第5話 誰のために?

 結希自身もどちらかと言えば緊張し易い方だ。歌やピアノの発表会ではいつもドキドキしている。学校でも何かの発表をする時など手に汗をかいたりすることもある。

 だけど、そのことで母に言われたことがあった。

「緊張することは悪いことじゃない。緊張することで神経を研ぎ澄まし、作品に命を込めることが出来る。より良い作品になるはずよ。問題なのは緊張をうまくコントロールすることなの」

と。

 それを思い出してつい口を突いて出てしまったのだ。だが、小山内キクは結希を生意気な中坊と感じたようだ。結希をきっと睨みつけている。その視線を真正面から受ける結希。

「席について。さあ、席について下さい」

 進行役の男が手を叩きながら結希たちに言った。キクと結希はお互いの目を見詰めあっていたが、席に戻る。

「315番は棄権と見なします。その他の参加者に審査員から質問はありますか?」

 進行役の男は諸星寬治という映宝エンタテインメント所属のタレントだった。すでに30代半ばを過ぎていて目立った活動履歴もない。だが、こういう場面でしばしば起用される卒のない男だった。

 すると重森と呼ばれた年嵩の男が手を挙げた。それを見て諸星が指名する。

「まず、311番の方。あなたは役者志望? それともTVタレントとして何でもやりたい?」

重森はゆっくりとした口調で小山内キクに尋ねた。キクはやおら口を開くと、

「女優を目指したいと思います。その上で、若いうちは経験値として様々なお仕事をこなしていきたいですね」

悠々とそう答えた。

「若いうちって、君はまだ17だろ」

 重森はキクの返事を遮って先を続けた。

「次ぎ、312番の方。宮島結希さんと言ったかな。君は随分とお母さんの影響を受けているようだけど・・・」

 そこまで言われた結希は即座に返していた。

「影響されてはいけませんか?」

我ながら挑発的な言い方だった。ただ、母との関係を否定するようなことは言われたくない。だが、意外にも重森はニコニコしながらこれを肯定した。

「そんなことないよ。いいお母さんだと思いますよ」

 結希はちょっと拍子抜けした気分で重森を見ていた。だが、重森は構わず先を続けた。

「だけど、君はどうなんだい? 君は何になりたい? 何をやりたいのかな? この芸能社会でさ」

 重森に言われて結希は言葉が出なかった。まるで結希の今の心情を見透かされているようで、重森に恐ろしささえ抱いた。

 正直今の結希に将来への展望などない。母が勝手にエントリーしただけなのだ。今までもそうだったように結希は母の言うことに従った。もちろん芸能の仕事に興味はある。だけど、何をしたいか、そんなことは考えたこともない。

 こうして重森の最後の質問に答えぬまま、結希は部屋を出た。足が重かった。息が苦しかった。そして混乱していた。途中で結希は誰かに声を掛けられた気がしたが、無視してそのまま家路を急いだ。早く家に帰りたい。

「何なの、あの重森って人」

 結希は思った。結希は今日の審査員だった重森が芸能界の重鎮重森久志しげもり ひさしだと知らなかった。最近はTVドラマにも滅多に出演せず、ここ10年は映画にも出ていない。もっぱら舞台で大観客を集めていたのである。だから結希には馴染みのない人だった。

「そう言えば、小山内キクだっけ、重森さんのことをおじさまと呼んでいた・・・。どうして?」

 小山内キクは確かに現在は結希と同じ素人だ。だが、キクは映宝グループの会長小山内裕輔の孫娘である。幼い頃から英才教育を受け、学生演劇界ではそこそこの知名度を誇っていた。

 そして小山内裕輔も昔は役者だった。その時から重森とは親友で、今でも家族ぐるみの付き合いなのだ。だから重森のおじさまだったのである。

 まだ何も知らぬ結希だった。

 その夜、結希は研一に電話を掛けた。

「ねえ、聞いて、聞いて」

だけど今晩は研一は結希の話しを何も聞いてくれなかった。受けた電話なのに、研一は一方的にゲームの話ばかりした。

「今度組んだ連中が最高でさ、こりゃあ世界最高得点も夢じゃないぜ」

 そう話す研一の声を聞きながら結希はこのオーディション、受かりたいと思った。何故なのかは分からないけど、ただもっと先へ行ってみたくなった。

 数日後、宮島家に1次審査合格の知らせが来た。

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