第11話 冒険者志願

 その夜、シオンは城の食堂で、祖父エルヴィンと夕食をともにした。

 クレアとペイモンは、シオンの部屋で座学で数学と歴史の勉強中である。

猪のステーキをナイフで切り分けながらエルヴィンは孫に問うた。


「シオンよ。お前は十七歳くらいになったら、一度家を出なければならぬ。その事は覚えているか?」

「はい、お爺さま。二週間ほど前にうかがいました」


 シオンが、パンを千切る手を止めて答える。


 十七歳程で一度家を出るというのは、パリス王国の貴族の慣習である。

 爵位を持つ貴族家の子供は十七歳前後で、一度世間に出て修行する。


なぜ、世間に出て修行させるかと言うと、世情を全く知らず、世知も知識も経験もないままに貴族家の当主になると危険だからだ。


 貴族の当主になって先祖伝来の爵位を継ぐという事は権力者になる事を意味する。世間を知らない人間が、いきなり貴族の特権と権力を得ると、大概失敗と愚行をくり返すようになる。


『爵位を継ぐ前に一度、外で暮らして世間の実情を知れば、良い貴族となる可能性が高いであろう』というのが慣習が出来た理由である。


 もちろん、世間に出て苦労しても、ロクデナシになる貴族はいるので難しい問題ではあるが、この慣習自体は中々合理的で良いものだとシオンは思っている。少なくともやらないよりはマシであろう。


 なお、修行期間は、一年から十年とその家の実情、本人の要望にあわせて期間が決められる。あまり厳密には期間が決められていない。


「我がヴァーミリオン伯爵家においては、王都に務める騎士か、もしくは冒険者となって国家と臣民に奉仕するかのいずれかが通例だが、お前はどちらにするかもう決めたか?」

「僕は冒険者になります」


 シオンはきっぱりと答えた。

 冒険者になって、大陸各地を旅行してまわる。それがシオンの望みである。前世では働き詰めでろくに観光旅行も出来なかった。現世ではタップリと異世界での旅行を楽しみたい。


「ふむ。冒険者か。まあ、お前ほどの腕前ならば、冒険者となっても危険はあるまい。だが、油断は禁物だぞ」


 エルヴィンが、黒髪碧眼の孫を心配していう。


「安全第一を考えて行動しますので、どうか御安心下さい。お爺さま」

「ふむ。よく弁えているようで何よりだ。無事に生還する事を第一に考えるようにな」


 祖父エルヴィンの台詞は孫への愛が強く込められたものだった。

 シオンは微笑して頭を下げた。






夕食後、シオンは風呂に入った。いつも通り、クレアとペイモンも風呂に入る。

 シオンはクレアとペイモンが自分で髪や身体を洗うのを見て、


「成長したな。クレアとペイモンが自分で髪や身体を洗えるようになるとはな」


 と言った。昔は、シオンやビアンカが、一緒に入って髪や身体を洗ってやっていたのだ。


「当然です。もう私は立派な淑女ですから」


 クレアは風呂椅子に座りながら薄い胸をそらした。


「ペイモンは~、本当はシオン様に洗ってもらいたいのです」


 ペイモンは、亜麻色の髪を石鹸水シャンプーで泡立たせながら答える。


「ペイモンは少しシオン様に甘えすぎですよ」


 クレアがたしなめる。

 クレアとペイモンは髪と身体を洗い終えると湯船に浸った。

 大理石造りの豪奢な湯船は二十人ほどが楽に入れる大きさである。


(こんな良い風呂に入れるとは現世は素晴らしいな)


 とシオンは肩まで湯につかりながら思う。 

 過去の数千年間のうちに多くの地球人が、転移して大陸各地に文化と文明を残した。その中でも日本人の転移者は、日本の文化、風習を多く残した。定期的に風呂に入る事が常識的になり、魔石でシャワーや湯を沸かせるのは日本人の転移者の遺産である。


 前世で朝木玲司だった時は、中世ヨーロッパの文化レベルであったので、風呂に入るのが非常に難しかった。

 中世ヨーロッパでは、風呂に入るという習慣そのものがなかったのだ。


「シオン様」


 クレアとペイモンが、湯船の中で正座してシオンを見る。


「どうした?」

「私達は、どのくらい強くなれますか?」


 クレアが問い、ペイモンがふんふんと頷く。

「そうだな。あと三年もすれば、今の俺の十分の一程度の強さは身につくだろう」  

シオンが答える。

「ほ、本当ですか?」

「シオン様の十分の一ですか? 凄く強いのです~」


クレアとペイモンが、目を輝かせる。


「では、私もペイモンもシオン様の冒険に連れて行って下さいますか?」


 クレアが、真剣な顔で問う。


「ああ、もちろんだ」


 シオンが碧眼に微笑を浮かべた。


「安心致しました。今後も精進致します」

「ペイモンも修行を頑張るのです」


クレアとペイモンが、笑顔で言う。


「その意気だ」


 シオンが、優しい声音で言った。

 風呂から出ると、全員シオンの部屋に移動した。

 シオンは、クレアとペイモンの髪の毛を温風の魔法でドライヤー代わりに乾かしてやる。

 クレアの銀色の髪と、ペイモンの亜麻色の髪が、温風にのって流れる。


「いつも申し訳ございません。シオン様」


  クレアが礼儀正しく言う。


「温風の魔法はいつも気持ちいいのです~」


 ペイモンが、ショートカットの亜麻色の髪を温風でなびかせながら言う。


「髪はよく乾かさないと風邪をひくからな」


 シオンが二人の髪をしっかりと乾かす。


(前世では天涯孤独だったが、今は祖父にビアンカ、妹が二人もいる)


 そう思うとシオンの胸にじんわりと温かさが広がった。

 元々、家族や兄弟姉妹という存在に憧れがあった。まさか転生してこうして手に入るとは、有り難い話だ。


 全員、髪を乾かし終えると寝間着に着替えた。

 クレアもペイモンも、胸と股間を覆っただけの下着のような扇情的な寝間着である。シオンも寝間着に着替えると全員で天蓋付きの豪奢で広いベッドに入る。


「う~、春なのに寒いのです」


 ペイモンが、ベッタリとシオンに手足を絡ませてくっついた。ペイモンの薄い胸、腹や太股、手足が、シオンの肉体に密着する。 


「ペイモン、シオン様を湯たんぽ代わりにしてはいけませんよ。あくまでシオン様は私達のご主人様です。そして私達は忠実な下僕なのです」


 クレアが、シオンに遠慮して言う。 シオンはクレアが身体を震わしているのを見ると、


「気にするな、兄妹なんだから」


 と言ってクレアを腕で抱き寄せた。


「あっ」


 クレアの夢幻的な美貌が、ほのかに赤く染まる。


「クレア。みんなで暖まった方が気持ちよいですよ~」


 ペイモンが、クレアの手を握った。


「お休みなさいです。シオン様、クレア。ペイモンはたくさん寝て、明日もたくさん遊んでたくさん食べるのです」

「いや、勉強もしろ。喰って遊んで寝るだけかよ。犬かお前は」


 シオンが突っ込んだが、既にペイモンは熟睡していた。


「いつもながら寝るの早いな。もはや才能だなこれは……」


 シオンは、本気で感心した。ペイモンは意外に大物になるかもしれない。


「シオン様……」


 クレアが、端麗な顔をシオンに近づけて言う。クレアの吐息がシオンの頬にあたる。


「なんだ?」

「シオン様は十七歳になったら冒険者になって旅行されるのですよね?」

「ああ、前に言ったとおりだ」

「どうして、旅行をしたいのですか?」


 クレアの美しい黄金の瞳が月光に反射して煌めく。八歳とは思えない神秘的な美しさだった。

 わずかにシオンはクレアの美貌に気圧された。あまりに美しいと人は畏怖を感じるものだ。


「そうだな……。たぶん、人生を楽しみたいからだろうな」

「人生を楽しむ……ですか? 旅行とは楽しいのですか?」


 クレアは生まれてから一度も旅行などしたことがない為、旅行が楽しいという感覚が分からない。


「ああ、きっと楽しいぞ」


 シオンが碧眼に微笑を揺らす。


「そうですか。クレアは……、シオン様といるだけでも楽しいですが……」


 クレアが頬を染めつつ言う。


「そうか。俺も、クレアとペイモンといると楽しい。これからも、ずっと楽しい事や面白い事を一緒に経験していこう」

「はい。お誓い致します」


 クレアが、シオンをぎゅっと抱きしめた。シオンとクレアの頬が触れ合う。


「さ、もう寝よう。明日も修行と勉強だ」

「はい」


 やがて、フクロウの鳴き声が響きだした時、二人は眠りに落ちた。

 

 

 

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