第85話 繋がる意図

「命が助かったとはいえ、やはり柩藍莉の引退は確実か。……分かってはいたが、胃が痛くなるな。彼女がいなくなったら、誰があの濃い面子を統括するんだ」


 資料が乱雑に積まれている部屋の中で、男がそう呟いた。それに答えるように、赤い髪をした少女が微笑みながら口を開く。


「あら。別に何とかなるんじゃないかしら。ああ見えても、責任感が強い子が多いから」


「お前が率先して先頭に立てば済む話なんだが、どうせ言っても無駄なんだろうな……」


「ええ。だってそれは私の役割・・ではないもの」


 男は大仰にため息を吐きながら、優雅にほほ笑む少女――遠野すみれを見つめた。


「巫女サマも大変だな。……話は変わるが、柩の処分に口を出したのはお前だろう? いくら操られていただけとはいえ、今回の一件で政府が受けた打撃は大きかった。贔屓目に見ても、一切の責を問われないのはあまりにも不自然だ」


――柩藍莉は、一般の政府職員には好かれていたが、その一方で上層部からは警戒の目を向けられていた。


 彼女自身はそんな自覚は無いだろうが、柩藍莉の求心力は群を抜いている。もし彼女があのまま何の問題も起こさずに政府に入り、明確な意思をもって動き出したとしたらどうなっていただろうか。


――恐らく、瞬く間に一大派閥が形成されていたに違いない。

 しかもその派閥の中には、間違いなく魔法少女も多く所属することになる。変化を嫌う上層部にとっては、柩は時限式の爆弾の様な存在だったのだ。


 けれど、品行方正な柩を理不尽な理由で排除することはできない。そんな上層部にとって、言い方は悪いが今回の事件は都合が良かったはずだ。

 それなのに、蓋を開けてみれば柩への処分は無く、決まっていた内定もそのまま。どう考えても、何か大きな力が働いたとしか男には思えなかった。


「ふうん? どうして私だと分かったのかしら」


 そんな男の質問を、遠野は何でもないことの様に肯定してみせた。彼女の中では、大した出来事ではなかったのかもしれない。


「魔法少女を統括している上層部に意見を言えるのは、アマテラスの後ろ盾があるお前たち神祇省の奴くらいしかいない。――それに、お前は柩を買っていたからな。動くだろうとは思っていた。……まあ、僕としてもあの一件で柩が処分されるのは納得いかなかったからな。お前には感謝している」


 男が静かにそう告げると、遠野は小さく息を吐き、悲しげな表情を浮かべた。


「だって柩さんはこの国――ひいては天照様の為によく尽くしてくれたもの。少しくらい報われて然るべきだと思うわ。それに彼女は、あとほんの少しだけ才能に恵まれていたならば『英雄』になれる資質があった。……本当に、残念ね」


「英雄ねぇ。三十年前の混乱期でもあるまいし、そんな偶像ヒーローは朔良紅音の存在だけで十分だろう?」


「あら、本当にそうかしら? 英雄が必要になる時も、実はそう遠くないかもしれないわよ」


「……もしかしてそれも神託か? ああいや、答えなくてもいい。どうせ誤魔化されるのが落ちだ。――それで、今日はわざわざ急に僕の研究室にやってきたんだ? 無駄話をしに来たのか? それとも、ついに上から僕の退職勧告でも出たのか」


 そう言って男――緋衣雪ひごろもゆきはシニカルに笑った。


「柩さんが辞めるのに、これ以上戦力を減らすわけないじゃない。馬鹿なことは言わないで欲しいわ」


 遠野が呆れたようにそう言うと、緋衣は残念そうに肩を落した。


「僕はさっさと引退したいんだが。これ以上は本業に支障が出る。……だが、暫くはそれも仕方がないか。あんな事があったのに、急に僕まで抜けるのは流石に他の連中の負担になるしな」


「あら意外ね、貴方がそんな殊勝なこと言うなんて。馴れ合いは嫌いなんじゃなかったの? ――ああ、そういえばこの前・・・は随分と彼女達とじゃれ合って楽しそうにしていたらしいわね。もしかして、趣旨替えでもしたのかしら?」


 遠野がからかう様にそう言うと、緋衣はバツが悪そうに顔を逸らした。その顔には、あからさまに不本意だという感情が透けて見える。


「……あの時はそういう空気だったんだ。あまり茶化すなよ」


「魔法少女同士が仲良くするのは良いことだと思うけど。ただでさえ貴方は日向さんと険悪だったから、少し心配だったの。――ね、さん」


「……険悪も何も、向こうが勝手に敵視してくるんだから仕方ないだろう。それに正直、僕はあの年頃の子供の思考回路はさっぱり理解できない。相互理解を求められても困る。……はあ。神様との約束さえ無ければ、魔法少女なんてさっさと辞めてやるのに」


「研究のために好奇心に負けたのが運の尽きね。ふふ、でも一体誰が想像できるかしら――高名な研究者である緋衣雪ひごろもゆきが、あの雪野雫・・・の正体だなんて」


 くすくすと小さく笑いながら、遠野は目を細めて緋衣を見つめた。緋衣は居心地が悪そうに深々と大きなため息を吐き、疲れた様子で口を開いた。


「僕だって神様に声を掛けられるまでは考えもしなかったさ――男でも魔法少女になれるなんて、な」





◆ ◆ ◆





――緋衣雪ひごろもゆきは、元々は大学の魔導研究機関に所属する学生の一人だった。

 緋衣は生来の優秀さを買われ政府から声が掛かり、魔獣や魔法少女に関するデータを解析しつつ研究を続け、常により良い成果を出し続けてきた。


 そんな絵に描いたような研究者が魔法少女として活動することになってしまったのは、ひとえに緋衣の好奇心とうっかりが原因である。


「君、そう君だよ。隈が濃くて栄養サプリだけで生きながらえている様な、不健康そうな君。――ちょっと軽く魔法少女になってみる気はないかな? 今なら健康管理のおまけもついてくるよ?」


 そんな馬鹿みたいな謳い文句で声を掛けてきた神、ナーサティヤの言葉に惹かれ、五徹明けの緋衣は、何となく首を縦に振ってしまったのだ。……その後すぐに思い直して契約を撤回しようとしたが、時は既に遅かった。


 在野の魔法少女の規則として、基本的に神様からの同意が得られないかぎり、契約者は魔法少女を辞めることが出来ないのだ。

 例外があるとすれば、政府から活動停止を宣告されることくらいだが、大きな問題を起こすか、体や心を壊さない限りはそれも望めない。


 そうして緋衣は、嫌々ながらも魔法少女として活動することになってしまった。


 神様と契約してからしばらくの間は、在野の魔法少女としてナーサティヤに日本中を連れまわされた。そして紆余曲折を経て、僅か数か月でA級の魔獣を倒す偉業に至ったのだ。


 そんな偉業を成し遂げてしまったのは、魔法少女のとしての能力が奇跡的に緋衣の頭脳と噛み合ったことが大きい。


 本来魔法少女の能力は、本人の認識によって大きく左右されることが多い。

 壬生や鈴城のように感性で生きている人間は、細かい理論を考えずに想像力を持って能力を展開する。それは時に、理詰めで考えるよりも高い効果を生み出す事がある。ある意味、少々頭が悪い方が魔法少女としては優秀なことが多いのだ。


 だが、緋衣はその前提を簡単に覆した。綿密に計算された能力行使は、まさに芸術とも言っていいほどの効果を生み出してみせたのだ。

 本人からしてみれば想定通りの戦闘結果だったのだろうが、世間から見ればそれは間違いなく偉業である。


――ただし、緋衣の受難はそこからが本番だったと言ってもいい。


 本業である研究との兼ね合いや、正体を探ってくる政府やマスコミとの攻防。細々とした問題が増える中で、緋衣は『雪野雫』の正体を隠し続けることに限界を感じ始めていた。


 緋衣は悩んだ末に、政府の中に協力者を作り出すことを思いついた。白羽の矢が立ったのは、緋衣の目の前で微笑んでいる少女――遠野すみれである。


 遠野すみれは、政府の中でも少々特殊な立ち位置にいる人間だった。


 彼女は天照を奉る巫女として表舞台に立つことが多い為、政府の上層部とも強い繋がりを持っていた。

 そして彼女の契約神の八咫烏は、元々始まりの魔法少女である朔良紅音を担当していた神様でもあり、人々の中には『朔良紅音の再来だ』と遠野を持て囃す者もいるくらいだ。


 そんな理由もあり、遠野の発言権は神祇省も含め政府の中でもかなり高く、様々な場でアドバイザーのような役割を担っていた。


――彼女であれば、緋衣の存在を隠しつつ『雪野雫』をどうにかすることが出来るかもしれない。緋衣はそう考えたのだ。


 そうしてあえて六華加入の誘いを受けることで政府の中に入り込んだ緋衣は、すぐさま遠野と接触を図った。

 決死の覚悟で交渉に臨んだ緋衣に対し、遠野は始終落ち着いた態度を崩さなかった。――それはまるで、あらかじめこちらの話を知っていたかのような態度だったと言ってもいい。


 緋衣はその時のことを今でもよく覚えている。緋衣の突拍子もない話を聞きながら穏やかに微笑む遠野は、研究者気質の緋衣から見ても得体のしれない生物に思えた。


 交渉自体は、幸いにも何の問題もなく終了した。

 そしていくつかの条件を呑むことで遠野からの協力を取り付けた緋衣は、遠野経由で知り合った協力者達の手を借りつつ、世間に正体を隠しながら、こうして渋々魔法少女を続けている。


……緋衣自身は、魔法少女や魔獣の生のデータが取り終わったらさっさと引退しようと考えていたのだが、魔法少女としての素養があまりにも高かったため、協力者達から全力で引退を引き留められてしまっていたのだ。ある意味、それが最大の誤算である。


――それにしても、と考えながら緋衣は口を開いた。


「神様と契約してはっきり分かったが、男という存在は、やはり基本的には神力の受け皿に適していない。僕自身も本来であれば神様に歯牙にもかけられなかっただろうが、僕には少しばかり特殊・・な事情があったからな。――本当に、魔法少女という存在は興味深い」


 緋衣がしみじみとそう言うと、遠野は面倒なものを見るような顔で緋衣を見つめた。


「その話、もしかして長くなるかしら? ごめんなさいね。別に私は研究の話をしに来たわけではないのよ」


「……散々話を横道に逸らしてきたのはお前の方だろう。まあいい、用件はなんだ?」


 緋衣がそう問いかけると、遠野はスカートのポケットに手を入れ、黒いUSBを取り出した。そしてそれを緋衣の手に握らせると、神妙な面持ちで話し出した。


「お願いがあるの。――この中に、十一年前の大火災・・・・・・・・についてのデータが入っているわ。この件の関係者について、詳しく調べて欲しいの」


 その言葉に、緋衣はピクリと片眉を上げ訝しそうに遠野を見つめた。


「あの大火災のか? ……その一件は政府の上層部でも禁忌として扱われていたはずだ。僕の神様――ナーサティヤも珍しく『関わらない方がいい』と言っていたぞ。でも、なんで今さらそんなものを」


「それが必要になったからよ。八咫烏も、ようやく重い腰を上げたみたい。……いくら目を逸らしたところで、過去からは逃れられないのに」


「まあ、僕はお前に借りがあるからな。やれと言われたならばきちんと仕事はこなすが、何でわざわざ僕を選んだんだ? 調べ事をするだけなら、別に政府の人員が動いたっていいだろうに」


「これは、魔法少女にしかできない仕事なの。……はっきり言うけれど、あの大火災は間違いなくイレギュラーの存在が関わっている。政府が上手く隠してはいるけれど、火災の中心地は十一年経った今も草一つ生えてこない不毛の大地と成り果てている。それほどまでに、火災による汚染はすさまじかった。そしてその汚染は土地だけに納まらず、大火災に関する情報にすら及んでいる。元々そのデータを集めていたのは当時の政府の職員だったのだけれど、彼らはみんな三日三晩苦しんだ挙句に亡くなったわ。……彼らの死因は、恐らく高濃度の神力汚染。神力に耐性が無い一般人だった彼らは、汚染を防ぐことが出来なかったみたい。ここまで言えば、分かるでしょう?」


「……だからこその、雪野雫ぼくか。確かに魔法少女であれば、多少は神力に耐性がある」


「それに貴方の契約神は医術の神様でしょう? 貴方の身に危険が迫れば、きっと警告をしてくれるはずよ。それと、直接火災に関わらない事ならば、私が政府に問い合わせて情報を持ってくるわ。だから、どうか頼まれてくれないかしら」


 そう言って、遠野は深々と頭を下げた。その姿に、緋衣は目を見張った。いつも飄々としていて掴みどころのない遠野が、こんな姿を見せるのは始めてだったからだ。


「まあいいさ。できる限りの事はする。けれど、詳しい事情は後できちんと説明してもらうぞ。お前は、いつも言葉が足りなすぎる」


 緋衣がそう答えると、遠野はホッとした様に顔を上げた。


「ありがとう。私はこの件では事情があってどうしても直接は動けそうにないから……。本当に助かるわ」


「だがこのUSBの中に大まかな情報があるとはいえ、ただの研究者である僕には調べると言っても限界があるぞ。それでもいいのか?」


「大丈夫。この件の中心となった人物だけは分かっているから。その子を基準にして調べてくれればいいと思うの」


 遠野はそう言うと、鞄の中から黒い封筒を取り出した。そして慎重に封筒の口を開き、所どころが焼け焦げた写真を緋衣の目の前に取り出した。


「彼女の名前は、梔尸しかばね沙昏さくら。火災の中心地に拠点を持っていた宗教団体――【黎明の星】の教主だった子よ」


 そう告げられ、緋衣は写真に写っている少女を見つめた。巫女服を身に纏った年若い少女は、ゆるくウェーブが掛かった黒髪を右肩に流し、悠然と微笑んでいる。


「……これは、一体どういう冗談だ?」


 呆然とした様に、緋衣が呟く。


――その容姿は、緋衣もよく知っている人物――葉隠桜・・・に酷似していた。



 運命の歯車は、誰も知らない場所でキリキリと加速度を増していく。彼らがたどり着く真実は、はたして希望か、それとも絶望か。崩壊の時は、すぐ側にまで迫ってきていた。


あとがき――――――☆☆☆

この話で三章が終了となります。

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