第99話 言葉のナイフ

「ねえ、鶫。もしよければ、一緒に買い物に出かけない?」


 珍しく休みが重なった日の朝、鶫は千鳥にそう誘われ、二人は街まで遊びに来ていた。いつも一緒にいるのであまり意識はしていないが、こうやって二人で一緒に出かけるのは本当に久々である。


 二月の遊園地の事件以降、千鳥は政府の手伝いで忙しく、鶫は十華の対応に追われていた。しかも千鳥は政府の仕事に加え、シミュレーターでの戦闘訓練、剣道部の手伝いなど、日々忙しく動いていたので、余計に出かける時間が取れなかったのだ。


 鶫としては、もう少し仕事量を減らして体を労わって欲しいのだが、本人が楽しそうなので何も言えないままでいる。

……まあ多忙という面では鶫――葉隠桜もそう変わりはないのだが、あちらは時間の融通がきくので、まだ千鳥よりはマシである。


「次はどこに行く? あ、たまには映画なんかもいいわね」


 鶫の上着の裾を掴み寄り添って歩きながら、千鳥は楽しそうに次の予定を話している。そんな千鳥のことを穏やかな気持ちで見つめながら、鶫は笑みを浮かべた。


「千鳥の行きたい所でいいよ。――それにしても、今日は珍しく神様は一緒にいないんだな。いつもだったら絶対に付いてくるのに」


「シロ様は一緒に来たかったみたいなんだけど、今日はちょっと用事があるらしくて。……可哀そうなくらい残念そうにしていたわ」


 せめてお土産を買っていってあげないと、と言葉を続けながら千鳥は小さなため息を吐いた。どうやらこの様子だと、シロは随分と落ち込んでいたようだ。本当に、神らしくない神様である。


 因みにベルの方は、鶫が何処かへ出かけると伝えても「そうか」の一言で話が終わってしまう。ベルは基本的に、鶫個人の用事にそこまで関心がないらしい。

 ただ最近は、無駄に厄介事に巻き込まれる回数が多いせいか、定期的に状況報告をするように言いつけられているが。

……結局の所、そう考えると過保護の度合いはそう変わらないのかもしれない。


 長い間歩いていたので、少し休憩を取ろうと考えた鶫たちは、途中で美味しそうなジェラートを買い、日陰のベンチに座りながら近場で放映している映画について話し始めた。


「今はミステリーとホラーの奴が人気みたいだな。少しグロ要素が多い気もするけど」


「血が出てくるのはちょっと……。まだ、この前倒した大きなネズミが忘れられそうになくて……」


 千鳥はそう言って、気分が悪そうにそっと口を押えた。


「ああ、例のE級の魔獣か。……あんまり無理して戦うこともないんじゃないか? 別に義務ではないんだろ?」


「でも、今のままだとずっと前に進めないから。実戦を何回かこなしたら出来ることの幅も広がるみたいだから、それまでは頑張りたいの」


 そう言って困ったように笑う千鳥を見て、鶫はため息を吐いた。


――千鳥は先日、魔法少女として初めて実戦に赴いていた。それは身を守る力を身に付けたいという本人の希望と、転移の能力を強化してほしい政府側の思惑が合致したからだ。


 危ないことをしてほしくない鶫としては、断固反対したかったのだが、千鳥の真摯な懇願に折れるしかなかった。ただ、E級以上とは戦わないことを約束してくれたので、それだけが救いである。


 そして千鳥は一応何度もシミュレーターで戦闘訓練を重ねて、これならE級相手なら余裕だろうと太鼓判をもらった上で出動したのだが、やはり実戦は色々と堪えたらしい。千鳥の戦っている映像を鶫も後で見せてもらったが、最後の方は顔を真っ青にしていたくらいだ。


「じゃあ後残ってるのは恋愛物とコメディか」


 鶫がそう呟くと、千鳥が恥ずかしそうに頬を染めながら、囁くような声で言った。


「あの、もし鶫が嫌でなければその恋愛物でもいい? 実は前から少しだけ気になってたの」


「ならそれにするか。時間は一番早いので三時からだから、それまで時間を潰さないとな。――俺はあんまりよく知らないんだけど、どんな話なんだ?」


 鶫がそう問いかけると、千鳥は少しだけ慌てた様に視線をさまよわせ、困ったように微笑んだ。


「えっと、事前情報がない方が面白いと思うから、観てからのお楽しみでいいんじゃないかしら? その方がいいわよ、きっと」


「そうか? まあ、千鳥がそう言うなら」


 何か釈然としないものを感じたものの、千鳥の言う事ならばと鶫は納得した。

そうして二人が他愛もない会話に花を咲かせていると、前から見知った人物が歩いてくるのが見えた。


「あれ、鶫ちゃんと千鳥ちゃんじゃん。偶然だね」


「行貴。珍しいな、今日は一人なのか?」


 ふらりと気軽な様子で鶫たちに近寄ってきた行貴は、へらりと軽薄な笑みを浮かべながら口を開いた。


「ひどいなぁ。僕だって別にいつも女の子と一緒にいるわけじゃないって」


「いや、そこまでは言ってないんだが……」


「まあ、今日はちょっと街に用事があっただけだしね。用事はもう終わったし、今日はもう帰ろうと思ってた所なんだ。途中で嫌な物も見ちゃったしさぁ」


 行貴はそう言うと、大仰に肩を竦めた。


「なんだ、クラスの連中にでも会ったのか?」


「その方がまだマシだって。反対側の通りで、例の転入生を見ちゃってさ。休みの日まで勘弁してほしいよね」


 行貴がため息を吐きながらそう言うと、黙っていた千鳥が口を開いた。


「その、転入生って芽吹先輩が話してた外国の子のことよね? 誰かと一緒に遊びに来たのかしら」


「さあ? ぱっと見た限りは一人だったみたいだけど。あ、でも何かガラの悪いのにしつこく話しかけられてたっぽいね。なんかアイツ図太そうだし、それくらいどうにかなるんじゃないかな? まあ、僕には関係ないけど」


 さらりと告げられた言葉に、場の空気が凍る。……軽く話しているが、行貴の話だとアザレアが大分困ったことになっているように取れる。


……普通に考えれば、日本に来てあまり時間が経っていないアザレアが一人で行動するとは考えにくい。忙しい芽吹はともかく、付き添いの人間がいないのはあまりにも不自然だ。はぐれて迷子になったという可能性も捨てきれないが、今それを考えても仕方がないだろう。


――芽吹先輩から、頼まれているからなぁ。そう思い、鶫は小さなため息を吐いた。知らないままなら気にしなかったのだが、知ってしまった以上は動くしかない。面倒ごとの種だとは分かっていたが、このまま見て見ぬふりをするわけにはいかないだろう。


「……ごめん、千鳥。俺ちょっと行ってくる。何も無かったらすぐに戻ってくるから」


「うん、私もその方がいいと思うわ。――でも、気を付けてね。最近は本当に物騒な人が増えてるみたいだから」


 少しだけ不安そうな表情を浮かべながら、千鳥は鶫にそう言った。その言葉に頷きながら、鶫はベンチから立ち上がった。


「あれ、本当に行くの? 鶫ちゃんは人がいいなぁ」


「そこはせめて優しいって言ってくれ。……千鳥に変なちょっかいを出すなよ」


「はいはい、早く行きなよ。時間は有限なんだから」


 そう言って行貴は鶫の背中を両手で押すと、にこやかに手を振って鶫を送り出した。

――この場に行貴と千鳥を二人きりで残していくことに多少の不安はあったが、きっと千鳥ならば大丈夫だろう。そう判断した鶫は、振り返らずに反対側の通りへと足を進めた。





◆ ◆ ◆





 走っていく鶫の背中を見つめながら、千鳥は残念そうにため息を吐いた。

 鶫の性格を考えれば仕方がないことだとは分かるが、それでも不満に思う気持ちは消えない。折角のお出掛けだったのだ。残念に思わない方がおかしい。


――そして何よりも、気掛かりなことがある。そう思い、千鳥はすぐ側に立っている天吏のことを見上げた。


……鶫には言ったことはないが、千鳥は天吏のことが好きではなかった。

人を好んで傷つける軽薄な性格と、鶫を振り回す傲慢さ。そして何よりも、鶫がいないところでふとした瞬間に見せる、あの。千鳥のことをひどく憐れんで・・・・いるかのような、そんな嫌な目つき。千鳥は、天吏のその不可解な態度が堪らなく不快だった。


「ごめんね千鳥ちゃん。なんか邪魔しちゃったみたいで」


「……ううん。気にしないで」


 転入生――アザレアを助けに向かうと決めたのは、鶫自身だ。いくらその原因を作ったのが天吏だとはいえ、彼を責めるのはお門違いだろう。ただ、厄介事を持ってきたことだけは許しがたいが。


「そういえばさ、二人はこの後何処かへ行く予定だったの? 時間とか大丈夫?」


「映画を観に行く予定だったの。上映まではまだ時間があるから心配しないで」


「へえ、何の映画?」


「えっと、最近始まった恋愛映画なんだけど……。結構評判らしいから、ちょっと観てみたくて」


 千鳥はそう答えたが、その映画を選んだ理由は他にもある。――鶫には黙っていたが、観ようと話していた映画は兄妹の恋をテーマにした物だった。最終的に二人の血が繋がっていないことが発覚するのだが、そんな映画を観て鶫がどんな反応をするのか――ほんの少しだけ興味があったのだ。


……別に、千鳥は鶫とそういった関係になることを望んでいる訳ではない。普通の家族として生きていけるなら、きっとそれが一番なのだろう。けれど、千鳥は不安で仕方がないのだ。その焦りが、駄目だと分かっていながらも、鶫を試すような態度を取らせてしまう。


――時折、ひどく恐ろしい夢を見ることがある。鶫の本当の姉――さくらお姉ちゃんが、颯爽と鶫を千鳥の前から浚っていってしまう。そんな恐ろしい夢を。


 千鳥が当たり障りのないように答えると、天吏は困った顔をして千鳥を見つめた。その呆れているような視線に、千鳥は少したじろぐ。まるで、何かを責められているかのようだった。


「……ああ、あの兄と妹の話ね。うーん、止めておいた方がいいと思うけど」


「どうして?」


「――だって、わざわざ傷つきに行くこともないんじゃない?」


 当たり前のことを告げるかのように、天吏は静かな声でそう言った。


「え、天吏君、何が言いたいの……?」


「いくら君が鶫ちゃんのことを好きでも、あいつは絶対に同じモノは返してくれないよ。そんなの、姉である君が一番分かっていると思うけど」


 その核心をついた言葉に、ひゅ、と息が詰まる。――どうして、彼がそのことを知っているのだろう。誰にも――それこそ神様くらいにしか、千鳥の本当の気持ちを話していなかったのに。

 あまりのことに千鳥が顔をこわばらせて固まっていると、天吏は可哀想なモノを見るように千鳥を見下ろした。


「確かに鶫ちゃんは千鳥ちゃんのことが大好きだし、世界中の誰よりも大切に思っているだろうけど、それってあくまでも君が鶫ちゃんの家族・・だからなんだよね。――でもさぁ、その家族っていう枠組みから外れちゃったら、君に一体どれだけの価値があるの? 鶫ちゃんは、今と同じように君のことを愛してくれると思う?」


「何を、そんな……」


 まるで千鳥の心の中を見透かしたかのように、天吏は言葉のナイフを滑らせる。

――何故、どうして貴方が私の不安あくむを知っているの? そんなささやかな疑問は、次々に刺さる言葉にかき消されていく。


「君の願いは、いつか鶫ちゃんを殺すよ・・・。……あーあ。君は何も知らないからそんな残酷なことができるんだね。本当に可哀想」


「分からない……。天吏君は私に何を伝えたいの? 何を知っているの?」


 カタカタと、訳の分からない恐怖で体が震える。目の前にいる天吏は穏やかに笑っているように見えるが、同時に底冷えするような冷たさを感じる。まるで――強大な悪魔を前にしているかのように。


「――つまり僕が言いたいのは、藪を突いて蛇を出すのは得策じゃないってこと。千鳥ちゃんだって、鶫ちゃんには何時もの鶫ちゃん・・・・・・・・のままでいて欲しいよね?」


 促すようにそう問われ、千鳥は反射的に首を縦に振った。すると天吏はふっと綺麗な笑みを浮かべ、そっと左手を千鳥の目の前に翳した。


「ああ、ごめん。お目付け役がいなかったから、ちょっとしゃべり過ぎちゃった。――このことは忘れていいよ。今はまだ、時じゃないから」


 目の前から光が奪われるかのように、徐々に千鳥の意識が遠くなっていく。そしてやがて瞼の重さに耐えきれなくなり、ついに千鳥の意識が闇に飲まれた。



――パン、と耳元で小さな音が鳴り、千鳥はハッとして目を見開いた。


「あ、あれ? ――鶫は何処へ行ったの・・・・・・・・・?」


 きょろきょろと辺りを見渡しながら、千鳥は不安そうにそう言った。

――一緒にいたはずの鶫が、いつの間にかいなくなっている。さっきまで、二人でベンチに座っていたはずなのに。


 急な出来事に混乱している千鳥に、誰かが話しかけてきた。


「嫌だなぁ、鶫ちゃんならさっき転入生の様子を見に行った所じゃないか。もう忘れちゃったの?」


 先ほど会ったばかり・・・・・・の天吏が、心配そうに千鳥の顔を覗き込む。淡い琥珀色の瞳が、千鳥の目を見つめた。すると、徐々に意識がはっきりとしてきた。


「え、あ、そうよね。なんで私忘れちゃってたのかしら……。ごめんなさい、天吏君」


「今日は少し暑いから、日差しにやられたのかもね。水分はしっかり取った方がいいよ」


「……そうかもしれないわね。気を付けるわ」


「うんうん。じゃあ僕はもう帰るから。――鶫ちゃんによろしくね」


 天吏はそう告げると、くるりと千鳥に背を向けて去って行ってしまった。どうやら、あまり長居をするつもりはなかったらしい。


 千鳥は不思議そうに首を傾げながら、ぽつりと呟くように言った。


「……変なの。何もおかしなことなんてなかった・・・・のに」


――そう、何もなかった筈なのだ。なのに、どうしてこんなにも心が痛いのだろう。しくしくと突き刺すような痛みが、胸の奥に留まっている。まるで、何かとても悲しいことでもあったかのように。


 そして千鳥がふと足元を見つめると、一枚の小さな黒い羽根が落ちているのに気づいた。ふわふわとしたその愛らしさに惹かれ、千鳥は羽根を手に取った。


――後で鶫にも見せてあげようかな。そんなことをぼんやりと考えながら、千鳥はその羽根を手帳に挟み、大事そうにバッグの中にしまった。


――鶫は、まだ戻ってこない。


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