第34話「長谷部愛助は救われる」

 殴られる。

 しかし、これは負けなんかではない。しっかり掴み取った勝利だ。僕の言葉が正しかったから相手は手を出すしかないと判断した。

 それなら仕方ないと目を閉じる。


「おい」


 ただ痛みはやってこない。耳に流れてきたのは顔に拳がぶつかった音ではなく、聞き覚えのある男の声だった。但し、その声には燃え上がるような怒りが含まれている。

 

「根木くん……」


 予想通りであれば、彼の怒りはご最も。

 根木くんの妹、キネネが奴のカツアゲの被害者。キネネが僕を送り出す時に、僕が不安に出した言葉「奴が外国にいたら、どうしよう」のことに少しだけ返してきたんだ。「その人物には」と心当たりのような、発言を。

 僕が推測するに、彼女はカツアゲしてきたこいつと近しい関係にあったのだろう。中学の時の元クラスメイトだとか。

 きっと、そんなキネネが僕のことを心配して根木くんを現場に走らせたのだと思う。

 考えている間にも根木くんは奴を傷付けないよう、それでいてしっかり拘束できるよう、まんじ固めにしていた。奴の「ぐぐぐぐぐ」という声が非常に響いて、可哀そうな位。いや、こいつにはもっと苦しんでもらいたい気もするが、今はそんなことをしている場合ではない。

 膨らんでいたポケットからスマートフォンを無理矢理奪う。

 そこから奴が叫ぶ。


「そ、それを返せええええええ!」


 根木くんの足掻きに足掻く奴に無駄だと言う。僕はもう怯まない。


「悪いけど、これはこっちのスマホに保存させてもらってから、削除する。もうカフェラテ子さんが苦しまないように」


 消せば、彼女はコメントを返さなくて済む。奴の言葉について考える必要もなくなるのだ。

 僕が奴のスマートフォンへと指を近づける。自分の立場を一瞬忘れたのか、奴はおかしなことを喚いていた。


「コメントは人の財産だ! それを消したら、どうなるか分かってんだろうなぁ!? 警察に言ってやるっ!」


 誹謗中傷を誰が宝と呼ぶものか。

 僕は彼の動画にしたコメント履歴から辿って、その言葉を自分のスマートフォンで撮影。後で幾らでも誹謗中傷について訴えられるようにしてから、コメントの削除ボタンを押した。

 これで終わりだ。

 

「もう、これで大丈夫だ」


 奴はその言葉でじたばた足と口を動かした。


「野郎! このぉおおおおお! よくも消したなっ! よくもっ!」


 そこで根木くんが言葉を放っていく。奴の威勢を止めるのは、彼の役目だった。


「まぁ、そのことならおれ、根木田牧がやったとでも言っとけよ。でも、その前にお前の誹謗中傷に警察が質問攻めを喰らわせるだろうけどな」

「はぁ?」

「ほら、聞こえるだろ? パトカーのサイレン。呼んでおいたんだよ」

「そ、そこまでするか……!? そこまで、警察なんて呼ばなくてもいいだろっ!? えっ!? おい、おい!?」


 根木くんは今までになく恐ろしい雰囲気でとどめを放つ。


「お前が引き合いにだしてきたんだろ……まぁ、そんなことはどうでもいいな。妹を、あいつを傷付ける奴は誰であろうと許さねえ。妹が許そうが、それがおれ自身であっても関係ねぇ。地獄の果てまで追い詰めて、引きちぎってやるだけだ」

「ひっ、ひぃいいいいいいいい!?」


 彼の言う通り、サイレンが聞こえる中、奴の悲鳴も響いていた。これだけがどうにもこうにも心に響いて仕方がない。

 幾ら相手が悪人だからと言って、ここまでやるべきかなという弱気が今になってでてきてしまったのだ。

 警察に奴を引き渡して、根木くんと真っ暗な夜道を歩く中でも不満は溜まっていく。何度も何度も溜息をついていた。


「……ううん」


 根木くんは今まで妹を虐めていた人間を成敗できたことがよほど、嬉しかったのだと思う。僕とは全く違った、ハイテンションでこちらに話し掛けてきた。


「なぁに、夜の闇に沈んだ顔してんだ? さっきの警察官に、お前も怪しい人かって連れてかれそうになったことが気になってんのか?」

「いや、それだったら、根木くんだってそうでしょ。アイツに向ける殺意が凄くて、凶悪な指名手配犯にいなかったかって警察官確認してたよっ!?」

「ま、まぁ、そこは気にすんな。何もやってないんだからよ……やってないはず、だからよ。で、別のことで悩んでんのか?」

「そうだね。大事な人のために、やれることはやったけどさ。でも、これが正解だったのかが分からないんだよねって感じ」


 彼はそんな反応に自信を持つよう命じる。そう言われたって複雑なこの気持ちは明るくなってはくれなかった。


「大丈夫だろ。愛助がしたのは勧善懲悪。お前はヒーローなんだから、気にすんなって」

「でも、助けたい……人、カフェラテ子さんは勧善懲悪で助けてもらいたかったのかなぁって。彼女はやっぱ彼女らしく、困ってる人を助けたかっただろうし……それに、僕が傷付いてまで、助けてほしくはなかっただろうなって思って」

「結果的に傷付いてねぇんだから、問題ないと思うがな」

「うん……でも、やっぱ過程が大事だよ。傷付きそうになったって言ったら、絶対カフェラテ子さんは自分を責めちゃうから」


 根木くんはそれから、上を向いて一言。浮かない僕に告げたのだ。


「まぁ、そこは本人に聞かなきゃ、だよな……」

「うん」


 彼はまた元の優しい陽キャフェイスに戻り、こちらに手を振った。どうやら、この辺りでさよなら、らしい。


「じゃあな。愛助! きっとお前なら、その迷宮から抜け出せるに決まってる! 頑張れよ」

「ありがとう。じゃあ」


 僕は立ち止まって、彼が夜の闇に消えていくのを見送った。それからは、ただただ地面を見ながら動くだけ。

 途中で一つ、スマートフォンが小さく音を鳴らす。通知だ。

 ネットのスパムか、メールか。発信源は誰だろうと思って画面を確かめて……心が震えた。

 たった数日連絡しなかっただけだ。それなのに、どうしても気になっていた彼女が戻ってきた。今、彼女が十分後にライブ配信をするとの連絡だ。

 これはパソコンの大画面で見なければと家に戻っていく。楽しみにするあまり、どんどん足が速くなっていく。今までとぼとぼ歩いていたのが嘘のよう。

 帰ったら適当に手洗いうがいですぐにパソコンを立ち上げる。ちょうどグッドタイミング。彼女の配信が始まった。


『数日間、連絡がないまま行方不明になってしまい、申し訳ありません。ご迷惑をお掛けしました。ただ、一つ、この空白の間はわたしにとって、試練ともなる期間だったとも思います』

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