第24話「ツン崎さんは闇に染まっていく」

 とにかく今日は覚悟を持って、朝食をいただこうと考えて自分の部屋に戻ろうとした。その最中、ポトンと何かが床に落ちる音。

 目の前にいたのは、目を丸くしていたツン崎さんだった。彼女は顔を落として、ポツリと告げた。


「朝から、たいそうな運動をやってたんだね……」

「……えっ?」

「何か、凄い仲良さそうな声が。『穂村ぁああああ……穂村ぁ……』なんて」

「あっ、いや……その」


 少しずつ顔が熱くなっていく。わざわざ自分の発したおふざけの言葉がこうやって目前で繰り返されるのは相当恥ずかしい。それに何か、とんでもない勘違いをされてる気がする。


「二人がまさか、そんな仲なんてね……二人でお幸せに」

「い、いや、待った待った待った! そんな仲とかじゃなくて!」

「でも、前に卑猥なイラストを一緒に見たとかなんとか」

「……ええと、それ何の話……? あっ、アルバイトの時か!」

「アルバイト中にそんな画像を見合うなんて……何を考えてるの」

「って、ちょっと待って。普段、穂村さんとどんな話してるんだよ!? 普通のガールズトークで卑猥な画像どうこうならないだろうよ!?」

「乙女の会話は複雑怪奇よ。それ以上は踏み込まない方がいいわ」


 かなりの衝撃を受けた。

 まさか、トラブルが彼女にも伝わって、変な誤解をされてしまうとは。しかも、彼女は「アンタがそういう人だってことはよぉく、伝わってるから大丈夫よ」とのこと。

 何を安心しろと?

 もう社会的に死んでるから、これ以上絶望することはないと?

 僕はまだ自分の社会性は死んでいないと反論した。


「で、とにかく……全部事故なんだけど。事故って信じてくれない? さっきのだって隣からいきなり何かが崩れる音がしたから……結局、本が散らかってて。そこに下敷きになってて。単に穂村さんを起こそうとしただけ」

「じゃあ、手に持ってるのは、そのお礼ってこと?」

「そうだよ」

「なぁんだ。そういうことだったんだ。良かったね。そんなにお礼をたくさんもらえて」

 

 そこで何故か、彼女は少しだけ顔を晴らしていた。これは……雨空が曇り空になって。その空からスッと光が差したような現象が彼女の表情で起こっていたと描写するべきか。

 そうだ。彼女が曇り空の理由。僕は分かっている。彼女は今、悩んでいるのだ。自分のやっていたことが馬鹿にされたことで挫けているのだ。

 

「……ねぇ、津崎さん」

「何?」


 一回唾を飲み込んだ。

 僕が彼女を励ますなんて、できるのかどうか分からない。しかし、今の状況を打開しなければ……!

 理由は簡単。

 カフェラテ子さんを取り戻したいから。

 いや、もっと単純。

 ツン崎さんの笑顔を見たいから。普段通りの口調で彼女に叱ってもらいたいから。


「な、何かあったのかもだけど……」

「何かって?」

「いや、前に津崎さん言ってたじゃん。何があったか顔で分かるって。僕も少しだけど、そういうのが分かるんだ……分かる。からさ、その……」


 緊張で彼女に目を向けられなくなっていく。ここで言わないといけないのに、なかなか口が滑って動けない。この単語を出してもいいのか、このまま話していて良いのか。そんな悩みが頭の中で交錯して、彼女に元気づけられる言葉が出てこない。

 今の感情を一言で示すなら、「泣きたい」だ。

 目の前にいる彼女はポカンとして、暗い表情のまま、首を傾げている。


「どうしたの? 長谷部の方がやっぱり暗い顔をしてるよ。それどころじゃ、なさそう」

「いや、でも。何か気になることがあったんでしょ? いつものツン崎さんらしくない!」

「……ワタシらしくって何?」

「そりゃあ、ツン崎さんは元気で。よく人の機敏に気が付いて。で、人のことを心配してくれる人だよ」

「……ありがとね。でも、そんなんじゃないよ。ワタシは単に人のことを傷付ける最低な人に成り下がってるだけ。そんなんだから、他の人にも本性を見抜かれちゃう」

「そ、それは違う」

「違わないよ。ワタシの言葉は本当に刃なんだよ。だから、誰にも構わず人を斬り付けてしまう。それはもう最悪な位にまでね」


 言葉を返せずにいた。

 彼女の顔が真剣で。僕はそれに応じられていないように思えて。まだ彼女に言える程の覚悟ができていない。

 このまま言っても、彼女を怒らせてしまう感じがした。嫌われるのは構わない。そう思える程度には、僕が強かったら。覚悟を持っていたら。決意を持っていたら……彼女を救えたのかな?

 廊下から見える外の景色。その中に小さくて愛らしいプードルやチワワが映し出され、「キャンキャン」高い声ではしゃいでいる様子が見えるも、ツン崎さんはそっと顔を向けるだけ。すぐ後に野良猫も歩いているものの、彼女は逆に距離を取るように壁の方へと寄りかかった。


「ツン崎さん……あっ」

「ふふふ。そんなツンなところが嫌なところだってことは分かってる。あの子達にも顔を向けられないな」

「いや……」

「だって可哀そうでしょ。こんな棘を持ってるワタシがあの子達に関わっても、あの子達を不幸にしちゃうだけ。あの子達がワタシを怖がっている理由がようやく分かったわ」

「いや、本当にそれは違う……!」


 それは彼女が愛をたっぷり持っているからだ。あまりに可愛がるような視線が怖くなっていることも確かだが。愛情が多すぎると、一人が好きな子が少し面倒だと思うだけ。たったそれだけ。

 ツン崎さんに、「棘があるから動物に嫌われている」なんて真実はない。

 だけれども、分かってもらえない。彼女は「もう朝ごはんの準備のために行かないと」と歩き始めた。


「じゃ、また後で。届けに行くから。今日の朝はフレンチトーストだよ」

「あっ……ありがとう」


 料理中は独りで考えたいことがあるのだろう。「一緒に手伝おうか」とは言えなかった。

 家の中に戻って待っていると、彼女が今日の朝を持ってきてくれた。渡してくれると昨日の食器と交換に走り去っていく。

 フレンチトーストは甘かった。とろとろふわふわに食パンが仕上がっていて、とても美味しい。しかし、つまらない。甘ったるすぎて食パン本来の味が生きていない。

 そして、楽しくない。

 たった数日間、彼女と共に過ごした朝食の時間がどれだけ楽しかったか思い知らされていく。目標はもう一つできた。

 絶対、彼女の美味しい料理をもう一度食べる、だ。

 今は決意を固める時だ。

 



 

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