第10話 奏の記憶 ~後編~
「それって、さっき帰りに寄った支配人室での話のせいか?」
「...............」
父親の会社に向かいながら、むすりと口を引き絞る響。
彼は百香の控え室を出てから、慣れた足取りで出口とは反対方向に向かう。
訝しげな顔でついていく拓真と阿月が着いた場所は、豪奢な応接室。
そこに居た使用人らが瞠目するなか、響はドカっとソファーに腰を下ろして戸惑う使用人達を一瞥した。
「秋津の息子が.....来たと伝えろ」
その名前を聞いて、しゃっと背筋を伸ばす人々。
秋津財閥といえば、このアンダー・ザ・ローゼのオーナーの一人である。
「承りました」
おしきせを着て上品な所作で頭を下げた男性は、奥の扉の中へ消えていく。
それを呆然と見送り、拓真と阿月もソファーに腰を下ろした。
「何なんだ、いったい?」
「響は、ここをよく御存じなのですね?」
二人の言葉に軽く頷き、響はメイドの出した紅茶に口をつける。
「奏の祖母.....も。ここのオーナーの一人.....だった」
思わず眼を見張る幼馴染みの二人。
だとすると、途方もない金持ちのはずだ。彼女の前の名前は何と言ったか.....
「しののめ.....だっけ? しののめ.....東雲.....? あっ!」
拓真も気付いたようだ。
日本で東雲を名乗る団体は一つしかない。東雲御前と呼ばれる女傑の築いた粋奇一族。風流に溺れ極める数奇者をモジってつけられた尊称、粋奇一族。
典雅流麗、美に、芸に、才にと日本の粋を集める一族である。古くから政治の世界に関わり、多くの功績を残してきた。
美しい、楽しい、面白い、美味しい等々。どれもが極めれば至宝である。それらを用いて日本の裏側を永くに亘り支えてきた一族。それが風雅を誇る東雲家だ。
「話には聞いたことあるぞ?」
「私も。でも、伝説のような朧気な噂話しか存じません」
驚嘆に顔を見合わせる二人を見て、響は苦笑する。
それはそうだ。今は無い一族だからな。
東雲御膳の死後、一族はそれぞれ決裂し袂を別った。己の才に自信と矜持を持つ者達のばかりの集まりだ。
現代の気風も手伝い、誰かの下につくことを厭うた彼等は、各々その道に独立していったのである。
残った家屋敷と東雲の名前を継いだのが奏の母親。
莫大な資産も別れた親族らと分かち、小分けされた遺産だけだったが、それなりに結構な金額だったらしい。
まあ、孫の代まで暮らしに困らない程度らしいが、新たな門家を起てるには十分だろう。
そこから直系親族は奏の家族しかおらず、アンダー・ザ・ローゼのオーナーも奏の母親に譲られたが、前述にもあった通りこの店は金持ちの道楽だ。
収益はほぼ無く、むしろ赤字を支援して補填する必要がある。
そんな負債の塊なオーナー枠を所持している意味はない。
結果、そのオーナー枠を響の父親が買い取り、奏の家族は普通の裕福な一家として暮らしていたのだ。
響が奏の事を調べていた時に得た情報を脳裏に浮かべながら御茶を飲む響の前に、一人の男性が現れる。
「お久しぶりです、坊っちゃん」
やってきたのは大きな体躯の男。ゴツい身体にシックな鈍色のスーツをまとい、綺麗に撫で付けた髪の頭を深々と下げている。
「挨拶は良い。なぜ、知らせなかった?」
冷ややかに穿たれる響の声に驚き、拓真と阿月は、ばっと彼を振り返った。
まるで蝋人形のように青白い響の顔。仄かな影の落ちるその顔で爛々と光る瞳は、眼窟奥に妖しげな焔を宿して目の前の男性を睨めつけている。
狂気にも似た雰囲気を醸す響が激怒しているのを見てとり、拓真と阿月は背筋を震わせた。全身が粟立ち、ピリピリとした静電気が絶え間無く肌の上を撫で回している。
それは男性も感じているのだろう。小さく嘆息して、重そうに口を開いた。
「わたくしからは申せません。詳しい事はお父上にお尋ねくださいませ」
すうっと響の眼が辛辣に細められる。
「ここの支配人なお前が説明出来ないと?」
「はい」
「奏が出演しているのを隠したのも、出演させたのも親父の命令か?」
「..........そうです」
「...............」
居心地悪い沈黙が部屋を支配し、言葉もなく響は立ち上がると店を後にしたのだ。
深夜遅くにもかかわらず、秋津コンツェルンの本社ビルには明かりがついていた。
タクシーから降りた三人は響を先頭に正面からビルに入っていく。
受付を通す事もなく進み、エレベーターで最上階に着くと、響は通路最奥の重厚な扉を開いた。
ノックもせずに開けたそこには、大きなマホガニーの机に座る響の父親。
響に良く似た面差しの美丈夫は、落ち着いた雰囲気で三人を迎えいれる。
「アンダー・ザ・ローゼから話は来てるよな?」
「ああ。もう隠せないようだな」
親子の間にバチバチと飛び交う不穏な空気。
その軋轢に怯える拓真と阿月は、硬直したまま傍観するしかない。
先に口火を切ったのは父親だった。
「何処から話そうか..........」
響の父親は意識を飛ばすかのように遠い眼を馳せる。
それは十年程前。
当時、まだ六歳だった奏を襲ったのは祖母の死亡により起きた、東雲御前の名前襲名だった。
これは直系の女子のみに譲られる名前で、形骸化した権力ではあるが形だけでも末裔が存在している事が必要だと、東雲一家に親族が押し掛けてきたのだ。
遡れば平安時代にまで続く古い旧家。それが現存している奇跡を失う訳にはいかないと。
愛娘を奪おうとする親族らの申し出を断る奏の両親だが、前述されたように東雲の一族は才に秀でた家門である。各界に力があり、卑劣な圧力をかけて奏の両親を追い詰めていった。
仕事を奪われ、平穏を奪われ、父親は酷いノイローゼとなり、しだいに奏へと憎しみを募らせていく。
それに気付いた奏の母親が響の父にSOSを寄越したのだが、時既に遅く、その通話履歴を見つけた奏の父親は、逆に妻の不貞を疑ったのだ。
疑心暗鬼に陥り、溜まっていたストレスが爆発した奏の父親が、娘を殺そうと刃物を持ち出す。
「お前さえいなければ..........っ」
狂気に支配された夫から娘を庇い、奏の母親は凶刃の餌食となった。
それが父親から最後の理性を奪う。
最愛の妻を失い、彼の、か細い理性の糸は、プツリと音をたてて切れたのだった、
電話を貰った響の父親が現場に駆けつけた時、そこは血の海。
母親は首を切られて絶命。奏はくっきりと首を絞められた痕を残して倒れており、それをしたであろう父親はリビングで首を吊っていたとか。
無理心中..........
間に合わなかったと奥歯を噛み締める響の父親が、警察に通報しようとスマホを取り出した時。
なんと死んでいると思った奏が息を吹き返した。
それを抱き起こして、慌てて救急車を呼ぼうとした響の父は、現場を思い出して眼をすがめる。
このまま通報したら、奏の将来はどうなる? 東雲一族が奏を手に入れるために動いていた事は響の父も知っていた。
エグい方法で仕事を奪い、借金を背負わせ、彼等を追い詰めていた事を。
響の父も助けようと声をかけていたが、奏の父は頑なに断り続けた。
今思えば、その頃から自分の妻の不貞を疑っていたのだろう。
東雲の一族は微に入り細に入り、ノイローゼに陥った奏の父に猜疑の種を蒔きまくっていた。
結果、起きた惨劇。まさか、こんな事態になるとは東雲の一族も思いもしなかったに違いない。
響の父は腕の中の奏を見つめた。涙にけぶるぼんやりとした瞳。
このまま事件をつまびらかにすると、奏は東雲の一族に奪われてしまう。
奏の両親を。自分の親友を壊して死なせた、あの一族に。
これを隠蔽しなくては..........っ!
「そう考えた私は、裏の伝を頼り、同じ年頃の女児の遺体を手に入れて、あの家に火をはなったんだよ」
絶句して聞き入る三人を見て、響の父親は酷薄に眼を細めた。
そして、そこからも問題だらけだった。
奏を救えたものの、響の父親は、彼女を引き取ることも後見人になる事も出来ない。
そんな事をすれば、あらゆる所にアンテナを張る東雲一族に気づかれてしまうからだ。
古くからの血族の持つ、伝や情報網は伊達ではない。
そういった背景から、彼は致し方無く、奏を国に任せる事にした。
辺鄙な田舎の片隅の養護施設を斡旋して、ただ見守るだけ。響の父親にはそれしか出来なかったのだ。
そして、そこでの彼女への待遇が悪いと知るや否や、今度は知り合いの養護施設に声をかけて奏を引き取って貰った。
貧しいが、とても良い老夫婦だ。目立たない程度の支援をし、古びたピアノをそこに寄付したのも響の父である。彼女からピアノを奪いたくはない。
それに必要な防音施工にも抜かりはなかった。
そして頻繁にカウンセリングを行い、奏を楽観的に誘導していったのも響の父の采配である。
こうして、ゆうるりとした穏やかな支援を行い、じっと奏を見守り続けていた響の父親。
ざっと聞いただけでも、死体遺棄に放火、幼女拐取。重犯罪のオンパレードである。
拓真と阿月は言葉もない。
「引いたか?」
ほくそ笑む父親に、響は、にっと狡猾な笑みを返す。
「ありがとう、父さん」
瞠目する父親の顔が可笑しくて、響は声をあげて笑った。
何年ぶりに見ただろう。声を上げて笑う響を。
「俺に知らせなかったのは何故?」
「..........あの頃、お前は凄まじくカナちゃんに固執していた。いや、執着か。生きていると知ったら、間違いなく彼女の元に走っただろう?」
否定出来ない。
響は、そっと父親から眼を逸らした。
「正直、カナちゃんが成人するまでは、お前に知らせるつもりは無かったんだ。未成年の間は東雲に親権が発生するからな」
下手に響がまとわりつけば、それ経由で東雲一族に覚られる可能性がある。
親友の忘れ形見を絶対に失いたくはない。
「なら、戸籍を上書きすれば良い」
しれっと宣う息子に、父親は嫌な予感を覚えた。
「高校卒業したらプロポーズする。結婚して夫婦になれば、もう手出しはできないはずだ」
手遅れか。
真面目な顔で言い放つ息子に軽い眩暈を覚える父親。
うん、分かってた。コイツが知れば、そう言う結論になるって。
半端なかったものなあ。カナちゃんにベッタリで。
「反対はせん。だが、カナちゃんの気持ち優先でな? 無体は許さんぞ?」
「もちろん」
至福に酔ったような淡い微笑みに、父親も幼馴染み二人も二の句が継げなかった。
こうして奏の過去が明らかとなり、幼馴染みの協力を得て響の猛アタックが始まる。
久々の舞台に興奮さめやらぬ百香は、これから巻き起こる波乱万丈な己の未来を知らない。
御愁傷様♪
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