第5章 - 4 富士山(2)
4 富士山(2)
――絶対に行けるって! 下りだって、俺、大丈夫だよ!
そして思わず、そんな感じを声にしそうになった時だった。
「さあ、お嬢さん、わたしたちと一緒に行きましょう。今日はいい天気なんだから、頂上から富士山眺めなきゃ、ここで帰っちゃ、大損よ」
そんな声に振り返って見れば、さっきの婦人が優衣の隣にしゃがみ込んでいる。
「でも……」
そんな震える優衣の声に、さらなる言葉が投げ掛けられた。
「さあ、一緒に登りましょう。わしらもあなた方の夢に、ぜひ、付き合わせて欲しいと思っているんだよ」
最初に声を掛けてきた老人が、そう言って満面の笑みを向けている。
それらの言葉に、優衣が何を思ったのかはわからない。
ただ少なくとも、それから程なくして立ち上がり、涼太の背中に再びその身を預けたのだった。
そうして落ち着きを取り戻しても、これまでのように景色に目をやったりしないのだ。
涼太の背中に顔を押し付け、どこを見るとはなしに薄っすら目だけを開けている。
そんな様子に老人たちも、気軽に声など掛けなかった。
二つのリュックを交代ごうたい手にしながら、無言のまま二人の後ろに付いていく。
さらにその後、涼太は休憩を取らなかった。
二度と帰ろうなんて言わせないと、彼はひたすら地べたを見つめて歩き続ける。
その一方で、涼太の背中で揺られながら、優衣は過去の記憶へと思いを馳せた。
初めて発作を起こした日のことや、術後、病院での日々などを、思うに任せて脳裏に浮かび上がらせる。
もちろんそれらは、ほぼほぼ辛い思い出ばかりだ。
ところが涼太が現れて、一気に世界が変わってしまった。
彼と一緒に過ごす時間は別格で、それまでの毎日とは比べようもないほど輝くような時だった。
なのに、そんな特別の時間とも、もうすぐお別れとなるかも知れない。
――どうせなら、知らない方が、よかったわ……。
知らないままであったら、別れを恐れる必要などなかった。
そんなことを思うたび、いつも……熱いものが込み上げる。
優衣は生きていたかった。
自分ばかりがこんな目に、どうして遭わなきゃならないのか?
不意にそんなことが頭から離れず、再びその目に涙が溜まった。
「優衣……」
その時ちょうど、囁くような涼太の声。
「凄いだろ? ここって、実は東京都、なんだよな……」
前方を見つめたまま、彼はそう言ってため息を吐いた。
優衣はゆっくり顔を上げ、涼太の肩越しに目を向ける。
するとさっきまでの景色とぜんぜん違って、一気に視界が広がっていた。
長く続いていた坂道が消え失せ、遠くの景色までがはっきり見える。
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