第87話 似ている二人

 挨拶を終えた緋衣が鶫の対面に座ると、隣に立っていた芽吹は鶫の側に近寄り、鶫の肩に手を置いて軽い口調で言った。


「じゃあ私はこの辺で失礼させてもらうよ。鶫君、後はよろしく」


「……は? ちょ、ちょっと持ってくださいよ。まさか俺のことを置いていくつもりですか!?」


 そのまま真っすぐに部屋を出ようとした芽吹の手首をつかみ、鶫は焦った声を上げた。百歩譲って、急に研究者に引き合わされたことはいいとして、一対一での会話を要求されるのは流石に無理がある。

 縋るように芽吹を見上げると、芽吹は申し訳なさそうな顔をして眉を下げた。


「そうは言われてもねぇ。緋衣さんの研究は色々と機密事項に絡むことがあるから、今回は席を外すように言われてるんだよ。ほら、個人情報の保護とかも最近は厳しいからね」


「いや、でも」


「それにね、鶫君」


 渋る鶫に、芽吹は静に小さな声でそう言うと、内緒話をするかのように鶫の耳元に顔をよせた。


「――緋衣さんはここ最近、十一年前の大火災のことを調べているみたいなんだ。上手くいけば、その件について詳しい話を聞けるかもしれないよ」


 囁く様に言われた言葉に、思わず目を見開く。鶫は芽吹に対し、一度も『大災害のことを調べている』だなんて言った覚えはない。知りたがっている素振りすら見せなかったはずだ。


「どうしてそれを、とでも言いたそうな顔だね。――それくらい簡単に分かるさ。君は存外分かりやすい子だからね」


 そう言って、芽吹は笑った。鶫が釈然としない表情で芽吹を見つめていると、彼女は小さな声で「まあ本当はその件についての新聞記事を図書館で黙々と調べている君を、私の友人が見かけたからなんだけどね」と付け足した。


……流石にそれは防ぎようがない。そう思い、鶫はため息を吐いた。

 別に悪いことをしている訳ではないが、鶫があの大火災のことを調べていることは、出来るだけ知り合いにはバレない様にしていたつもりだった。


 理由は言うまでもない――千鳥が良い顔をしないからだ。

 千鳥は鶫が十一年前のことを聞く度に、酷くつらそうな顔をして拒絶の意を示していた。それは話すのが辛いというよりは、何かを恐れているようにも見えた。

 そんな事情もあり、あまり大っぴらには行動できていなかったのだが、ある意味これは好機である。政府に近しい位置にいる緋衣ならば、かなり詳しい事情を知っているかもしれない。


「……このことは千鳥には黙っていて下さいね」


「はいはい。心得ているとも」


 芽吹は肩を竦めてそう告げると、鶫に背を向けて緋衣の方へと向き直った。


「私たちの分の支払いは、出る時に済ませておきますから。もし緋衣さんが追加で注文する場合はご自分でお願いしますね」


「ああ、分かってる」


 そう言って、芽吹はひらひらと手を振りながら部屋から出て行ってしまった。緋衣と二人きりになった鶫は何となく居心地の悪さを感じ、誤魔化すように冷めた紅茶を啜った。


――それにしても、と思いながら鶫は緋衣の顔を見つめた。

 雪野雫が涼音の親戚だということは以前に聞いていた。けれど緋衣の事については一度も聞いたことはない。別に話す必要性が無かっただけかもしれないが、それが何となく気になった。


 そうして鶫がぼんやりとしていると、テーブルの上に資料を広げ終わった緋衣がゆっくりと口を開いた。


「実は、君の事情は涼音渚――僕の親戚に一度相談されたことがあるんだ。主にその特殊な目の事なんだが。まあ、残念ながらそちらは門外漢なので力になれそうもない。済まないな」


「あ、いえ。俺の場合は涼音先生と違って見えない時の方が多いので。別にそこまで気にしてないですから」


「そうなのか? 君が困っていないならそれでいいんだ。だが、気を付けた方がいい。場合によっては悪化する場合もある。……特に渚の奴は、本当に見ていて痛々しいからな」


 そう締めくくると、緋衣は広げていたメニュー表を閉じ、側にあった呼び鈴を鳴らした。そして部屋に入ってきた店員にコーヒーを注文しながら、緋衣は鶫に問いかけた。


「何か追加で注文したいものはあるか? 話に付き合ってもらう礼だ。好きなものを頼むといい」


 そう言われ、鶫は遠慮しようかと少し悩んだが、本人が頼めと言っているのだから別にいいだろうと思い直し、メニューにある林檎のパイを指さした。


「なら、このケーキセットを一つお願いします」


 注文をメモした手帳を片手に出ていく店員の背を見送りながら、鶫は口を開いた。以前から少し気になっていたことがあったのだ。


「緋衣さんと涼音先生が親戚ということは、もしかして緋衣さんも十華の雪野雫さんと親戚なんですか? ほら、何となく面立ちも似ている気がするので」


 疲れた様な顔色と大きめの眼鏡で分かりにくいが、緋衣の顔立ちはどことなく雪野に似ていた。親戚と言われたら確かに納得できるくらいには。


 鶫がそう告げると、緋衣は困ったように笑って言った。


「ああ、まあ僕とアイツは兄妹の様なものだ。――別にやましいことがあるわけではないんだが、色々と事情があってな。できればこの事は、あまり言いふらさない様にしてくれるとありがたい。……まったく、渚の奴は口が軽くて困る」


「……あー、すみません、何か変なことを聞いてしまったみたいで」


――公に出来ない兄妹。その時点で、かなり深い闇を感じる。……母親が違う、とかそういう事なのだろうか。緋衣自身は特に気にしていない様に語っているが、これ以上は触れない方が無難だろう。


 そんな話をしている内に、頼んでいた物が個室に届いた。林檎のパイの皿を手元に引き寄せながら、鶫は緋衣に問いかけた。


「それで、今日は一体俺に何の話を聞きに来たんですか? 話せることなら何でも話しますけど」


 ケーキに機嫌を良くした鶫がそう告げると、緋衣は資料に目を通しながら口を開いた。


「ああ、まずは君の魔法少女としての適性について話をしたい。――君は、どうして男である自分が魔法少女としての適性を持っているか分かるか?」


 いきなりの質問内容に驚きながらも、鶫は困ったように答えた。


「いいえ、さっぱり。むしろそれは俺の方が聞きたいくらいなんですけど……」


「二月の遊園地でのイレギュラーの件は、僕にも報告は上がっている。適性の診断も含め、病院のカルテをみせてもらったが、君自身の体に変わったことは見られなかった。僕は、それが不思議でならない」


 そう言って、緋衣は優雅にコーヒーを口に運んだ。


「過去には男の魔法少女も少数ではあるが確かに存在していた。本人の希望もあり、その存在自体は隠匿されているがな。だが、適性が通常よりも極めて高かった男性――彼らには似たような特徴がいくつかあった」


「特徴、ですか?」


 鶫が怪訝そうに問いかけると、緋衣はゆっくりと頷いた。


「ああ。資料に残っている彼らのほとんどには、双子の兄弟が存在していた。いや、この場合は存在するだった、というべきか。――君はバニシング・ツインという言葉に覚えはあるか?」


「いいえ。分かりません」


聞きなじみのない言葉に、思わず首を捻る。すると緋衣は小さく頷きながら続きを話した。


「そうか。簡単に説明するが、バニシング・ツインというのは、生まれてくるはずだった片方の胎児が、成長途中で母体に吸収されて消失してしまうことを意味している。ごく稀に、もう片方の胎児に吸収されてしまった例もあるがな。後者では、成長しきれなかった胎児の臓器が片割れの中に一部残っているケースもある。――そして今確認されている男の魔法少女・・・・・の体内にも、調べたら小さな臓器のなりそこないを見つけることが出来た。これに、僕はいくつかの仮説を立てた」


 そう言って、緋衣はスッと二本の指を立てた。そして一本ずつ折り曲げながら話を続ける。


「一つ目。消えてしまった片割れは、本来女性として生まれてくる予定だった。二つ目。彼らの魔法少女としての適性は、吸収してしまった片割れが有していた物だった。つまり、彼らの適性が高かったのは、本来の素養というよりは、双子の兄妹の素養を引き継いだだけともとれる。引退した人たちに連絡を取ってMRIを撮影させてもらったが、その誰もが同じように自分のものではない臓器や骨の欠片が体内に存在していた。――だとすれば、体に何の特徴もみられなかったのに、高い適性を有する君は一体何なんだろうな。実に興味深いよ」


 にっこりと笑みを浮かべる緋衣に対し、鶫は心なしか顔を青くさせ、ぐっと右手を握りしめていた。


――そんなこと、俺自身が一番知りたい。

 どうして自分に適性があるかなんて、そんなの幾ら考えても分からなかった。神様であるベルにだって分からなかったのに、そんなことを聞かれても困る。


「……俺には、双子の姉がいます。もしかしたら、彼女の才能の一部を俺が分け与えられているだけなのかもしれませんね」


 緋衣の仮説を真に受けるならば、これが一番真実に近いのかもしれない。鶫がそう答えると、緋衣はスッと目を細め、そうか、と小さく呟いた。


「君の姉――千鳥さんだったかな? 彼女も君と同様に大火災以前の記憶が無いと聞いているんだが、それは本当なのか?」


「はい、そうですけど。それが一体どうしたんですか?」


「ただの確認だよ。あの大火災の後、君達二人は七瀬夜鶴という男性に引き取られたそうだな。その時のやり取りは憶えているか?」


 緋衣から矢継早に飛び出てくる質問に困惑しながらも、鶫は口を開いた。


「ええと、たしか避難所にいた俺達に爺さ……、夜鶴さんは真っすぐに近づいてきました。あまりに険しい顔をしていたので、千鳥が怯えていたのを覚えています。その時は何も言わずに去っていったんですけど、暫くしてあの人に二人そろって引き取られた時は驚きましたよ」


「それは何故だ?」


「だって、あの人は俺のことが嫌いみたいだから」


――昔は気にもしなかったけれど、大きくなった今ならば分かる。あの人――七瀬夜鶴は鶫に対する関心が全くない。それどころか、疎まれていると言っても過言ではないだろう。


――何か特別なことを言われなくても、時折会う彼の目は雄弁だった。千鳥を見る時は穏やかな色をみせるのに、鶫を見る時だけはどこか冷たい色を滲ませる。

 悲しくないと言えば嘘になるが、それでも夜鶴に大恩があることには変わりない。いつか恩を返したいという気持ちもある。けれど、それ以上に疑問の方が大きかったのだ。


「衣食住を全部世話してもらっている身でこんな事を言うのは恩知らずかもしれませんけど、千鳥はともかく、あの人がどうして俺まで引き取ったのか理解できないんです」


 姉弟を引き離すのは可哀想だと思ったのか、それとも別の事情があったのか。今にして思えば、初めて会った時、夜鶴は険しい顔をしながらも、鶫たちを見てホッとしていた気がする。もしかしたら、記憶を失う以前の鶫たちと面識があったのかもしれない。


……けれど、鶫がそのことを聞いたところできっと夜鶴は答えてはくれないだろう。考えるだけ無駄な話だ。


 鶫がそう告げると、緋衣は痛ましそうな表情をして何かを言いかけ、そのまま口を噤んだ。


「それは、……いや、すまない。酷な話をさせたな」


「いえ、別に気にはしていないので。……あ、でもこの話を姉にするのは止めて下さいね。あいつ、こういうの気に病む質なので」


 緋衣が千鳥に会いに行くかどうかは分からないが、一応そう釘を刺しておく。すると緋衣は、少しだけぎこちなく笑みを浮かべながら言った。


「むやみに人の事情を吹聴はしないさ。安心してくれ。――では、これが最後の質問だ」


 緋衣はそう言うと、机に散らばっている試料の中から、小さな封筒を取り出した。そして一枚の紙を取り出すと、その紙をそっと鶫に差し出した。紙は裏側になっているので、何が書かれているのかは見えない。


「ええと、これは……。え?」


 困惑しながら紙を受け取り、表を見る。――そこにあったのは、想定すらしていないものだった。


「正直に答えてくれ。――君は、彼女のことを知っているか?」


「葉隠桜……。いや、これは違う。彼女・・は――」


 長くしなやかな黒髪に、柔和な笑み。鶫と同じ色の瞳を携えた女の子。――『さくらお姉ちゃん』の姿がそこに在った。

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