第91話 シェイプシフター

――時が、来た。


 ぐらりと視界が揺れ、景色が反転していく。

 辺り一面に結界が張られていく様子を眺めながら、鶫は小さく息を吐いて魔獣の気配がする方――五重塔の上空を見た。空には黒いひび割れの様なものがあり、その裂け目から何かがゆっくりと落ちてきている。


「――あれは、黒い狐?」


 目を細めながら、そう呟く。

 視線の先には、ふわふわと風に揺れるように黒い狐のような魔獣が浮かんでいた。その尾は何本にも枝分かれしており、見るからに禍々しさが溢れている。


 黒い狐はそのまま塔の屋根に着地してこちらを一瞥し、くるりと屋根の上で一回転した。その瞬間、煙が噴き出すように狐の体が黒い影に包まれる。


――何らかの攻撃が来る。そう思い鶫は身構えたが、影の中から飛び出てきたのは予想外のものだった。


 三メートルを超える巨体に荒く硬そうな体毛。凶器ともいえる大きな牙を携えた生物。――黒い大猪がそこにいた。強さで例えると、多く見積もってもD級くらいの圧しか感じない。

 拍子抜けの様な感覚を覚えながらも、鶫は油断せずに戦闘態勢を取った。


「……B級の魔獣にしては、思っていたよりも弱いのかな。まあ、別に構わないけれど」


 幸いにもあの大猪から強い力は感じない。そう判断した鶫は、赤い五重塔を破壊しながら駆け下りてきた猪に転移で近づき、絡めとるようにして糸を伸ばし、手際よく体を細切れに切り裂いた。


 あまりのあっけなさに困惑するも、何故か嫌な予感を感じて後ろに距離をとった。

 すると血を吹き出している猪の体がどろり・・・と溶けた。猪の肉片と鮮血は黒く染まって質量を増し、新たな形を作り上げていく。


「なるほど。……これは質が悪そうだ」


 そう忌々しく呟く鶫の目の前には、四メートル級の大蟷螂が手の鎌を構えながら立っている。大猪の体が変化したのだ。どうやら今回の魔獣は変身能力を持っているらしい。


――これは少し長引くかもしれない。そう考えながら鶫は糸を構えた。





◆ ◆ ◆




 猪から始まり、蟷螂、ガーゴイル、マンティコア、ワイバーンなど、どこか見たことのある魔獣が次々と現れるが、鶫は単調な作業をするかの様にそれらを刈りとっていく。

 一度黒い影が体の形を変えている時に攻撃を仕掛けてみたが、糸は影をすり抜けるだけで、特にダメージが加わっている様子はない。どうやら変身が終わらない内は攻撃が通らないらしい。


……そして薄々感づいていたが、どうやらこの魔獣は鶫が戦ったことがある、もしくは遭遇したことのある相手の姿を真似ているようだ。変身した魔獣が繰り出す技も、ほぼ鶫の記憶通りのものだ。それもわざわざ等級順に姿を変えている辺り、無駄に芸が細かい。


 もしその変身対象がシミュレーターの仮想対戦を含むとすれば、この後に数十体のA級の魔獣を相手取ることになる。そしてこのまま順当に倒していくと、最後にはかつて死闘を繰り広げたイレギュラー――ラドンに行きついてしまう。

 今の鶫ならば、万全の状態であればあのラドンを相手取ったとしても勝てる自信があるのだが、流石に他のA級との連戦後では体力と神力が持つ気がしない。


 そんな心配をしながら、鶫が新たな姿に変身した魔獣を撃破すると、魔獣の影が少しだけ揺らいだ気がした。


 距離をとりながら観察していると、一定以上の大きさを超えるとそこから形が崩れているようにも見える。推測の域は出ないが、あの黒狐はそこまで大きなものには変身できないのかもしれない。そう考えると、少しだけ気が楽になった。


「もしそうなら、A級とB級の殆どは体積オーバーで変身できないはずだ。……これはどうにかなるかも」


 そう静かに呟き、小さく息を吐いた。

 それにこの魔獣――黒狐の等級は、政府からの情報によればB級である。いくら魔獣といえど、力のリソースには限りがある。このまま変身によって力を使い続ければ、体を保てなくなって消滅する可能性が高い。


――つまり、これは持久戦である。鶫が倒れるのが先か、魔獣が力尽きる方が先か。命を懸けたチキンレースだ。


 かつて鶫が戦った魔獣、そしてシミュレーターで戦った魔獣の数や大きさを試算しながら、ペース配分を考える。シミュレーターで戦った中には小型のA級の魔獣も何体かいたはずだが、たとえ連戦であろうと、一度戦った相手に負けるつもりはさらさらない。


 作戦を決めた鶫は、転移の回数を抑え、出来るだけ糸を操る技量を用いて魔獣を倒していった。時折ひやりとする場面もあったが、幸いにもこの厳島は遮蔽物が多い。力を温存するには打って付けの場所だ。


……神社の一部や街の景観が壊れる度に女性の悲鳴のような物が聞こえるような気もするが、特に人の気配は感じないので気にしたら負けだろう。結界が無事に解けたら元通りになるので、できれば多少の破壊行為は見逃して欲しい。


「これで百体目っ!! あーもう、外がもう真っ暗なんだけど……」


 ぜえぜえと息を切らしながら、A級の魔獣に変身した黒狐を切り刻んでいく。日が落ちて視界が悪くなってきているが、魔獣の居場所は張り巡らせた糸によって把握しているので問題はない。


 幸いなことに元の等級の問題なのか、A級の魔獣に変身しても黒狐はその能力を完全には再現できないようだった。

 たとえばミノタウロスなどがいい例だろう。黒狐は手足の部分転移や暗闇化などは再現できるが、厳島にあの巨大な迷宮を作る出すことまでは出来ない。能力の欠けたA級など、今の鶫にとっては敵ではない。


――そろそろ変身する魔獣も頭打ちの筈だが、本当にそれで終わるのだろうか。念のため余力は残してはいるが、明確な討伐方法が見つからない以上、この持久戦を続けるしかない。


「……ベル様はどう思う?」


 魔獣が変身をしている時――戦いの合間を縫って鶫はベルにそう問いかけた。黒ヒョウの姿から猫の姿に戻ったベルは、鶫の肩に腰かけながら目を細めて言った。


「恐らくは貴様の見立てで間違ってはいないだろう。当初よりも、確実にあの狐は弱っている。全く、合理性を考えるなら数で勝負するよりもA級の再現度を上げた方が有意義だったろうに。馬鹿な奴だな」


「そうするとこちらの負担がかなり増すんだけど……。嫌だよ、万全のA級クラスの敵と何度も戦うなんて」


 単調な持久戦が見ていてつまらないのは分かるが、難度を上げようとするのは止めて欲しい。


 黒い影の塊は形を変えようと蠢き、うねうねと地を這いずっている。……何だか見ていて鳥肌が立つ光景だが、この状態の時に攻撃しても意味がないので、黙って見ているしかない。


 いよいよ変身するモノがなくなったのか――鶫がそう思い始めた瞬間、ピリッと頬に鋭い痛みが走った。


「ッ!! 一体何が!?」


 バックステップで距離をとり、ついさっきまで立っていた場所をみやる。そこにあったのは、野球ボールほどの大きさの小さな箱だった。その形状に既視感を覚え、鶫は反射的に転移で離れた場所にある高台へと移動した。


――その刹那、鶫が先程までいた場所から砂ぼこりが舞い上がった。否――あれは竜巻・・である。


 そして徐々に暴風のように吹き荒れた砂のヴェールが薄れていく中で、黒い影の姿を認識した鶫は、苛立ちを隠しもせずに舌打ちをした。


「随分とふざけた真似を……。よりにもよって、あの人・・・に化けるなんて」


――現れた影は、人型をしていた。

 すらりと伸びた背に、真っすぐなストレートの髪。顔は影が掛かっていて見えないが、その毅然とした立ち姿を鶫はよく知っていた。


 沸々と湧き上がる怒りの衝動を抑え、すぐにでも走り出せるように体勢を整える。これは許す許さないの問題ではない。明確なる殺意を持って、鶫は魔獣を睨み付けた。


「――魔獣如きが、これ以上柩さん・・・を貶めるな」


 怒りを吐き出すように告げられた言葉に、柩藍莉の姿を真似た魔獣は、下弦の月の様にうっそりと笑っていた。

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