第42話「ツン崎さんは熱唱する」
一人カラオケもほとんどしたことがない僕はカラオケボックスの全てが新鮮だった。本当に密室になるのだなぁ、と思いつつ、ツン崎さんが手慣れた様子で受付を進めていくのを見ていた。
店員から受け取ったドリンクバー用のコップを僕が持たせてもらってから、彼女に声を掛けた。
「ツン崎さんは一人カラオケとかにはよく来るの?」
「うん。時々、来るって感じかしら。まぁ、勉強や研究で来ることもあれば、趣味で来てることもあるかしらね。ストレス発散にもなるし」
今度は僕達の先を歩いていた穂村さんが反応した。
「音楽学部ですね。いいですね」
今度はツン崎さんが穂村さんの方に問い掛けている。
「じゃあ、絵里ちゃんはどうなの? 結構、来る感じ?」
「まぁ。あんまり来ないですね」
「あら意外」
穂村さんは手で頭を擦りながら「自分で提案した場所ですけど、あんま来ないんですよね。だからこそ知りたかったってこともあります」とのこと。
ツン崎さんはその後、こう語る。
「と言っても保育学科となると、歌の練習とかもしないといけなくなるかもね」
「そうですね。時折、童謡とかの講義がありますし。でも、やっぱ一人でここで童謡を歌うってのもあれですかね」
「そんなことないわ。自由に歌えばいいじゃない」
僕もツン崎さんの言葉に同意して、「うんうん」と頷かせてもらった。そこに対する穂村さんの感想がこちら。
「ありがとうございます。今度からはお祖母ちゃんの家の旅館のカラオケじゃなくって、こちらを利用した方がよろしいですかね」
なんて言葉に僕は思わず持っていたコップを落しそうになった。何だか彼女からお金持ちの雰囲気がする。完全なる御嬢様ではないだろうかと、庶民の僕達は驚かされていた。
ツン崎さんは何か知っているのかな、と聞いてみる。
「穂村さんって一体……確か、前両親が大企業のスカウトマンとか……給料たっぷり貰ってるんだろうな……」
「人のことを詮索しないの……。まぁ、どうやらちょっといいところの御嬢様ってのは間違いなさそうだけどね。かといって、別に鼻につく態度を取ってる訳じゃなし。とってもいい人だと思うわよ」
「そ、そうだね。穂村さんは、穂村さんだ。どうであっても穂村さんだよね」
すぐ話を終えてから、カラオケの個室へと入っていく。歌う前にやっておくべきことと言えば、ここに荷物を置いてトイレに行くこと、ドリンクバーを取りに行くこと、だ。トイレに関しては人にさせることはできないし、別に自分は今はいいかな、と思っている。
「ワタシ、じゃあトイレ行ってくるから」
そう告げる、ツン崎さんに対し、「待って!」と声を掛けた。
「ツン崎さん」
「何? えっ、ここで待てと? 何を見たいの? はっ?」
「早とちりしないで。ドリンクバー取ってくるよって話だよ。何がいい?」
「あ、ありがとね。じゃあ、ワタシオレンジジュースで」
穂村さんの方を見る。彼女は「では、私もお言葉に甘えて、烏龍茶をお願いしてもいいですか」とのこと。
僕はメロンソーダと頼まれたものと一緒に入れていく。男子高校生の時はドリンクバーごちゃまぜでふざけることもしたが、今は過去の話。素材の味を殺さないようにジュースは用意されたもので楽しむべきだ。
コーヒーと野菜ジュースと烏龍茶を混ぜようとするなど、もっての他である。それを誰が飲むんだよ。
昔の自分にツッコミを入れながら、一つの個室を通り掛かる。すると、何だか非常に大きい衝撃を感じた。耳に何かがピリつく感じ。
たぶん原因は近くで歌っている人の声だ。下手だからとかではない。聞いていて楽しい感じはする。ノリの良い声だ。
「ん? この声どっかで……?」
聞き覚えがあるような声で、つい自分の言葉を発してしまった位だ。ドア越しに歌っている本人を見ると、染めたような赤髪を必死に降らして踊っている。体格からして、胸の大きい女性だと分かるけれども。見覚えはない。同じ大学生ではなさそうだ。
だとしたら、何処であろう。
なんて考えて、この場だと危ないことに気が付いた。ここに来るまでに聞いたツン崎さんの言葉が脳内再生されていく。
『まぁ、アンタがいるのは助かったかもね。たまぁに出逢い目的で女性をじっと見つめて、個室にいる人にナンパするとかあるみたいだし。同級生から聞いたことがあるわ』
勘違いされるのも怖いし、すぐ立ち退こう。
ちなみにその同級生はナンパした男達を薙ぎ倒し、気にせずそのまま歌い続けたという。何処ぞの格闘王の話かと思ってしまった。
こうして穂村さんが待っている部屋に戻る。彼女はまだ選曲の機械を一人でいじくっている。まだツン崎さんもトイレから帰還しておらず、考えるのに熱中していた。
「ううん、最初に歌うとしたら、どれにしますかね……? 初めて歌う曲としては……やっぱ、ボーカロイド系の曲が人気なんですよね……? どーしましょうか?」
初めて……?
何を言っているのか、分からない。
「……穂村さん?」
「ん? ああ! ああ! お帰りなさい、です!」
僕は「帰って来てたんですね!」と何かを慌てている穂村さんに烏龍茶を手渡した。彼女はぐぴっとそれを飲み干していく。それはもう一瞬で。それから「トイレに行きたくなっちゃいました! 度々ごめんなさい! 荷物お願いします!」と言って、走っていく。
何だったのだろうと唖然としていると、ツン崎さんが戻ってくる。
「ただいま」
あっ、そういや走ってる穂村さん、慌てている穂村さんと彼女はすれ違っているはず。言い訳しなくては、とすぐに口が開いた。
「いや、今のはね」
「ん? 今何かあったの?」
「ああ……何も誤解してなかったのね……いや、穂村さんも今トイレに行ったんだよ」
「そっか……じゃあ、絵里ちゃんが戻ってくる前に曲を決めちゃお!」
その後は最近の曲だとか、子供の頃に聞いたアニメソングなどの話で盛り上がっていった。少し後に穂村さんも交え、曲の話で談笑を続けていく。
本当に良かった時間だと思う。特にツン崎さんはノリノリで楽しそうに歌っている。少しだけツン崎さんはやはり、カフェラテ子さんであるんだなぁと実感させられもした。歌に関しては芯が強い上で安心感を与えてくるような感じがまるで一緒。
穂村さんの方は優しい歌い方が心に響いてくる。
僕の歌はどうだったか。まぁ、上でも下でもないところと言ったところだろう。
気になったのは穂村さんの挙動不審な態度だ。カラオケの楽しい時間が終わっても慌てているような素振りは消えていなかった。
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