第6話 新たな記憶 ~後編~


「石鹸だけ..... 綺麗な髪をしてるのに。伸ばしてるなら大切にしないと」


 衝撃の事実を物憂げに受け止め、拓真は響に視線を振った。

 それに軽く頷き、響は心のメモに日用品一式を書き込む。


「別に大切でもないし。美容院代が惜しいのと、適当に括れる長さが便利なだけ」


 身も蓋もない言い草に、唖然とする三人。

 

「夏なら、シンクに水ためて水浴びしてるしね。盥を足元において、こう..........」


「だから、百香ちゃーんっ!! そういった生々しい話は殿方にしないっ!! ってか、それ初耳よぉーっ?! お風呂くらい貸すから、私ん家で入りなさいっ!!」


 三人ばかりではなく、マスターまでリアル絶叫する酷い暮らし。

 本人が全く気にしていないのが、なおさら心に突き刺さる。


 駄目だ。これは根本から改善が必要だ。


 響とは別の意味で無頓着。

 こういった件に慣れている拓真と阿月は、切なくて涙がちょちょ切れそうだった。

 そして二人は、先ほどから無言の響を見る。

 その顔は何かを思案する感じで、じっと百香を見つめていた。


「.....バーガー屋。辞めて?」


 考えていたのは、それかっ!!


 これだけ悲惨な暮らしぶりを聞いたというのに、結局は己の欲望しか脳裏にないのか、おまえはっ!!


 じっとりと眼を据わらせる二人の前で、さらに響は言葉を紡いだ。


「俺んとこで..... 家政婦やらないか?」


「「「は?」」」


 思わず重なる異口同音。


「暖かいモノ食べろって。.....言っただろ?」


 ああ、とばかりに、百香はバーガー屋での会話を思い出す。


「俺、人を部屋に入れたくない。.....けど、お前なら。.....いい」


 微かに苦笑する響。


 すわっ、告白かっ?!


 固唾を呑み、見守る拓真と阿月。


 しかし、百香は身動ぎもしない。普通の顔でしばし考え込んでいた。


「時給は?」


「日給一万。食材別途支給。仕事は部屋の片付けと掃除。あと食事の用意」


 スラスラと並べる響。


 あんた、普通に喋れるんじゃない。


 だが、言った後で大きく息を吐く彼を見て、思わず百香の顔が綻んだ。


 頑張ったのか。息切れするほど。


「厚待遇だね。本職雇えば良いのに」


「ヤダ。.....他人は嫌い」


「アタシも他人なはずだけど?」


「アンタは、.....大丈夫」


 何がどう違うんだか。


 考え込む百香に、マスターが後押しする。


「良いお話じゃないの。バーガー屋なんてウチの七割しか稼げてないでしょ?」


 確かに。魅力的な話ではあるが。上手い話には裏があるモノだ。

 じっと響を見つめる百香に軽く眉を上げ、彼はとつとつと呟いた。


「ダメなら..... 毎日、アンタの店に行く」


「は? ここ?」


「バーガー屋」


「それって脅迫でしょーがーっっ!!」


 ガタンっと立ち上がった百香に、言葉の意味を知らない三人が眼を丸くする。

 それに気付き、百香は以前響とあった事を説明した。


 つまり響は、百香が話を受けないなら、連日ジャンクフードを食べて暮らすと宣言したのである。


「あ~。それは、あざとい。響、やり過ぎ」


「確かに、やり過ぎですねぇ。脅迫ですよ、それ」


「ぶはっ、でも良いじゃない? 捨て身の攻撃、私は好きよ?」


 肩を震わせて笑うマスターを藪睨みし、百香は忌々しげに響を見据えた。


「.....ダメか?」


 先ほどまで彼女を脅していた人物とは思えないほど悄然とする響。

 その憐れを誘う姿に、百香は憤りを隠せない。

 怒りに戦慄く彼女を一瞥し、マスターが探るように響を見つめた。


「年頃の男女ではあるけど、知名度の高い殿方が女性に無体はやらかさないわよね?」


 何気に眼をすがめて威嚇する美丈夫。

 心は乙女なれど身体は男性。常日頃から鍛え上げ、女性の敵を殲滅する事を彼は心がけていた。

 特に百香は妹も同然。何かしらあれば容赦はしないマスターである。


「.....善処する。うん」


 下心満載な響は、バツが悪そうな顔で、そっと眼を逸らした。

 そんなやり取りに噴き出し、百香も仕方なさげに笑う。


「しゃーないなぁ。誰かさんの生活改善に協力しましょう」


「ホントに?」


 ばっと顔を上げて瞳を輝かした響に、百香は頷いた。

 そしておもむろに、出されていたケーキを口に運ぶ。


「あ。美味しい」


 素朴な称賛の声。


 だが、その言葉には万感の重みがあった。

 その重みに気づいた拓真が恐る恐る百香に尋ねる。


「ひょっとしてケーキとかも食べない派?」


「高いからねぇ。前に食べたのは誕生日かな? ひぃふぅ..... 半年前くらい?」


 絶句する三人+マスター。


 幸せそうにケーキを食べる百香に、心の涙しか出てこない。

 本人が気にしていないのが、また、涙を誘う。


 裏で聞いていた店のスタッフ達も心で涙していた。


 花も恥じらう乙女の暮らしとは思えない惨状に、周囲の人々は、餌付け&貢ぎ物を心に誓う。


 取りあえずはヘアケア商品とスイーツだっ!!


 こうしてなし崩し的にバーガー屋を辞めた百香は、響の家の家政婦となり、彼の生活改善に乗り出した。


 しかしそれは、彼女の生活改善を目論む人々の望み通りの結果となる。


「コレ。.....仕事で貰った.....試供品。.....やる」


 デカデカと試供品の文字が入ったコンディショナーやシャンプー。

 他にも化粧水や色つきリップなど、多くのモノを響は百香に与えた。


「使わないなら貰わなきゃ良いのに」


「前は..... 貰わなかった。 でも..... 今は、お前が使うだろ?」


 微かに微笑む響をまともに見られず、百香は照れ臭げに俯いた。

 彼女だって御年頃だ。こういったモノに興味はあるし、欲しいとも思っている。

 でも、家計がソレを許さない。

 モノは試供品だ。響の懐が痛んでる訳でもないし、四の五の言わず、ありがたく貰っておこう。


「嬉しいな。ありがとうね、秋津君」


 愛しい少女の満面の笑みが眩しい。

 

 あああ、もう、このまま嫁にしても良いんじゃないかな?

 もう、ほぼ嫁だよね? 我が家にいるし、食事も作ってくれるし、ここに住んじゃえば良いのに。


 脳内妄想爆裂中の響を、百香が現実に引きずり戻す。


「アタシ、明日はファミレスのバイトなんで。用意はしていくからレンチンして食べてね」


 ..........そうだ。彼女は響を置いて仕事に行く。自宅にも帰る。距離が近くなったとはいえ、決して響のモノではない。


 ..........帰る所なんて無くなれば良いのに。

 突然、放火魔の衝動の片鱗を、何故か理解してしまう響だった。


 日々、百香にのめり込みながら、毎日、天国と地獄の往復を繰り返す彼に、明るい明日は来るのだろうか。


 それは神のみぞ知る。


 二人の思い出という記憶が失われたのならば、新たな思い出を紡げば良い。

 取りあえず、百香が幸せであれば大満足な響である。

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