第2話 失われた記憶


「......................」


 まさかとは思ったが。


 裏庭の植え込み深く。そこには一本の楡の木が立っており、少し拓けた場所になっていた。

 背の高い植え込みで周囲から切り離され、陽当たりの良いその場所は響の御気に入りで、昼食後に昼寝をしたりと、のんびりするのが彼の日課である。

 

 しかし今日は、そこに先客がいた。


 すよすよと気持ち良さげに眠る少女。その横には丸めたゴミがある。

 見覚えのあるそれは、響の譲ったサンドイッチの袋の残骸。

 

「奏.........」


 彼の夏の記憶で、無邪気に微笑んだ彼女の名前は東雲しののめかなで

 親友で音楽関係の仕事をしていた父親同士が、同い年に産まれた二人に申し合わせてつけられた名前だった。


 響と奏。


 すぴすぴと寝息をたてる少女の横に腰掛け、響は何とも言えぬ切ない顔で眉をひそめる。


 いったい何があったのか。


 響が調べた限り、彼女の両親は裕福な音楽家だった。

 父親はピアニスト、母親はヴァイオリニスト。

 夫婦で音楽活動をしており、夏の避暑でも、よく演奏会を開いてくれた。

 響もシンバルや、カスタネットで参加した小さな演奏会。

 奏は父親顔負けなピアノを披露し、大人達を唸らせていたし、どこから見ても幸せ一杯な家族だったはずなのに。


 一家心中で三人は亡くなったと新聞記事には掲載されていた。


 ならば、今、目の前にいる彼女は何者だ?


 生まれてから、ずっと一緒に遊んできた響が、奏を見間違う訳はない。

 ふと、眠る彼女の頬にパン屑を見つけ、そっと響は指を滑らした。

 そして指先についたソレを自身の唇に寄せる。

 と、そこまでして、彼はハッと校舎を見上げた。

 響が見上げた校舎の窓辺に幼馴染みの二人が見える。

 こちらから見えるということは、あちらからも見えるということで、当然、幼馴染みの二人は驚愕に眼を見開いていた。

 その横には、さらにもう一人。スポーツ特待生で生徒会運動総部長の草壁くさかべとおるが立っている。


 あの部屋は図書館奥の特待生室。

 あそこからだけこの場所が見え、響がここを知ったのも、あそこから見つけたからだった。


 無意識に奏に触れ、その指を口に運んだ。一連の行動に思わず狼狽えつつ、顔に朱を走らせた響だが、さらに少女が動いたため、慌てて植え込みから逃げだす。


 半分寝たボケたまま起き上がった少女は、スマホで時間を確認してから軽く伸びをすると、周囲に散っていたゴミを片付けて、ノコノコと植え込みから立ち去った。


 その全てを校舎の窓から見ていた生徒会メンバーは、誰とはなしに視線を交わし、複雑な顔で呟く。


「あれって、どういう事だろう?」


 彼等が植え込みの光景に気づいたのは、響がやってきたあたりから。

 カフェテリアで食事を終え、響はいつも通りに校舎裏で昼寝をすると言って二人から離れた。

 その日課を知っていた二人は響を見送り、途中で草壁と合流して特待生室へやってきたのだが。

 

 いつもの場所を見下ろせば、立ち尽くす響と眠る少女。

 何事かと注視する三人を余所に、響は当たり前のごとく少女の横に座り、あろうことか、その頬をなでたのだ。


 あの情緒欠落の鉄面皮がである。


 すわっ、逢い引きかっ? あの冷血漢にも春がやってきたのかっ?


 っと、固唾を呑んで見守っていると、弾かれたかのように響が顔を上げ、忌々しげな眼で三人を睨み付けると、慌てて植え込みから逃げ出していった。


 訝る三人の視界の中で少女は眼を醒まし、何事もなかったかのように植え込みを後にする。


「あの様子では、彼女は響がいた事も知らないのでは?」


 申し合わせて待っていた感じではない。

 だが、あの人間嫌いな響が、あれほど近しく女性を置いたのを初めて見た面々は首を傾げる。

 どう見ても響の態度は近しい間柄のそれだ。下手をしたら幼馴染みである二人に対するよりも親しげな仕草だった。


 というか、愛おしい?


 あの柔らかな笑みと、滑るように頬を撫でた指。

 あんな甘い仕草をしておいて、さらには見られていたと気づき、目元に朱を走らせる。

 一部始終を見ていた三人の方が、赤面してしまうような初心さである。


 だが少女の方を見れば、何も知らぬ様子。


 そうなるとアレは...........


「一方通行?」


「片恋ですか?」


「ストーカーだろ?」


 身も蓋もない。


 控えめな表現を用いていた幼馴染み二人とは違い、氷点下の温度差を隠しもしない亮を横目に、じっとりと冷や汗を流す拓真と阿月。


 一昔前の流行り歌にもなったような、待ち伏せや付きまといは、今ではストーカーと呼ばれる。

 純愛も世代を回れば犯罪なのだ。


 友人にそういったレッテルを貼りたくはないが、あの様子からすると否定の仕様もない。


 うーんと天を仰ぐ二人を無視して、亮は特待生室から出ていった。




「えーと.......?」


 翌日、百香は下駄箱の前で立ち尽くす。

 前日に入れておいた上履きがなくなっていたからだ。


 これは、窃盗か? いや、上履きだぞ? こんな金持ち学校で盗む人いるの?


 しばし茫然とする百香だが、その脳裏に嫌な単語が浮かんだ。

 逃避しても仕方がない。現実を受け止めよう。


 いじめだな。


 古典的だが、効果的な方法だ。

 一日中、素足で過ごすというのは、地味にくるものがある。

 初等科から持ち上がりの生徒達にとって、見慣れない外来の特待生は受け入れ難いものがあるのだろう。

 幼稚だとは思うけど理解出来なくはない。


 仕方ないな、来客用のスリッパでも借りようか。


 そう思い、踵を返そうとした百香は、背後にいる誰かに気付いた。

 いつの間に居たのか、そこには同じクラスの草壁亮が立っている。

 スポーツ特待生だという彼は、気易くざっくばらんな性格で、敬語、丁寧語の飛び交う不動学園にあって、少々粗野な印象を受ける青年だ。

 しかし彼も例に漏れず、その実家は有名スポーツメーカーの社長。

 生粋ではないが、金持ち学園の名に恥じない経歴の持ち主である。

 

 普段は人好きのする笑顔な彼が、珍しく険しい顔で百香を見据えていた。


「どうした? 上履きは?」


 挙動不審だったのだろう。百香の後ろの下駄箱を確認して、亮は物憂げに溜め息をつく。


「悪い。少し待ってくれ」


 そういうと、彼は小走りに昇降口隅へかけより、一足のスリッパを持ってきた。

 それを百香の足元に並べ、言いづらそうに小さく呟く。


「すまんな。馬鹿がいるようだ」


 上履きがなくなっている事で察したのだろう。それが、この学園の誰かの仕業だという事も少し考えれば分かる事。


 百香の目の前にしゃがみこみ、スリッパを差し出す彼に、周囲から黄色い声が飛ぶ。

 

 まあ、分からないではない。


 草壁亮は短めな髪の上半分が少し長めで、細かく入ったシャギーを絶妙に跳ねさせて、寝癖とは違う一風変わった髪型をしていた。

 鼻梁も高く整った顔立ちに、意思の強そうな大きな瞳。

 強いていうなら大型犬。肝の据わった感じが、男性特有の魅力を醸し出している。

 

 しみじみと観察する百香を一瞥し、亮は低い声音で呟いた。


「行くぞ? もう始業ベルがなるから」


 言われて気付いた。


 百香は呼ばれて駆け出し、亮と並んで教室へ向かう。

 その背後から刺さる、女生徒らの辛辣な眼差しに気づかぬままに。


「あ~........」


 しかし、またもや百香は立ち尽くす。

 今度はロッカーだ。

 鍵を差し込んで開けようとしたところ、その異常に百香は気づいた。

 鍵穴が接着されている。

 それも接着したあと爪楊枝か何かを突っ込んで折り取ったようで、鍵穴は完全に埋まっていた。

 

 これは本格的だなぁ。不味いかも。


 軽く溜め息をつき、百香は鞄を抱えたまま席につく。

 だが、亮がそれを見逃さない。


「何で鞄をしまってこない?」


 曖昧に笑って誤魔化そうとした百香を剣呑に見据え、がたんっと大きな音をたてて立ち上がると、彼は廊下に並ぶロッカーを確認した。

 そして百香のロッカーの鍵穴が潰されているのを見て、口角を歪ませる。


「どこの馬鹿野郎だっ! いつから、ここは幼稚園に成り下がったんだっ?!」


 ダンッとロッカーを力任せに叩き、亮は吠えた。

 それを聞き付けたクラスメイトや、近くの教室の生徒らが、何事かと飛び出してくる。


 なんだなんだ? と、わやわやする人々に、百香はヒヤリと汗を垂らした。

 大袈裟にしてほしくはないが、草部の善意は有難い。でも、こういった行為は大抵周囲も同意してやっている場合が多い。

 後々エスカレートする可能性もあるため、有難いが困惑する。


 しかし、出てきた生徒らの殆どは顔をしかめ、潰されたロッカーの鍵穴を信じられない面持ちで見つめていた。


「酷いな、これ。中までいってるんじゃないか?」


「やだ...... いじめなの? そんな人いるの?」


「鎮海さん、スリッパよね? まさか、上履きも何かされたの?」


 各々が思うことを口にする中、草部が忌々しげに呟いた。


「無くなってたんだよ、下駄箱から」


 その言葉に、ざわりと周囲がどよめく。それに嘲りや侮蔑などはなく、そこはかとない憐憫と嫌悪が込められていた。


「俺、工具あるぜ? 何とか開かないか?」


「いや、中まで接着剤がいってる。下手をやるより、交換した方が良い」


「鎮海さん、気を落とさないでね? こんな事をやる人は、ほんとに少数だから。わたくし、気をつけて見ておくわ」


 やいのやいのと騒ぐ生徒達に、百香は拍子抜けする。

 何の事はない。結局彼等は育ちが良いのだ。毛色の違うのが一匹混じったくらいで目くじらは立てない。

 こんな幼稚な事をやらかすのは、なんちゃって金持ちの一部の人間だけなのだろう。

 金持ち喧嘩せずとも言うし、わざわざ事を荒立てる馬鹿もおるまい。


 ほっと胸を撫で下ろした百香に、一人の女生徒が声をかけた。


「宜しければ、わたくしのロッカーに荷物を預かりましてよ? 持ち歩いていたら不便でしょう?」


 真っ直ぐストレートで深みのあるオカッパな少女。名前は何と言ったか。


「柏木さん...... だよね? ありがとう、助かります」


「どういたしまして。災難だったわね。わたくしも気をつけておくわ」


 ふわりと微笑む可愛らしい笑顔に、百香の心が和む。

 

 女の子って可愛いよねぇ。この学園って可愛い子多いし、癒しだなぁ。


 おっさんみたいな事を脳裏に描き、百香は問題もなく授業を受け終えた。


 今日の出来事が、この後、とんでもない大騒ぎに発展するとも知らず。

 

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