第4話 恋に酔っていた時代もあった
私がおむつを替えはじめると、寿也はすぐに私に気づき母乳をせがんできた。布団に横たわりたいのをこらえてキッチンの棚から買い置きしていた離乳食のパックを取りだし、湯煎で温めた。
ようやく食器を洗い終えた和樹が「食べなかったよ」としつこくぼやく。
「食べさせかたの問題かもよ」
私はテーブルの上へ皿に移した離乳食をのせ、寿也を抱っこし、椅子に座った。
「ひさぁ、あーん」
よほどお腹が空いていたのか、寿也はスプーンに食いついてくる。もともとこの子はよく食べるのだ。あっという間にひと皿平らげてしまった。そのうえなおも母乳をせがんでくる。
もう一食分つくってあたえると、それもペロリと食べた。
哺乳瓶に入った麦茶をあたえると、それも、100ccほど入っていたのをごくごく飲みほした。
最後に、胃腸炎でほとんど飲み食いできていない私の乳を飲み、満足したのかご機嫌になった。満面の笑みで遊ぼうと催促してくる。
「もう、大丈夫だから。あとはお願いね」
いつの間にかソファにごろんと横たわっていた和樹に声をかけると「うん」と力ない返事があった。
本当に私、寝室にこもって大丈夫かなぁ。
「舞奈、ママ、お腹痛いからお布団で寝るからね。お腹が空いたとか、遊んでほしいとか、何かあったらパパに言うんだよ」
「わかったー」
舞奈は屈託のない顔で笑っている。
頼りない気持ちで私は寝室のある2階へ上がっていった。
寝室のドアを閉め布団に入ると心配をよそに、すぐに眠気がやってきた。夕べ、ほとんど眠れていなかった。
私が和樹との結婚を何にも考えないで短絡的に決めたかといったら、それはちょっと違っている。
結婚するまで一年近く付き合ったけど、和樹はこれまで付き合ってきた男たちとは違って、かなり不器用な男だった。あんなふうに「結婚しようと思っている」と打ち明けたあとでさえ、いつもよそよそしく遠慮がちだった。
デートでやっと手をつないだのは、付き合いはじめて半年以上たってからだった。
クリスマスのイルミネーションを一緒に見に行った。それは有名なデザイナーがデザインした壮大な規模のものだった。渋谷の一角がみごとにロマンスで覆いつくされていた。
私は気持ちがすごく紅潮していて、彼氏と手をつないで歩きたいっていう気分になった。なのに、いつも通り和樹は手を伸ばしてこない。それで、私のほうからその手を握った。
そのときの和樹の嬉しそうにほころんんだ表情、私はあの顔をずっと忘れないと思う。その一瞬のうちに、私にもその感情が伝わってきて、いっきに感染した。
もしかしたら、ずっと手をつなぎたいのにつなげないでいたのかしら。
そう思ったら、この男の不器用さが、なんだかとてもピュアに感じられた。
つないだ瞬間は冷たいと感じた和樹の手が、密着された手のひらの部分から熱を帯びはじめた。私の指に絡まる和樹の指は節々が強張っていて、指先の皮膚もとても硬かった。工場勤務なのだと言っていた。仕事をしている手なんだと思った。
帰りぎわ、はじめてキスをした。
それからは、和樹のひとつひとつが新鮮だった。
一緒に食事しているとき、和樹はいつも黙々とご飯を食べていた。その沈黙がはじめはとても気まずかったけれど、和樹の一面をはいでから、私は平気になった。平気でいろいろな話をふるようになったし、自分もよく話すようになった。
少しずつ私たちの関係はいい感じに打ち解けていった。
少しずつ和樹は私の情に溶けこんでいった。
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