第23話「穂村さんは素敵な一日を迎える」
今は朝。ただ、まだ少々薄暗い。最近はツン崎さんの朝食の準備と共に起きていたから、今日もこうして早い時間に目が覚めてしまったのだ。いや、朝五時に起きることはなかっただろうか。
朝焼けの方から烏が飛んでくるのを目にして寝ようかと思ったのだが。目が冴えてしまって、眠れない。
そこに微かにラジオ体操の音が聞こえてくる。穂村さんがいる部屋からだ。どうやら健康志向の彼女は朝から大きく手を振って、深呼吸をしているよう。自分もリフレッシュのために真似してみようかと考えていたら、何かが一発大きな振動が起きた。その後に酷く何かが崩れていくような衝撃音が連続で流れてきた。
「ほ、穂村さん!?」
彼女が大丈夫かと急いで部屋を飛び出し、隣の部屋をノックした。何も聞こえてこないと余計心配になって、ついドアを引いてしまった。
当然女子の一人暮らし。ドアにはきちんと鍵が掛かってるものだと思っていたばかりに開いた瞬間、心臓が止まりそうになる。
ただ、そこで怯んでいる訳にはいかない。
彼女の無事を確認するため、玄関に上がらせてもらう。
「ほ、穂村さん!? いるなら返事して!」
「こ、ここで……ここで」
「そこか!」
目の前には足半分が本の下敷きになって倒れている穂村さんがいた。彼女は手をよろよろと伸ばして、助けを求めている。
本をどかしている間に彼女は何かを呟いてきた。
「は、長谷部くん……」
「何?」
「お父様とお母様にはこうお伝えください。穂村絵里は優秀な子でした、と。名誉の戦死を遂げたと……」
……いや、本に埋もれているのは足半分だから別に命に別状はないと思う。それとも本棚に一回頭を打ってしまったのだろうか。
そう勘違いしてから、彼女のユニークな冗談であったことに気が付いた。ついでだから、乗ることにした。
「し、死ぬな……! ここでお前が死んでしまったら、お前の恋人は誰が守るって言うんだ!」
「こ、恋人は貴方に任せました……ふっ……」
「穂村ぁあああああああ! 穂村ぁああああああ! 目を開けてくれ! 目を開けてくれぇええ!」
なんてやり取りをしたら、本当に目を閉じてしまった穂村さん。すやすやと何とも心地の良さそうな息が聞こえることから、眠ってしまったことが伺えた。
同じ年頃の男子がいて、本に埋もれていて。その中でよく眠ることができるな、と感心してしまう。
それでも、このまま本の中にいる彼女を放っとくことはできないから、一冊一冊片付けていく。あったと思う場所に本を入れるだけだ。場所が違っていたら、後で直してもらおう。
「それにしても、地震が来ても飛び出ないようになってたんじゃないのか……?」
独り言をぶつぶつ出していたら、彼女はやんわりとした声で返してきた。たぶん、寝言だ。
「いやぁ。引いても出てこないようにはなってたんです……でも、押すと逆に周りの本が出てきちゃうんです。つい、さっき、ラジオ体操やって、後ろに首を曲げてたら勢いのあまり、後ろに転んじゃって。本棚にお尻をぶつけてしまいましたぁ……あはは、お恥ずかしい」
「本当に寝てるの?」
「寝てますよぉ……今のは恥ずかしいので、誰にも言いふらさないでください……後、眠ってた時のことを起きてる自分に言わないでください……」
……寝言なのだろう。
「分かったよ」
「ついでにさっきの続きですが、故郷に恋人はいません。だって、今、横で戦ってくれている貴方が……」
「えっ?」
「ふふふふ」
貴方が何なのだろう。ほんの少しだけ何か期待してしまったような気がするが。これ以上高望みはしない方が良い。何も聞いていなかったことにしよう。
「で、起きてください。どうですか? ちゃんと本棚に戻しときましたけど、変なことがあったら教えてくださいね」
彼女は目をパッチリと開けて立ち上がる。大きな伸びをしてから、本棚を称賛していた。
「な、なんか、凄いです! 前よりも綺麗になっているかもしれませんね! ああ……人に施す保育士を目指す身でありながら……もっと整理整頓を見習って頑張らないとですね」
「いやいや……」
一応は普通の人より本に関しての整理はできると思う。小学校の頃、同じクラスメイトが適当に読んで放り出していった学級文庫を直すことが多かった。ついでに図書館でもテーブルに置き忘れられた本を勝手に戻している。
彼女はそんな僕に感謝をする。
「ありがとうございますね。朝早くからご迷惑お掛けしました……あっ、何か困ったことがあったら、頼ってくださいね」
「困ったこと……かぁ」
「何かおありで?」
ある。
ツン崎さんの異変のことで相談したい。ただ、なんて説明するべきか今の手持ちの情報では説明することができない。一応、カフェラテ子さんが悪口を言われたから落ち込んでいると伝えることもできるが。それだと彼女が折角隠している正体をバラすことになってしまう。
必死に僕に隠しているであろう努力をぶち壊したくはない。だから、もう少し良い説明ができるまで待ってもらおう。
その上「ツン崎さんを元気づけてほしい」と言っても、方法がない。具体的に何をすればいいのか、なんてなかなか分からないし。
「まぁ……今のところ、考え中かな」
「はい。考えが決まったら、ぜひ、来てくださいね! あっ、それとは別に」
「別に?」
何やら嫌な予感がする。彼女の幸せそうな顔から邪悪な気配を感じ取ったのだ。
「うちで朝食食べてきません? 昨日の残りのマーボー豆腐ですが!」
「……ええと」
言葉が詰まる。
たぶん、このまま「はい」と言えば激辛フルコースが僕の口を襲う。今度は僕が「故郷にいるおっかさんに……俺は幸せでしたと伝えてくれ。ぐふっ」と穂村さんに伝言を頼むこととなる。
遠慮させてもらおうか。
「どうします? 長谷部くん」
「朝ごはんは作ってあるから……」
自分的には相手も傷付けない最高の選択だと思う。グッドだと思っていたら、彼女はキッチンの中から走ってきてタッパーを渡してくれる。
それも両手いっぱいのかなりの量だ。色はもう地獄を連想させる位の赤、赤、赤だ。目の前が紅蓮に染まっている。
「じゃあ、これ。今日の朝じゃなくてもいいので! 作ってみた奴! ちょっと創作料理も試してたところなので。良かったら、中に入ってる具材、当ててみてくださいね!」
「あっ……ありがとう」
おかげで予定より早く天国へ逝けそうだよ。
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