、あのクラスには面白い人達が揃ってるんですね」


「その分面倒なことは多いけど、少なくとも退屈はしないだろうな。……それにしても、アザレアは今日は一人なのか? 付き添いとかは?」


 鶫が心配そうに問いかけると、アザレアは小さく頷いて言った。


「はい。芽吹家の方に無理を言って、一人で出て来たんです。どうしても一人で街を歩いてみたくて。……でも、やはり失敗だったかもしれませんね。僕が思っていた以上に、外国人はよく見られていないようですから」


 落ち込んだようにそう口にしたアザレアに、鶫は軽く肩を叩きながら軽い口調で言った。


「さっきの連中の事はあんまり気にするなよ。そりゃ多少は嫌味を言ってくる人達もいるだろうけど、普通の奴らはそこまで気にしてないからさ。何も悪いことなんてしてないんだから、もっと堂々としてろよ」


 別にこの辺は治安が悪いわけではないが、それでもああいった連中は一定数いる。魔法少女――女性が尊重される世の中になったせいか、社会からあぶれる男性は少なくない。

 あんな風に腐るくらいならもっと頑張ればいいと鶫は思うのだが、中々そう簡単にはいかないのだろう。


「そうでしょうか……」


「そうだよ。――それにしても、アザレアはこの後どうするんだ? 流石に同じような事は起こらないと思うけど、今日はもう一人で行動するのは止めた方がいいと思うぞ。さっきの連中とまた顔を合わせたら面倒だしな」


「本当はもう少し見て回りたかったんですけど、今回は仕方がないですよね……。――そう言えば、七瀬君は誰かと一緒だったんですか?」


 ガッカリした様に肩を落したアザレアが、鶫にそう問いかけた。


「ああ、俺は千鳥――姉と一緒に買い物に来てたんだよ。もうだいぶ待たせてるから、俺もそろそろ戻らないとな……」


 鶫が時計を見ながらそう答えると、アザレアは考え込む様に右手を口に当てた。そしてニコリと綺麗な笑みを浮かべながら、口を開いた。


「もし七瀬君がよければ、帰る前に千鳥さんにお会いしても良いでしょうか? 彼女のことは恵から少しだけ話を聞いていて、ぜひとも話してみたいと思っていたんです」


「千鳥と?」


 恐らく芽吹のことだから、アザレアにも優秀な後輩――千鳥の自慢を散々したのだろう。アザレアに他意はないだろうし、映画の上映までにはまだ時間がある。少し話すくらいならば千鳥だって快く付き合ってくれるだろう。


――唯一の懸念は行貴だが、察しのいいあいつのことだから、この展開を見越して早々とあの場を後にしている可能性が高い。ならば、特に反対する理由もなかった。


「ああ、たぶん大丈夫だと思うぞ」


「本当ですか? ――嬉しいです」


 アザレアはそう言うと、安心したように微笑んだ。そして鶫はアザレアを先導するように路地から出て、千鳥の待っている場所へと歩き出した。


 その背中を観察する様に見つめながら、アザレアは小さな声でぽつりと呟くように言った。


「七瀬君は、不思議な人ですね……」


「ん? 何か言ったか?」


 鶫が、振り返りながらそうアザレアに問いかけた。アザレアは首を振りながら、「いいえ、何も」と答えた。


――彼ら・・の長い一日は、まだ始まったばかりだった。

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