第5章 - 4 富士山 

 4 富士山 




「恥ずかしい? 涼太くん」

 薬王院手前でトイレに寄った時、優衣が突然そんなことを言ってきた。

 それも、「涼ちゃん」と呼ばずに「涼太くん」だ。

 となればきっと、優衣は何か言おうとしている。

 すぐにそう思ったが、涼太はあえて「なんのこと?」って顔だけを返した。

「本当は、恥ずかしいでしょ? みんな、わたしたちのこと見てるもん……」

「そんなことないよ。可愛い子だろって、鼻高々に決まってるじゃん。俺、鼻が折れやしないかそっちの方を心配してんだぜ!」

 涼太はこの時、我ながらよくこんなことが言えたなと、言い終わった途端に恥ずかしくなった。

 ところがそんな必死の声に、優衣は考え込むような素振りを見せる。

 そうしてゆっくり顔を上げ、言い切るように言ったのだ。

「でも、やっぱりもういい、涼太くん、ここで、ここでもう充分だから」

 ポカンとする涼太を見据えて、

「くだるのは、わたしもっとダメだと思うの。だからもういい、この辺で降りようよ。ここまで来れて、充分だから、夢、叶ったから……」

 優衣は静かにそう告げた後、

「だから、本当に、ありがとう……」

 笑顔を作って、さらに続けてそう言った。

 だからって、「はいそうしましょう」なんて言えるわけないし、

「もう、半分以上来てるんだから、そんなこと言わないでくれよ」

 できるだけ、普通に返したつもりだった。

 それでも少し、声の調子が強かったのだろう。

 優衣がちょっとだけ目を丸くして、すぐに下を向いたのだ。

 そんなことには構わずに、涼太はそのまま片膝を付き、彼女に向かって背中を向けた。

「さ、行こう」

「いいよ、本当にもういい……もういいから、お終いにしよ」

「行くんだ。頂上なんて、もう、あっという間だよ」

「ホント、ホントに……涼ちゃん、もういい、もういいから……」

 そう言いながら、背中を見つめる視線が地面の方へ流れていった。

「さ、早くしないと、無理やり担いで登っちまうぞ!」

 優衣を振り返ることなく、前を見つめたままの声だった。

 しかし優衣からの返事はまるでなく、微かに震える息遣いだけが耳に届いた。

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