第3話 気の迷いは風邪のようなもの
和樹と知り合ったのは、なんてことはない、出会い系サイトだった。
私は恋愛に疲れていて、もう一生恋なんかしないと思っていた。
ひとりでいることが気楽だった。
それに、三人姉弟のうち姉も弟も結婚して子供もいたから、私がひとりでいても親は何も言わなかった。
たまに実家で姉の子と遊ぶくらいが丁度いい。
だけど、姉がインフルエンザで高熱を出し寝込んだとき、姉の旦那さんはお粥を煮てくれたり、家事をしてくれたり、心配してくれたりしたらしい(今思うと、姉はそうとういい人と結婚したのではないだろうか)。
そうした話を聞くと、姉のことが羨ましかった。
つられて私も高熱を出したけど、彼氏のいない私は、ひとりアパートの一室でうんうんうなるしかなかった。外来へ行くのもひとりでは難しく、数日水道水を飲みながら冷蔵庫に残っていた煮豆や豆腐を少しずつ食べてやりすごした。
やっと少し動けると思って外来へ行ったら「どうしてもっと早く来られなかったんですか。かかってすぐなら即効薬があったのに」と医者から小言を言われた。
「ここまできたら自力で治すしかない、にんにく、しょうが、ネギなど豊富に入った担々麺でも食べてください」
そんなことを言われても、病気で病んだ胃腸では担々麺なんか受けつけてくれない。
自分で市販の粥をいくつか買って、ひとり寒気と闘いながら啜った。
気にかけてくれた同僚がLINEでお見舞いへ行こうかと連絡をくれたけど、インフルエンザだったから断るしかなかった。
三十路に足をかけはじめた私の肉体に、ひとりで病気と闘う精神はあまりそなわっていなかった。発熱前の寒気を感じるたびに孤独感におそわれた。
なんて心細いんだろう……。
こうして、気の迷いは起こるんだ。
私も一生をともに暮らしていける相手がほしいと、切実に思ってしまった。
かといって、ゼロからの恋愛には疲れてもいた。
前の彼氏とは四年くらい続いたろうか。彼氏は結婚を考えてくれていたし、私も悪い気はしなかった。なのに、私はその気になれなかった。
とてもいい人だった。イケメンというほどイケメンでもないけれど、イケメンをほどよく崩した感じっていうのだろうか。性格も悪くなかった。
たぶん、ずいぶん長いこと一緒に過ごしていたからだろう、私がのれなかったんだ。
プロポーズはされていなかった。けれども、タイミングを見計らっているのはよくわかった。私はそれを察すると、いつも逃げた。逃げているうちに、最後にはのがしてしまった。
今思えば、なんてもったいないことをしたんだろう。
あんなに気の合ういい人なんて、そうそういないのに。
和樹は、プロポーズなんかしてくれなかった。なんだか、すごく不器用な男だった。
慣れない出会い系サイトの掲示板で、一番最初に連絡をくれたのが和樹だった。単に一番乗りだったから掲示板でやりとりを続け、会うに至った。
最初は映画館だった。ショッピングモールに併設された映画館で見ることにしていたので、モール内の本屋で待ち合せた。私が本屋の入口の前の椅子で腰かけ待っていると、頭上から「こんにちは」と声をかけられた。
見上げると、事前に送ってもらっていた写真より悪くなかった。物静かな、穏やかそうな印象だった。その見下ろす顔がなんとも言えず嬉しそうなので、思わずこちらも気持ちがほころんでしまった。
ふうん、出会い系サイトって、簡単なんだなって思った。
それから毎週のようにデートに誘われた。だからといって、手をつなぎもしないし、好きだとも言われない。本当にただ、デートを繰り返すだけ。そのうえいつも割り勘だ。別に割り勘だっていいんだけど、この男は、いったい私との関係をどう考えているんだろう。ずっと不思議に思っていた。
もう、デートばかりを繰り返して何か月経ったろう。
私としては、付き合っているのかどうかの確認がしたかっただけなんだけど。
上野動物園、美術館、アメ横でのデートの帰り、電車の中で「私とのこと、どう思ってるの?」と尋ねた。電車はそれほどこんでもなく、私たちはふたり並んで腰かけていた。
「今、ここでそれを話すんですか?」
ぶしつけだった気がして、「じゃあ」と恵比寿駅でいったん下車してアトレのなかの喫茶店に入った。それで、和樹からの告白を待った。
和樹は珈琲を飲めない。私がカプチーノを啜って口もとを白くしていると、運ばれてきたダージリンの入ったカップを落ちつきなく何度も飲んだり皿にもどしたりした。
何度目かにカップを皿に落ちつけると
「結婚したいと思っています」
私の顔をまっすぐに見て、そう言った。
私の目は点になった。
あれ? なんか、いろいろすっとばしてないかい?
私は今でもそのときの和樹の表情やたらこのような唇が動くのを明確に憶えている。
もしかして、あれがプロポーズのつもりだったのかなぁ。
それでとっさに頷いてしまった自分にはやはり、気の迷いのウィルスが入り込んでいたに違いなかった。
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