第7話 柏木の記憶


「きゃーっ、良いんですか?」


 百香の前にはスーパーの袋一杯の薩摩芋。


「いいのよぉ、田舎から段ボール一杯送られてきてね。アパートの人らに分けようと思ったんだけど、みんな要らないっていうから、余って余って。貰ってくれたら嬉しいわ」


 にっこり笑う大家さん。


 このお婆ちゃんは百香の住むアパートの大家さんで、一階に暮らしている。

 独身者ばかりな店子に、あれやこれやと世話を焼いてくれる良い御老人だ。

 いくばくかの御説教もあったりするが、この人間関係の希薄な時代、まっとうに親身になってくれる人は珍しく、店子らも今時な若者ばかりだが、大家さんを慕っていた。


「嬉しいですっ、買うと高いんですよ、薩摩芋って♪」


「だよねぇ。だから皆に焼き芋か大学芋にでもしてお裾分けしようと思ってるのよ」


 他の店子は、生の芋では調理が分からないのだろう。

 実際その通りで、生の薩摩芋を目にした店子らは、あからさまに動揺した。

 断られてもめげないお婆ちゃんに苦笑し、百香も頷く。


「慣れない人には調理出来ないですよね、薩摩芋って。ただ焼いて塩を振ったりしただけじゃ美味しくもならないし。揚げ物や凝った料理は独り者にはハードル高いし」


「そうそう。けっこう曲者よね、薩摩芋。昔なら、アルミホイルに包んでストーブで焼き芋とかしたけど、今はストーブそのものが、あまり使われてないしねぇ」


 火の気の塊で、別途燃料の必要なストーブは、独り者に向かない。

 子供のいる家庭でも受けが悪く、しだいに減りつつある暖房器具だ。

 だが、加熱を兼ねられる便利な道具でもある。

 百香は好んでストーブを使っていた。


 ひとしきり世間話をし、彼女はもらった薩摩芋を台所へ持っていく。

 部屋の玄関横に設置されたKキッチン。そこの俎板に丸々とした芋を五本ほど出して、残りは横のキャスターにしまう。


「手っ取り早く大学芋にでもしちゃおう。保存もきくし美味しいよね」


 大量につくるなら、大学芋だ。一気に作ってしまえば手間もかからないし、良いオヤツになる。


 鼻歌まじりに大学芋を作った百香は、保存用のタッパーに詰めているとき、ふと思い立ち、小さめな重箱にも大学芋を詰めた。


 にっと笑い、彼女は翌日、それを持って特待生室を訪れる。





「貰ったけど使っても良いのよね?」


 図書館奥に設置された特待生室。そこに入るには、カードキーが必要だった。

 ある意味、特別奨学金で通う百香も特待生だ。

 生徒会メンバーや、運動部、文化部などの総括が主な特待生。あとは目立つ功績を修めた者らが、この特待生室を使う権利を学園から与えられていた。


 意を決してカードを使う百香を、図書館の生徒達が食い入るように見つめている。

 そして彼女が中に消えると、誰とはなしに口を開いた。


「アレって外来だよな?」


「何で特待生室に?」


「そういや、御三家や目立つ生徒らに取り入ってるとか噂なかったっけ?」


「えー? そんな事しても取り入れないだろう。あの三人が、下手な胡麻擂りや色仕掛けに引っ掛かるとでも?」


「「「ないな」」」


 自問自答で納得する生徒達。なればこそ、さらに不思議そうな顔で特待生室の扉を見つめる彼等の背後に、柏木がいた。


 以前、百香がロッカーの鍵穴を潰された時、親切にしたおかっぱの女生徒だ。


 彼女は、忌々しげな顔で苦虫を噛み潰す。


 百香に対する、虐めや、あらぬ噂の根元は柏木だったから。


 有名大学の外科医を父に持つ彼女は、代々続く医師の家系に生まれた生粋の御嬢様。

 上流階級に名だたる不動学園に幼稚舎から通い、長く御三家や、魅力ある男性達に憧れて育ってきた。

 年頃な男性らに、性的な意味で興味を持つ女生徒は少なくない。

 むしろ半数以上が、そういった目的で伴侶たる男性を探す年齢だ。

 家の看板を背負う彼女らにとって、伴侶探しは使命である。

 如何に家の益とするか。それに付属して、眉目秀麗で、自分を愛してもらえるなら、こんな素晴らしい事はない。

 家の利益と、己の欲望を天秤にかけつつ、なるべく釣り合う相手を探すのは至難の技。

 しかし、早めに相手を探さなくば、意に沿わぬお見合いや婚約が彼女達を待ち受けている。

 幼稚舎や初等部あたりは、まだ良かった。誰もが見聞きするような家の者ばかり。

 だが、中等部、高等部あたりから規模が大きくなる不動学園には、外来と呼ばれる生徒達が増えてくる。

 小金持ちや成金などの下世話な人々。

 これに苦虫を潰す柏木だが、さらに気に入らないのは特別奨学金枠で入学する生粋の庶民達。

 富を持つ者は、社会に還元しなくてはならないと、大きな志から始められたシステムだ。


 それにより入学してくる庶民らが、柏木の鼻をつく。


 作法も知らず、階級の何かを理解もせず、気軽に話しかけて振る舞う人々。

 前述の成金らもコレに含まれるが、少なくとも彼等には財力というステータスがある。


 何も持たずに我が物顔な庶民らが、柏木は大嫌いだった。


 そこに加えて、今回は苦学生という最底辺な女。

 

 それだけでも柏木の逆鱗に触れるのに、なんと彼女は御三家の一人である秋津響と仲が良かった。


 あの日、柏木は運悪く、百香に響がサンドイッチを譲る場面を目撃する。

 

 己の眼が信じられなかった。


 あの冷徹な鉄面皮で、周囲の人々を欠片も視界に入れない響が、なぜあの女を気にかけてサンドイッチを譲るのか。

 それだけでも業腹なのに、なんと、あの女はそれを断ったのだ。

 己がどれほどの幸運に恵まれたかも理解せず、響の厚意を断った。

 

 歯噛みする柏木の視界の中で、結局、百香はサンドイッチを受け取り、校舎裏の中庭へと歩いていく。

 そしてそれを無意識に追いかけた柏木は、百香がウロウロしてから、ある植え込みに潜り込んだ所までを確認した。


 一言物申してやりたいが、何と言おうか。

 柏木が悩んでいた所に、今度は響が現れる。

 絶句する彼女が物陰にいるとも知らず、当たり前のように響は植え込みに入っていった。


 え? 待ち合わせ? 嘘っ!?


 愕然と立ち尽くしていた柏木だが、少しして出てきた響が、顔に朱を走らせて艶かしい色香を浮かべているのに、絶望する。


 あの女、彼に何をしたの?! 


 凄まじい嫉妬に煽られ、植え込みを凝視していた柏木の前に、何の動揺もない百香が現れた。

 立ち尽くす柏木に気づいて、一瞬呆けた顔をしたが、次には、にこっと無邪気に微笑む百香。


 ああ、そう。貴女にとっては、日常茶飯事なのね。


 魅力的な男性に対して、あからさまな色仕掛けや媚を売る女生徒は後を断たない。

 しかしあの響を狼狽えさせるほどの、いやらしい手管を使う賤しい女は、流石にいなかった。

 誰もを虫けらのように見下す彼から、あんな表情を引き出せた女は。


 柏木は立ち去る百香をじっと見つめ、眼窟奥に陰惨な光を灯す。


 追い出してやる。全力で。


 こうして彼女による百香への嫌がらせや、中傷誹謗がはじまったのだ。




「あの女っ! どれだけ豪運なのよっ!!」


 嫌がらせの全ては徒労に終わり、逆に百香への庇護欲を他の生徒らに掻き立てる始末。


 ならば悪い噂をと、それとなく流してみても、鉄壁の御三家の威光が仇となり、勝手に鎮火してしまう。

 彼等が、そんなさもしい手管にうつける訳はないと。

 

「どうしてくれようか」


 ギリギリと爪を噛み、なんとかして百香を陥れようとする柏木の思惑を、まだ誰も知らない。

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