第17話 逃走
フリードリッヒは、苦痛に呻きながら立ち上がった。豪奢な貴族の衣装が土塵にまみれ、顔からは赤い血が流れ落ちている。
フリードリッヒは、シオンの魔力を察知して身体ごと背後にむき直った。
「なんだ、そのガキどもは?」
フリードリッヒは、シオンが連れてきたクレアとペイモンを見て当惑の声を上げる。
クレアとペイモンは、瞬間移動のような速さでシオンに連れられて、この場に来たため、何が何だが分からずに茫然としていた。
「ペイモン、私達、いつの間にこんな場所に?」
「よく分からないのですぅ」
クレアとペイモンは、シオンの魔法障壁でしっかりと防御された状態で、フリードリッヒとシオンを交互に見ながらヒソヒソと話す。
「答えろ! なぜ、戦場にわざわざ、ガキどもを連れてきた?」
フリードリッヒが怒号する。
「この二人は見学だ。魔人族との実戦を見せて勉強をさせたくてな。お前はちょうど良い実験素材といった所だ」
シオンの挑発が、フリードリッヒの自尊心を引き裂いた。
「下等生物めが! 許さんぞ!」
フリードリッヒは、端正な顔を憤怒で歪めた。そして、全身の魔力を動員して魔法を発動させる。
「私を嘲弄した事を後悔させてくれる! 貴様と、そのメス餓鬼二人を寸刻みに切り裂いてやる!」
フリードリッヒの周囲に魔法陣が浮かび上がった。
やがて、フリードリッヒの背後に、巨大な植物型の魔物が出現した。 食虫植物ハエトリソウのような姿をしており、無数の触手を持った醜悪な魔物だった。
(ほう、コイツは、召喚術士だったか。だが、召喚までの展開と速度が遅すぎるな)
と、シオンは冷静に分析した。
「私が自ら改造した魔物。
フリードリッヒは哄笑した。同時に食人妖蟲が、触手を伸ばしてシオンに襲いかかる。
細く鋭い触手が、シオンの細身の身体に一瞬で巻き付いた。
「『最強の召喚術士』ねェ。誇大な表現は、雑魚に見えるから止めておいた方がいいぞ?」
シオンは苦笑した。その間にも、〈食人妖蟲〉の触手がシオンを絞め殺そうとする。そして、先端が蜂の針のようになった触手が、シオンの首筋に突き刺さった。
「減らず口はそこまでだ。もはやこれで終わりだ!」
フリードリッヒが、勝ち誇る。
シオンの首に刺さった食人妖蟲の触手から、シオンの体内に猛毒が注入される。
「シオン様!」
クレアが叫び、ペイモンが身を強張らせる。
シオンの体内に毒が巡り始める。
「ふむ。食人妖蟲の触手による捕縛。その後に猛毒の注入か」
シオンが冷静に分析する。やがて、シオンの肉体が麻痺してきた。
「それだけではないぞ」
フリードリッヒが、端正な顔に歪んだ笑みを浮かべる。
シオンの肉体を縛り上げている食人妖蟲の触手が、突如針を出してシオンの血を吸い取り始めた。
「なるほどな。これで人間たちの吸血をしたわけか」
シオンは得心した顔になった。
フリードリッヒはそれをシオンが、死を覚悟した表情だと思い、侮蔑の視線を放った。
「その通りだ。下等な人間どもの血を吸い出したのはその食人妖蟲だ。血と同時に人間の体内にある水分を吸い上げるのだ。見物だったぞ、人間どもが、毒と吸血で悲鳴をあげながら死んでいく姿はな。ヒキガエルのような悲鳴を上げながら干涸らびて死んでいく様は痛快であったわ」
フリードリッヒが、狂笑する。
「そうか」
シオンは静かに呟いた。次の刹那、食人妖蟲の触手が吹き飛んだ。
シオンの魔力の波動が、触手を破壊したのだ。地面に触手の残骸が落ちる。同時に食人妖蟲がもがき苦しみだした。
「な、何事だ?」
フリードリッヒが驚愕して後退る。
「見て分からないのか? 触手を破壊し、俺の体内の毒を解析して解毒した。そして、食人妖蟲の触手を通じて俺の毒を流し込んだんだ」
シオンが、服についた触手の汚れを取る。
「げ、解毒だと? どうやって? こんな短期間に出来るわけがない」
「出来たから、俺は生きている。理解不能か? 随分と知能程度が低いらしいな」
シオンの碧眼に殺意が宿る。
「現代の魔人族の力量を知りたくてわざと攻撃を受けやった。だが、お前の力は全て見切った。もう用済みだ。お前はもう死ね」
シオンの肉体から膨大な魔力が吹き出した。それは台風のような強大な魔力だった。フリードリッヒは戦慄し、恐怖に震えた。シオンの圧倒的な魔力量に怯えて身が強張る。
シオンは今までフリードリッヒに察知されないように魔力を抑えていたのだ。そして、その事をフリードリッヒは悟った。
剣閃が舞った。
空間ごと切り裂くような光速の剣閃だった。
シオンは一瞬で、食人妖蟲を五つに切断し、同時にフリードリッヒの右腕を切り飛ばした。
シオンの攻撃はあまりに速過ぎて、フリードリッヒ、クレア、ペイモンには全く知覚できなかった。
「あぁあああああ!」
フリードリッヒは絶叫した。いつのまにか、彼の右腕は付け根から切断されていた。鮮血が吹き出し、激痛が肉体を駆け巡る。
「う、腕が、私の腕がぁあああああああ!」
フリードリッヒは悲鳴をあげてのたうち回った。今だかって、これ程の痛みと恐怖を感じ事はない。
「さて、あとはトドメだ。何か言い残す事はあるか?」
シオンは静かにフリードリッヒに問うた。シオンの左手にはいつの間にか、フリードリッヒのミスリルの長剣が握られていた。シオンは攻撃の刹那にフリードリッヒの剣を奪い取ったのだ。
「あ、あああ……」
フリードリッヒは恐怖で身体を震わせ、右腕の付け根を左手で押して止血しながら後退する。
金髪赤瞳の魔人族の瞳が恐怖で濁り、端正な顔が痙攣している。
「く、来るな! 寄るな!」
フリードリッヒは叫び、濃霧の魔法を放った。濃霧が周囲に出現し、森ごと煙幕のようにフリードリッヒの姿を隠す。
その後、フリードリッヒは恥も外聞も捨てて逃げた。
パニックになったまま飛翔して逃亡した。
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