第38話「ツン崎さんは暁に死す(前編)」
「もーう、遅いわね。もっとしゃっきりしっかりしないと、置いてくわよ」
ビルが立ち並ぶ街中でツン崎さんはどんどん歩いて行ってしまう。テンポが速い彼女に追いつくので必死だ。
ぜぇぜぇ息を切らしながら、彼女に僕の意向を伝えていく。
「急がなくたって、すぐに猫は逃げないよ」
「逃げるわよ! もし、猫が猫カフェから逃げたらどうするのよ! そこら中に猫がたくさん出てきて……いや、それもまたいいのかしら。思う存分、もふれるし」
「何か分かんないけど、ツッコミながら自己完結しないでよ。ちょっと寂しいじゃん」
「冗談よ。それにしても、今日の服、いいじゃない」
彼女は突然、コーデの方に目を向けてきた。そりゃあ、キネネ率いるたくさんの人にアドバイスを貰って作り出した最高の衣装だ。そう言ってもらわなくては。
「ありがと」
お礼をした後もじっと僕の方を見つめてくる。彼女はどうやら僕自身が決めたものではないと見抜いていたらしい。
「で、誰に言われたの?」
「えっと、友達」
「それって、絵里ちゃん?」
「いや……また、別の人」
「そっか」
何だか、素っ気ない反応。足取りはあまり変わっていないため、怒っているとは思えない。それとはまた別の感情があるようだ。
「ど、どうしたんだ?」
「いいもん。ワタシも今日のコーデは……ええと、誰にしよっか……」
語尾の方がうまく聞こえない。何か言ってるみたいではあるが。
そこはともかく、彼女は煌びやかなワンピースを身に付けている。大学に行く際のお淑やかな服もいいけれども、こちらも素敵だ。僕に嫉妬する大学の奴等の気持ちが少し分かったような、気がする。
本当に綺麗なんだもの。
ハッとした時には、彼女の誉め言葉が口に出ていた。
「ツン崎さんが自分で選んだんだ」
「えっ!? いや、その、ええっ、そうよ! 何か、悪い!?」
何故怒っているのかが分からない。ハハハと呆れを混ぜた笑いをしながら、伝えていく。
「いや、とってもいいなって。僕じゃ、こんな凄いコーデ考えられないからなって。本当、ツン崎さんって凄いよ。美味しい料理も作れるし、人の機微にも良く気が付くし、思いやりもあるし……完璧すぎる……」
「猫にだって、逃げられるけどね」
「でも、ツン崎さんは」
「ツン崎さんは?」
まだ彼女が持つ特技について発言しようとしたところ、こちらの言葉を復唱されてしまった。その時点で気付く。僕が彼女をツン崎さん呼びにしていたこと、を。
どう言い訳しようか。
「あ……いや、ちょっと待って。津崎さん」
一回顔を下に向けてから、再度彼女の表情を確かめた。怒っているかと思いきや、ふっと息をした後に笑っていた。
「いいわよ」
「へっ?」
「ツン崎でいいわよ。ワタシにはそういう面もあるってことだからさ。ツンツンした面があるって思うのなら、そう呼んで。いや、中途半端なことはダメ! 呼びなさい!」
「あっ、うん、ツン崎さん……とうとう、綽名が本人公認になっちゃった」
「でも勘違いしないでよ。好きでツンツンしてる訳じゃなくて、アンタが変なことやってこっちに迷惑が掛かるかもだから、うるさく言ってるだけよ!」
「はいはい、分かりましたよ。ツン崎さん!」
そう答えて、またツン崎さんが先に行かないよう、僕は走り出す。ただバランスが崩れて
と、言うことでやってきた猫カフェ。
ツン崎さんはガラス越しに猫を眺めている。ただ、どういう表情をすればいいか分からなかったらしい。猫達が非常に怯えたり、威嚇したり。辺りを逃げ回って大変なことになる。
「何で? にゃんで?」
「ちょっと、ツン崎さん、こっち向いてくれる?」
「ええ」
ぷいっと振り返った彼女の顔で納得。やはり、恐ろしい顔をしていた。猫カフェに来るような顔ではない。猫カフェに強盗か、猫をハントしに来た迷惑客の顔付きである。
どんな方法で彼女に伝えるべきか。
カフェラテ子さんのような、とても柔らかい語り口や雰囲気があれば、間違いなく猫達は寄ってきてくれるはずだ。何かいいアドバイスを出せれば。カフェラテ子さんと自分は違うと考えているだろうツン崎さんにカフェラテ子さんのことを出す訳にはいかないし。他の人にアドバイスを貰うべきか。ダメだ。今はツン崎さんとデート……いや、二人でのお出かけの最中。できれば、ここは自分一人の力で何とかしたい。他のVtuberについては今日は封印だ。
一人で頑張ってみよう。
「この前も言ったように肩と体の力は抜いて。無理に笑おうとすると、変になっちゃうから……そうだ」
「ん?」
僕が自然に笑わせればいいのか、と思う。しかし、何が彼女を面白いと思わせるのかを僕はまだ知らない。
そうだ。カフェラテ子さんが思わず、「それいいですねぇ」と思わずニッコリ言えるものでもいい。ふざけすぎず、楽しい発言を心掛けよう。
「そうそう。猫で思い出したんだけどさ。昔、自分が寝てた時なんだけどさ。縞々のシャツを横断歩道だと思ってたみたいで、猫が僕の寝てる上をずさずさ通り過ぎてったよ」
しばしの無言。笑い話に失敗したかと汗塗れになって、返答を待っていた。
長い時間が過ぎた後、彼女は突然目を輝かせた。
「へっ!? それって何処で!? アンタの田舎!? ふふっ、そんなことがあったのね」
彼女の自然な笑顔を出すことができた。心に不思議な感覚を覚えた直後に確信した。やはり、思ってた通りだ。カフェラテ子さんと同じ笑顔を彼女はできる。これってどういうことなのだろうか。Vtuberで活動していたことが彼女の笑顔を作ってくれたのか。Vtuberをやることで彼女の隠れてた笑顔が出るようになったのか。元からあった笑顔を僕が気付いていなかっただけか。
まぁ、いいか。今すぐ、彼女に笑顔のことを言わなければ!
「そうそう! その顔! その顔を忘れないで! この顔この顔!」
「えっ、ワタシ、今、ちゃんとした顔できてた?」
「ああ! 何か、凄い」
キュンとした、と言おうとしたところで余計な発言かなと思いとどまった。
「良かったぁ! ありがとう。いつもしゃっきりしなさいって言ってるけど、よっぽどアンタの方がしゃっきりしてたようね。猫達にとっては」
「猫達にとっては……って、あはは……」
そこから僕はツン崎さんにとって、禁忌の扉を開くのである。猫カフェへ入店。ゴートゥヘブン。
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