第8話 奏の記憶 ~前編~
「えと、失礼します?」
特待生室の扉を開けて、百香はおずおずと顔を出した。
そこには響と拓真がソファーに座り、亮が部屋の角で筋トレをしている。
前に訪れた時は中央のグランドピアノにしか眼がいかなかった百香だが、よくよく見れば広い室内には沢山の物があった。
扉側の左奥手にはマットやベンチプレスなどのスポーツ器具。逆角の窓辺は六畳ほどの畳スペースと茶道具。他にも漆塗りの箱が並び、花器には花が生けてある。
右手奥は窓側に応接セット。扉側の角にはオーディオやギターなど、生徒会メンバーの個性が溢れる仕様になっていた。
「百香」
「百ちゃん、いらっしゃい」
にこやかに迎えてくれた拓真に近づき、百香は小脇にかかえた重箱をテーブルに置く。
「大屋さんから薩摩芋もらってね。大学芋作ったの。お裾分けだよ」
百香が蓋を開けると、そこには艶々な乱切りの大学芋。ちゃんとゴマがふられ、五本ほどの爪楊枝が添えられた一品。
おーっと眼を見張る生徒会メンバー達。それぞれが爪楊枝を手にとり、大学芋を頬張った。
「うまっ、え? これなに?」
亮が眼をしばたたかせる。
「何って大学芋」
小首を傾げる百香に、亮は、そうじゃないとばかりに首を振った。
「そうじゃなくて.....、いや、そうなんだけど、市販品と違う。なんか、もっちりホクホクしてね?」
ああ、とばかりに微笑む百香。その屈託ない笑顔に、亮は一瞬頬を染める。
「丸ごとで蒸してから揚げてるのよ。薩摩芋って曲者でね。丸ごとの方が繊維がほぐれやすいの。ほかの野菜もそうなんだけど、刃物で切ってから熱を通してしまうと味がぼやけるのよね。食感も」
特に水分の多い物ほど、それが顕著だ。レタスなども刃物で切るより手で千切ったほうが良いと言われるのは、そのせいだ。
「何でもってわけじゃないけど、多くは丸ごと火を通すのが一番美味しくなるらしいよ?」
なるほどと得心顔で頷く男性人。
そこで何かを思い出したかのように響が微かに眼を伏せた。
憂いの浮かんだ切なげな眼差し。百香でなくば、あまりの眼福に思わず地団駄を踏むであろう艶かしげなその姿。
他の二人は気づかない、そのしょんぼりとした様子。
「どしたん? 元気ないじゃない? 何かあったの?」
だが百香には丸分かりだ。
言われて苦笑する響。ほんの少し唇がひきつっただけのソレでも百香には分かる。
「いや..... 明日から夜は撮影で。.....しばらく夕飯はいらない。.....学校には来るけど」
ポツポツと話す響。
「了解。じゃ、掃除だけしとくね?」
「..........うん」
何の変哲もない連絡事項。その合間に潜む微かな溜め息も百香は見逃さない。
「何しょげてんのよっ、御仕事でしょ? 頑張んなよっ」
ばんっと響の背中を叩く百香。
しょげてる?
拓真と亮は思わずマジマジと響を見つめた。
何時もと変わらぬ鉄面皮。違いと言えば、ひっきりなしに口をモゴモゴさせている事か。
「.....御飯。.....一緒に食べたかったから」
家政婦に行った日、響は百香と夕飯をとる。その事を言っているらしい。
呆れたような顔で眼を見張り、次には零れるような笑顔で百香は響に微笑んだ。
拓真と亮も思わず魅入られる優美な微笑み。
「なあんだ、そんな事? なら、お昼を一緒しようよ。アタシお弁当作ってくるからさ」
「.....良いのか?」
ぱあっと煌めく響の瞳。
「一つも二つも変わらないしね。それで良い?」
「ああ」
「分かりやすっww こんなんで喜んでくれるなら安いものよ。じゃ、重箱は帰りに取りにくるね」
そう言い残して百香は扉から出ていった。
残された三人は無言のまま。拓真と亮は響をチラリと一瞥し、その表情を確認する。
全くの鉄面皮。これのどこから感情を読み取っているのか。
「.....嬉しいか?」
「凄く.....」
だろうね。
拓真は響が彼女に情を寄せているのを知っていた。だから、顔に出なくても、その胸中を理解する。
しかし彼女は知らないはずだ。なのに響の感情を的確に読み取っていた。
二人の間に流れる不可思議な感覚。これが響の言っていた絆というモノか。
記憶が無くとも繋がる見えない絆。
思案に耽る拓真が大学芋を口にしていると、百香と入れ替わりで阿月が扉から入ってきた。
「図書室の入り口で百香ちゃんと逢いましたよ。何でも美味しい物があるとか?」
「ああ、お前好みだと思うぞ? そこのテーブルに..........」
そう言いつつ振り返った拓真の視界には、重箱を腕の中に抱え込む響。
地味に嫌そうな顔をして阿月を見据えていた。
こういう時だけ感情を伝えてくんなや、お前。
「一つで良いですから。ね?」
仕方無さげに重箱を差し出す響。阿月も爪楊枝を取り、そっと大学芋を口にする。
そして瞠目。
「やだ、なにこれっ? 美味しいっ!」
もふもふもふと咀嚼し、じっと響を見つめる阿月。
ふいっと眼を逸らして響は再び重箱を抱え込んだ。
「皆にって持って来てくれたんだろうがっ! ほら、寄越せっ!」
拓真が大学芋に手を伸ばした瞬間、響はバチンっと音をたてて重箱の蓋を閉める。
慌てて手を引っ込めた拓真だが、一瞬遅くば指を挟まれたに違いない。
「おまっ! 俺の指は商売道具なんだぞっ?!」
「..........御仕舞い」
勝手に決めんなっ!!
しれっと重箱をナイナイする響を悔しげな顔で亮が見つめていた。
百香と響の間に横たわる親密間。どう足掻いても割り込めるはずのない繋がり。
ずっけぇよな。恋愛が早い者勝ちなんてよ。
響には生まれてからずっと彼女と一緒だったアドバンテージかある。間違いなく百香は響にとって特別な存在だ。
百香もそれと知らずだろうが、響に心の距離を近づけていた。
自覚した途端に失恋かよ。
黄昏る亮に気づき、ふと響は動きを止めた。
亮の態度の端々に見える百香への想いに響は気づいている。さっきも一瞬頬を染めた彼が響の逆鱗に触れていった。
だが亮が項垂れている理由は響のせいだろう。
亮は真っ当な男だ。友人の恋慕う女性に横恋慕など出来るわけがない。たとえ、まだ響のモノになっていないとしても。
響は重箱を持ち、亮に差し出した。
「.....少しだけ。やる」
懐に抱え込み、いそいそと隠していた百香の大学芋。
思わず眼を見開き、亮は響を凝視する。
何も浮かんでいない鉄面皮。それでも、微かな労りが伝わってきた。
その理由を覚り、亮は眼をすがめる
「.....俺、平気だから。ちょっと良いなって思ってただけだから」
「うん。.....ごめんな」
「謝んなよっ、惨めになるからっ!」
ぼそぼそと交わされる二人の会話は拓真と阿月に聞こえない。
「.....美味いな」
「うん。でも三つまでな?」
「てめぇっ! それが傷心のダチに言う台詞かっ!」
がばっと響の首に腕を絡めて、亮は彼の頭をワシワシと掻き回す。
何が起きたのか分からない拓真と阿月は肩を竦め、微笑ましそうに絡み合う二人を眺めていた。
そんなこんなで日々が過ぎ、百香のバイト先のファミレスを訪れた亮を除いた幼馴染み三人は、彼女を送りアパート前までやってくる。
「ありがとう。またね」
御礼を言ってアパートの階段を上る百香。彼女が部屋に入り、明かりがついたのを確認して、響は軽く息をついた。
「あそこに.....居るんだな」
「ん?」
「良いな..... 暖かい」
幼馴染みの二人は、響の言わんとする事を察して、眼を緩める。
失った少女が戻ってきた。凍てついた永久凍土には、これ以上ない至福の春風だろう。
恍惚とアパートの明かりを見つめる響。
さて、この辺にさせておかないとな。
それはそれ。これはこれだ。
響の気持ちは分かるが、これを放置するとストーカー一直線である。
すでに、その片鱗が見てえいる響を現実に連れ戻すべく二人が彼の両腕を掴んだ時。
突然、百香の部屋の明かりが消えた。
ばっと顔を上げた三人は怪訝そうに彼女の部屋を見据える。
何が起きた? もう寝たのだろうか?
何時もより随分と早い。
アパートへ送る度に動かなくなる響を必死に連れ帰ろうとしていた二人は、否応なく百香の就寝時間を把握ていた。
彼女が寝るまで響はここから微動だにしないからだ。
固唾を呑む三人を余所に、百香の部屋の扉が開き、そっと彼女が部屋から出てくる。
辺りを窺うように一瞥し、出てきた彼女は足取りも軽く階段を降りて、何処かへと向かっていった。
「.....こんな夜更けに何処へ?」
「さあ?」
「...............」
響は冷ややかな眼差して百香の後を追う。
「待て響っ! それじゃ完全なストーカーだぞっ?!」
「かまうもんか。.....逢い引きとかだったら、どうする? それなら相手を確認しないと。騙されてるかもしれないし」
こういう時だけ流暢に喋んなよ。
ずんずん進む響を追いかけ、致し方無くついていく苦労性の幼馴染み二人である。
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