第102話 本当の狙い

 映画館のスタッフに女子トイレから連れ出された鶫は、泣きじゃくる少女と共に奥にあるバックヤードへと連れてこられた。どうやら、ここで静かに待機していろという事らしい。


 鶫は丸椅子に腰かけながら、大きな溜め息を吐いた。


――血の付いた上着に、壊された携帯。千鳥が何らかの事件に巻き込まれたのは明白だった。


 女性の誘拐未遂事件は、確かにここ最近増えていた。気を付けなくてはいけないと千鳥と話していたが、こんな白昼堂々人を攫うなんてまさか考えもしなかったのだ。


 それでもまだ館内にいる可能性は捨てきれなかったので、映画館のスタッフが上映中の会場を見回ってみたが、千鳥や行方不明の中学生の姿は何処にもなかったらしい。

 現在は現場であるトイレを閉鎖して警察が来るのを待っているが、到着までにはまだ時間がかかるだろう。


 本当ならこういった誘拐事件は、政府の特殊能力持ちの魔法少女の力を借りた方が早く解決できるのだが、その辺は政府と警察組織の軋轢もあり、警察からの要請といった形でしか政府は介入できないらしい。


――今まではそれも仕方がない事だと思っていたが、自分が当事者となると、こんなにもどかしく感じるとは思いもしなかった。

 だがいくら対応に不満があろうと、ルールを変えることは出来ない。下手にもめれば、それだけ捜査が遅くなると分かっているからだ。


 鶫は両手を強く握りしめ、燻ぶる激情を抑えこんだ。――少なくとも今は、冷静になる時間が必要だ。そう考えながら、鶫はちらりと隣にいる少女を見つめた。少女は今もなおさめざめと泣き続けている。


「ほら、これ使って」


 袖口で涙を拭っている少女に、鶫はスタッフが用意していたタオルを手渡した。少女は小さな声で「ありがとう」と答えると、キュッとタオルを握り、顔を上げた。

 そして焦点が合わない目で鶫を見つめると、懺悔をするかのように掠れた声で話し始めた。


「……私が、悪いんです。あの子は怖がってたのに、無理を言って外に連れ出したから」


「怖がっていた?」

 

 鶫がそう聞き返すと、少女は辛そうな顔をしてゆっくりと頷いた。


「あの子、最近誰かに見られている気がするって言ってたんです。私も最初は心配してたけど、いくら探しても怪しい人は見当たらなかったから、てっきり勘違いだと思って……。落ち込んでるみたいだったから気晴らしのために出掛けたのに、こんなことになるなんて、わたし、思ってもいなくて……」


「それは、君の所為じゃないだろう」


 鶫が少女を気遣う様にそう言うと、少女は大きな声でそれを否定した。


「私の所為だよ!! だって私、あの子に魔法少女の適性・・・・・・・があるって知ってたの! ただでさえ最近は物騒だから女の子は用心する様に言われてたのに……。もっと、気を付けてあげてればよかった……」


 そう言ってタオルに顔を埋めて泣き出した少女の姿を見つめながら、鶫は考え込むように口に手を当てた。


――今回の誘拐犯の狙いは、間違いなく彼女の友人だろう。魔法少女の適性者ということが何らかの形で広まっていたとすれば、狙われたのも納得できる。


 誘拐犯が千鳥の事を知っていた可能性もあるが、鶫たちが映画館に来ることを決めたのはほんの一時間前だ。そんな短い時間で人を攫う準備ができるとは思えない。恐らく、千鳥は巻き込まれたのだ。


――千鳥は経験こそ少ないが、それでも立派な魔法少女だ。意識さえはっきりしていれば隙をついて誘拐犯から逃げ出すことは容易だろう。だが、問題はもう一人――誘拐犯の本命の方である。恐らくは千鳥と同じように何処かへ攫われたのだろうが、あの千鳥がその少女を置いて逃げるとは考えにくい。


 千鳥の転移の能力で一緒に逃げることが出来たらそれが一番なのだが、まだ魔法少女としての力が弱い千鳥は、転移の扉を出すまでに多少時間がかかる。……相手の誘拐犯が荒事のプロだった場合、そのタイムラグは致命的だろう。失敗すれば、最悪の形で無力化される可能性もある。


 誘拐犯の狙いは魔法少女の適性者だ。ならば本物の魔法少女の存在は、誘拐犯たちにとっては喉から手が出るほど欲しい存在のはずだ。

 千鳥はあくまでも臨時勤務の扱いであるため、政府の公式サイトには名前は出ていないが、調べようと思えば顔と名前くらいは簡単に分かるだろう。……誘拐犯がそこまで優秀じゃない事を祈るしかない。


……鶫がシロと連絡を取れれば、シロを通じて千鳥の居場所を見つけることも可能だろうが、シロがどこに居るのか分からない以上それも難しい。

 先ほど鶫が状況をベルに報告した際に、シロを見かけたら誘拐の件を伝えて貰うよう願いはしておいたが、あまり期待はしない方がいいだろう。


 そうして鶫が静かに待っていると、バックヤードに誰かが入ってきた。鶫が目をドアの方へ向けると、心配そうな顔をしたアザレアがそこに立っていた。


「七瀬君、大丈夫ですか? ……まさか、こんなことになるなんて」


 すっかり氷が解けてしまった飲み物を鶫に差し出しながら、アザレアが不安そうな面持ちで言った。


「向こうでスタッフの方が話していたんですけど、千鳥さんが居なくなった前後に、掃除用の大きなカートを押してトイレから出てきた女性を見たお客さんがいるそうです。その女性はそのまま奥にある裏口から外に出て行ったので、不思議に思ったそうなんですが、恐らくその人が……」


「……そうか」


 掃除用のカートを押した女性。恐らくそいつがトイレの前に立入禁止の立て看板を置き、人がいなくなったのを見計らって誘拐に及んだのだろう。あまり有益な情報とは思えないが、それでも手掛かりが一つも無いよりはマシだ。


 そして鶫はぬるくなったジュースを一気に飲み干すと、立ち上がってゴミ箱がある方に歩き始めた。その途中で何か大きなものに足をぶつけ、鶫は思わずその場にしゃがみ込んだ。


「痛っ、た……! 何だよ、――立入禁止の立て看板? これもここに持ってきてたのか」


 そう言いながら、鶫は立て看板を睨み付ける様に見つめた。そして、ふとした違和感に気づく。


――いくら精神が動揺していたとはいえ、いつもの自分であればこんなドジは仕出かさない。この立て看板はあまり大きなものではないが、それでも普通に歩いていればきちんと目に入る大きさなのだ。むしろ、避けられない方がおかしい。


 鶫はいぶかしそうに立て看板を見ると、おもむろに薄手の上着を脱ぎ、右手に巻き付けた。


「七瀬君? 一体何を……」


「いいから。――これ、何かおかしいぞ」


 そのまま右手を伸ばし『立入禁止』と手書きで書かれている板に触れる。少し角を引っ張ると、カコン、と板の外れる音が聞こえてきた。


 板を直接手で触れない様に気を付けながら、そっと上着ごと地面に下ろす。その板の裏側を見たアザレアが、驚いた様な声を上げた。


「これは、恐らく魔法陣ですね。しかも、この言語は相当古いタイプです。……まさかこんなものが隠れていたなんて」


 裏面にみっしりと赤黒いインクで書き込まれた、呪文の様な文様。アザレアが妙に詳しいのは気にかかったが、これが魔法陣だというのは鶫も同感だった。


「――嫌な気配を感じる。ちっ、やっぱり千鳥と一緒にお祓いに行っておくべきだったかな」


 そう毒づいて鶫はポケットから携帯を取り出すと、連絡先に登録している中から一人の人物を見つけ出し、選択した。


 悍ましいものを見る様に板を見つめているアザレアに、鶫は電話のコール音を聞きながら、静かに話しかけた。


これ・・はどう考えても警察の手には余る。どうせ政府預かりの事件になるのに、ぐだぐだと警察の判断を待っているのは時間の無駄だ。――餅は餅屋。オカルトにはオカルトをってね。……あの時名刺を貰っておいて本当に良かったよ」


 鶫がそう言った瞬間、コール音が切れた。


『はい、因幡です。――どうなさいましたか、七瀬さん。急に電話なんて』


――鶫の持っている携帯電話のディスプレイ――そこには『魔獣対策室 因幡ほのか』と表示されていた。

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