第84話 暴飲暴食

「酷い目にあった……」


 鶫は疲れた様にそう呟き、大きな溜め息を吐いた。


 柩の病室を出た後、病院の中庭で一休みしていた鶫は、何故か怒りの形相をした医師達に取り囲まれたのだ。詳しく話を聞くと、どうやら鶫が病室を去った後から柩の様子がおかしくなったらしい。


 それからしばらくの間、病室で話した内容などを叱責されながら尋問を受けたのだが、落ち着きを取り戻した柩の証言によってどうにか事なきを得た。……そんなに自分は信用が無いのだろうか。医師達には謝られたが、未だに納得がいかない。


「柩さんが心配なのはわかるけど、あそこまで怒らなくてもいいのに。……あ、この肉もう焼けてるな」


 そう言って、鶫は鉄板の上で焼かれている牛肉を小皿に取った。


――医師に怒られた後、病院から出た鶫は個室席がある焼き肉店へと訪れていた。病室での出来事を傍観していたベルが「何か食べたい」と言い出したのが始まりだが、何よりも鶫自身が空腹だったというのもある。


 焼けた肉を手際よくベルと自分の皿へと取り分けながら、追加で新しい肉を焼いていく。ハイペースなせいで部屋の中が少し煙たいが、それくらいは仕方ないだろう。


「それにしても、言われた通り・・・・・・に柩さんには伝えたけど、本当にあれで良かったのかな」


 そんなことを言いながら、鶫は物憂げにため息を吐いた。


――事は、数日前にまで遡る。


 魔獣の核を無力化し、ボロボロになった鶫たちは、あの後すぐにやってきた政府のスタッフによって回収され、病院へと搬送された。


 柩と戦った三人のうち、日向は比較的軽傷だったのだが、鶫と雪野の怪我はそれなりに酷いものだった。一時はそのまま入院という話になったのだが、とある事情により緊急措置が取られ、政府所属の治癒能力持ちの魔法少女達が治療にあたってくれたのだ。


 まあ鶫の場合は、応急処置だけしたらさっさと退院しようと考えていたので、入院しなくて済むのはありがたかった。何日も家を空けることになれば、千鳥に怪しまれてしまう。

 念のため、しばらくの間は通院が必要とのことだったが、それでも入院よりはマシだろう。


 そして傷の治療中に政府の役人――鶫は把握していないが恐らく偉い人なのだろう――が話をしに来たのだが、役人は部屋に入るなり、難しそうな顔をして深々と頭を下げてきた。


 どうやらその役人の話によると、今回の一件はガス爆発ということにして、事件ごと闇に葬ってしまう予定らしい。

 幸い……というのも妙かもしれないが、直接的な被害は政府の設備と魔法少女である鶫たちだけだ。実質的な被害者――つまり鶫たちの了承さえあれば、柩の暴走の事実をもみ消すのは容易いだろう。


 魔法少女――しかも十華の一人である柩が操られ、政府施設に襲撃を受けるという醜態。いくら予測できなかったとはいえ、この事が明るみに出れば、過度の混乱や、国民からの信頼を失うことは間違いない。……隠蔽自体は褒められることではないが、政府がそういった対応を取ること自体は納得できる。


 鶫たちとしても、事件が表に出ないことについては賛成だった。それは政府の体裁の為ではなく、柩の名誉の為である。いくら本人に責任が無いとはえ、口さがない者は一定数存在する。そんな奴らの言葉に柩が傷つけられるのは、あまりにも理不尽だと思ったからだ。


――そして、他にも問題はまだある。柩自身のことだ。

 日向の治癒の札によって柩の傷自体はほぼ塞がってはいたが、彼女の体は想定以上にダメージを受けていた。その最たるモノは、魂の器だ。

 神力を注ぐための器は魔獣の侵食によってひび割れ、今までと同じように能力を行使することは不可能になった。それは実質、魔法少女としての死と言っていい。どう考えても、引退は免れないだろう。


……それに加え、柩本人の精神状態もあまり良くないらしい。医師から聞いた話によると、意識は戻っているそうだが、問い掛け等には一切反応しないそうだ。


 ベル曰く、魔獣の侵食に抵抗した際の、魂の摩耗が影響している可能性があるとの事だった。魔獣の残滓自体はもう取り除かれているので、摩耗自体はゆっくりと回復していくらしいが、それはあくまでも本人に治る意志が無ければ意味がない。


――でも、柩さんなら多分大丈夫だろう。あの人は、強い人だから。


 鶫はそう考え、柩の容体については楽観視をしていたのだが、そうも言ってはいられない出来事が起こったのだ。



――事件から二日が経った深夜。何らかの気配を感じた鶫は、ベッドの上でゆっくりと目を開いた。


 寝ぼけた視界に入って来る、紅い大きな目。それも一対ではなく、十を超える量の虫眼が天井から鶫のことをジッと見つめていた。


「――ひぃッ!」


 息が詰まるような声が鶫の口から洩れた。大声で悲鳴を上げなかったのは奇跡かもしれない。


 赤い目の持ち主――人間ほどの大きさをした大蜘蛛・・・は、鶫の目が覚めたことを確認すると、カサカサと壁を歩くようにして鶫に近づいてきた。禍々しい気配は感じないので恐らくは魔獣ではないと思うが、如何せん見た目が怖い。


 生理的な恐怖のせいで、背中に鳥肌が立つ。魔獣と相対する時とはまた別の恐ろしさがあった。


「え、ちょ、待って……。ベ、ベル様ぁ!! お客さんが来てるんですけど!!」


 他の部屋で寝ている千鳥を起さない様に、鶫は小さな声でそう叫んだ。だが、ベルは一向に現れない。絶望した鶫は体を起こしずりずりと壁に身を寄せ、怯えた顔をしながらも大蜘蛛から視線を外さずにいた。


 そして大蜘蛛は鶫の前にまでやってくると、キチキチと鋭い歯を鳴らしながら口を開いた。


「――ソウ怯エルナ、バアルノ巫女。今宵ハ、オ前ニ用ガアッテ来タノダ」


 甲高い機械音声のような声が、部屋に響く。鶫は恐る恐るといった風に少しだけ身を乗り出し、「俺に?」と小さく声を上げた。


「ソウダ。――ドウカ、私ノ契約者むすめ――藍莉ヲ救ウコトニ手ヲ貸シテ欲シイ」


 そう言って大蜘蛛――柩藍莉の契約神である鬼子母神は鶫に頭を下げたのだ。


 狼狽える鶫に、大蜘蛛はいくつかの願い事を言った。

 一つは柩の病室に赴き、夢路から預かった手紙を渡すこと。そしてもう一つは――夢路撫子の姉である夢路四葉の夢を見たと、柩の前で嘘を吐くこと。この二つである。


 何故あの手紙のことを知っているのか、と鶫は疑問に思ったが、すぐに首を振って考える事をやめた。相手は神様だ。それくらいのことは知っていて当たり前なのかもしれない。


――だが、どうしてわざわざそんな嘘を吐かなければならないのだろうか? 鶫がそう問いかけると、大蜘蛛は器用に肩を竦めて話し出した。


「今ノアノ子ニ必要ナ物ハ、生キテイク為ノ楔ダ。幽世ニ傾イテイル精神ヲ現世ニ呼ビ戻スニハ、荒療治ガイル。ナアニ、オ前ガ心配スルコトハ無イ。――後ハ私ガ上手クヤル」


 それだけ言い残すと、大蜘蛛は夜の闇へと消えていった。……本当に、神様の考えていることは分からない。


 その後すぐに政府直属の病院に、柩への面会申請を出したのだが、あまりにも面会を申し込んでいる人数が多かったため、直接会うまで一週間以上の時間が掛かってしまった。

……その間、毎日夜になる度に大蜘蛛が「マダナノカ?」と聞きに来たので、正直少し寝不足である。神様方には、物事の手順という物を理解してほしい。


 だが、あの後すぐに柩の意識が正常に戻ったのだから、鬼子母神のしたことは正しかったのだろう。たとえそれが、優しい嘘だったとしても。


 焼けた肉を次々に消費しながら鶫の話を聞いていたベルは、ぽつりと呟くように言った。


「心配はいらないだろう。奴も一度は失態を晒したとはいえ、古き神であることは間違いない。――その程度の嘘を真にするくらい、容易だろう」


「うん? よく分からないけど、ベル様が言うならそうなんだろうね」


 嘘を真に。まさか夢路四葉の幽霊を柩の下へ直接連れて行く――なんてことは流石にないだろうが、あの神様ならばやりかねないのが怖いところだ。


「それに今回の一件は、天照の奴の許可もちゃんと取ってあるらしい。……我への報告が事後報告だったのはいただけないがな」


「あはは……」


 忌々しそうにそう吐き出したベルに、鶫は苦笑を浮かべた。


 既に契約神がいる魔法少女への干渉は、契約神同士の了承が無い場合は禁止されている。本来であれば、鶫への接触はルール違反なのだ。


 鬼子母神が去った後にやってきたベルは、勝手な来訪にひどく憤慨していたが、この国の分霊システムを統括している天照の許可が出ているとなれば文句も言えなくなる。


……というよりも、神様の界隈では葉隠桜の正体の扱いはどうなっているのだろうか。今回の鬼子母神の様子を見るに、神様側にはある程度広まっているのかもしれない。


【契約神がいる魔法少女の個人情報をみだりに話してはいけない】という、天照が作った規則のおかげで、神様側から他の魔法少女に鶫の情報が渡ることは恐らく無いだろうが、それでも心配なことには変わりなかった。


 鶫がそんなことをベルに問いかけると、ベルは不満そうな顔をしながらお茶を啜った。


「……まあ、分かる奴には分かっているだろうな。正体看破の権能持ちの神も少ないが存在している。それに、完全に隠すことはできないことは最初から分かっていたからな」


「それはその、ベル様は大丈夫なのか? 葉隠桜が、男だって他の神様にバレても」


――以前にベルは「男と契約していることがバレたら馬鹿にされる」とぼやいていた。ならば、この状況はベルにとっても不本意なものではないのだろうか。


 鶫が申し訳なさそうにそう聞くと、ベルはフッと笑って言った。


「ふん。契約当初の弱い貴様ならまだしも、ここまで高い適性を示した契約者に対して、今さら性別がどうのなどと、そんな馬鹿なことが言えるはずもないだろう。所詮は良い魔法少女を引き当てられなかった負け犬の遠吠えだ。気にすることもない」


――ベル曰く、男の契約者が他の神様から馬鹿にされるのは、男の契約者は魔法少女として熟す可能性が極めて低いから、という理由が強いそうだ。つまり男と契約している神様は、周りにはあえて雑魚キャラと手を組んでいるようにしか見えないらしい。


 鶫の場合【暴食】のスキルのお陰で、器の成長率は並みの魔法少女よりも比較的高いものとなっている。だがもしこれが普通のスキルだったならば、他の神が言うように「劣った男の契約者」のままだったのかもしれない。……ある意味、運が良かったのだろう。


「あ、肉が無くなった。取りあえず俺は何皿か追加注文するけど、ベル様はどれくらい食べる?」


「そうだな、もう一度端から端まで頼む。デザートもだぞ。……それにしても」


「ん? どうかしたのか?」


 訝しそうな目で鶫を見やるベルに疑問符を浮かべながら、鶫は首を傾げた。


「いや、今日は貴様も随分と食べるのだと思ってな」


「ああ、うん。なんだか最近は妙にお腹が空いて……。医者にも一応聞いてみたんだけど、大きな怪我を負った影響かもしれないって言われたんだ。怪我は治っていたとしても、怪我をした事実を脳が覚えているから、その分を補おうとして栄養を過剰に得ようとしている、らしい。まあ、今のところ体には影響がないからあんまり気にはしていないけど」


 食べても食べてもどこか満たされない。最初はベル様の影響かと思ったが、医者が言うのだからそうなんだろう。千鳥と一緒にいる時は控えるようにしているが、気を抜くとつい何かを口にしてしまう。……本格的に太る前に改善できるといいのだが。


 そう言って鶫は、焼けた野菜に箸を伸ばした。暴食たちの宴は、まだ終わりそうもない。




◆ ◆ ◆




 真白の空間に、一人の少女がいた。


 五歳くらいの姿をした白い髪の少女は、空間の真ん中で、大きな箱のような物に腰かけている。所々が白く濁った、透明な箱――それは遠目からだと氷で出来た棺のようにも見えた。


 少女は箱の上でプラプラと足を揺らしながら、ご機嫌に調子外れの歌を歌っている。


「いーっぱいたべてー、おーきくなってねー」


 けらけらと、くすくすと無邪気に笑いながら少女は続ける。かつて持っていた人形は、もうその手には無い。


「もーすぐ会えるよ、わたしのおとーと。――今度は、絶対に失敗しないから」


 紅い目が、どろりと黒く濁る。それはまるで――地獄に咲く花の様だった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る