第92話 偽物の影

 回転する黒い箱が、地面や建物をガリガリと削り取っていく。その威力は、政府で戦った時とは比べ物にならなかった。


 つまりこの『柩藍莉』は、力に制限が掛かっていたあの日の再現というよりも、魔法少女としてフルスペックで活動している状態に近いのかもしれない。

 本来の柩の能力範囲はおよそ三百メートル。この魔獣がどこまで柩の能力を再現できているのかは分からないが、最悪柩そのものを相手にしていると考えておいた方がいいだろう。


――だが、能力でいえばこちらも条件は同じだ。

 身体能力や、スキルの制限を受けていたあの時とは違い、今の鶫は魔法少女として十全な状態である。連戦で多少の疲れは出てきているが、それでも負けるつもりはさらさらなかった。


 飛んで、跳んで、避けて、躱して。鶫は攻撃をせず逃げに徹し、相手の様子を窺った。柩の姿をした魔獣は、自身の周りに箱をドーム状に展開し、それを高速回転させることで不可侵のバリアの様な物を作っている。


 偵察に伸ばした糸はすぐに箱によって断ち切られてしまい、中心にいる魔獣には届かない。


 今残っている力をつぎ込んで糸を強化すれば、あの壁を突破することは出来るかもしれない。だが真正面から向かったとしても、すぐに対応されてしまうだろう。


 それでも頑張れば手足の一本くらいは刈り取れるかもしれないが、魔獣があの場から動く気が無い以上、機動力を削っても何の意味もない。いかに気付かれずに近づくかが課題だろう。


 それに加えて、柩の姿をしたモノを必要以上に傷つけるのは流石に抵抗がある。

 相手が魔獣である以上手加減をするつもりはないが、できるだけ惨い姿にはしたくなかった。


 ついでに言うと、人の形をしたモノを魔法少女が傷つけるシーンは、世間には少し刺激が強いかもしれない。場合によっては、的外れな批判を受ける可能性もある。……本当に面倒だ。


 鶫は四方八方から繰り出される攻撃を避けつつも、裂けた服の切れ端が舞うのを見て、小さなため息を吐いた。これ以上は無駄に体力を消耗するだけだ。


……あまり気は進まないけれど、やっぱりあの方法が無難かもしれない。


 そう考えながら、鶫は魔獣がいるドーム状の壁を見て目を細めた。

 あの中の様子を探った際に、思いついた作戦が一つだけある。それは多少の運の要素と、鶫の個人的感情さえ無視してしまえば、最良の策とも言えるものだった。もし例えそれが失敗したとしても、また別の作戦を考えればいい。


 この作戦の第一段階。魔獣に気づかれないための能力スキル――透明化が今よりも少しだけ強化できれば、この作戦はほぼ成功だと言っても過言ではない。


 鶫はじっと自分の両手を見つめながら、ポツリと呟いた。


「……頼むから、できれば食べ過ぎないで・・・・・・・ほしいな」






◆ ◆ ◆





 柩藍莉の姿に変身した魔獣は、安全な防御壁の中でケタケタと笑いながら、上機嫌に両手を振っている。まるで、大観衆の中で指揮でもとっているかのように。


 この魔獣は近くにいる人間の記憶に干渉し、実際にその人間が『脅威だと感じたモノ』を自分の姿として変身する能力を持っている。存在としては、変身という概念が具現化した妖怪と言い換えてもいいだろう。

 ある意味、数多の怪物を相手にする魔法少女にとっては最も相性が悪いといえる。


――この『魔法少女』という姿がわは、思っている以上に使い勝手がいい。変身するのに大量の力を使ってしまったが、それでもお釣りがくるくらいだ。

 現に、先程まで優勢だったはずの魔法少女も、この回転する箱の壁を前に、手も足も出ないでただ逃げまどっている。あの魔法少女が力尽きるのも時間の問題だろう。そんなことを考えながら、魔獣はほくそ笑んだ。


 あの魔法少女に、転移の能力があるのは分かっている。この防御壁は身を守るためのバリアであり、奴を追い詰めるための罠でもあった。もし奴がこの狭いスペースで糸を使えば、必ず魔獣の返り血を浴びることになる。それが魔獣の狙いだった。


 変身に特化したこの魔獣の血肉は、人間にとっては劇薬になる。常に目まぐるしい変質を重ねている魔獣の血が肌に触れれば、その部分から細胞の侵食が始まり、やがては同じ異形になり果てる。


 けれど、あの魔法少女はひどく慎重だった。戦いの際も魔獣には一定の距離を保ち近付かず、噴き出す血にも一切触れようとしなかったのだ。逃げ出した様子をみるに、ただ単に臆病だっただけかもしれないが。


 そんなことを考えていた魔獣は、外の違和感に首を傾げた。


「――??」


――あの魔法少女は、どこへ行った?


 防御壁の外に展開している箱の周囲からは、魔法少女の気配は感じられない。能力の範囲外の場所まで逃げてしまったのだろうか。

 そう判断した魔獣は、その馬鹿げた選択に嘲りの笑みを浮かべた。


――無駄に時間を掛ければ、不利になるのは己の方だというのに。


 魔法少女――奴らが信仰する神々は、決して敗走を許さない。惨めに無様に逃げ回ることしか出来ない人間なんて、早々に切り捨てられるのが落ちだ。現に、過去にも命を惜しんで逃げ回った魔法少女が、神に見限られ神力不足で死んでいった例も多々ある。


 所詮、魔法少女など神にとっても暇つぶしの贄に過ぎない。ならば、我ら魔獣の餌として死んでしまっても別に構いはしないだろう。

 けれど、それはそれでまた一興だ。魔法少女が神に捨てられて力尽きるまで、この辺りを破壊し尽くすのも悪くないかもしれない。


 そうして魔獣が魔法少女――鶫の探索から一瞬だけ気を逸らした瞬間、それ・・はやってきた。


「――捕まえた」


 魔獣の背後・・から、唐突にそんな言葉が聞こえた。


「――ッ!!?」


 焦った魔獣が振り返ろうとした瞬間、少女の腕が魔獣の首に回される。いわゆるヘッドロックの様な状態だ。抱きすくめるように近づいた顔に、ふわりと甘い血の匂いが香った。


――気配は感じなかった。いくら転移でここに飛んできたとしても、転移の直前には必ず空気の揺らぎが生じる。その違和感に、魔獣が気づかないとは思えない。けれど、魔法少女はすでに此処にいる。その矛盾に、魔獣は行動をとるのが遅れてしまった。


 みしり、と首に掛かった腕に力が籠められる。


「さようなら。――できればもう二度と会わないことを祈るよ」


 ギリギリと力を込められた腕が、柩の姿をした魔獣の細い首を締め上げる。魔獣は変身しているモノと同じ身体構造を真似ているため、人間と同じように呼吸と首の血流を止めてしまえば、真面に動くことが出来なくなる。そのまま腕の力は徐々に増していき、ついに魔獣の首からごきりと乾いた音が響いた。


 魔獣の目がぐるりと白目に反転し、体の力が抜ける。そうして魔獣は、地面に頭から倒れ込んだ。首の骨は本来あり得ない方向へ曲がり、内部の重要な神経もいくつか切れてしまっている。


――この体はもう持たない。そう判断した魔獣が、最後の力を振り絞り背後にいる魔法少女に攻撃を加えようとしたが、すでにそこには誰も居なかった。どうやら、早々にここから避難したらしい。なんとも手際がいいことだ。


 何らかの能力によって魔獣に悟られず背後に辿り着き、首を折ることで返り血を浴びずに魔獣を確殺する。――まるで魔獣の血の脅威を、事前に知っていたとしか思えない行動だった。


……いや、もう考えてもどうしようもないことだ。負けは負けだ。それに力もほとんど使い果たしてしまい、もうこれ以上は変身できそうもない。


 ぐったりとした魔獣が息を止めようとしたその瞬間、魔獣の頭の中に魔法少女――鶫の閉ざされた記憶が流れ込んだ。


――紅い炎が取り囲んでいる祭壇の中心に佇む、一人の女。崩れ落ちる天井。幼子の泣き叫ぶ声。血まみれに切り裂かれた、大切な誰かの姿。

 そして本人が記憶を失ってもなお、心の奥に燻り続ける恐ろしい敵・・・・・。その痛烈なイメージに引きずられるように、魔獣の体が変質していく。


 ぐちゃぐちゃと、どろどろと体が溶け、ゆっくりと新しい形が作られていく。まるで、何かに導かれるように。


≪――さあ、もう一度進むといい≫


 そんな声が、魔獣の頭の中に響いた。


 バラバラと魔獣の周りを囲んでいた箱が地に落ちていく。――そして一人の少女・・かたどった黒い影は、ゆっくりとその場に立ち上がったのだ。



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