第8話「ホムラさんは『辛い』を愛してる」

 一番困る質問だ。正直、辛くて味なんてほとんど分からない。

 ただ、僕は穂村さんの御心によって、カレーライスをいただいている訳だ。「辛くて大変」なんて言ったら、彼女が悲しんでしまう。そんなことが同じ学校の魑魅魍魎共に知れ渡ったら、海に沈められることだってあり得るだろう。

 それに同級生関係なく、彼女を傷付けたくはない。今の今まで多くのほどこしをしてくれた優しい彼女の恩を仇で返すようなこともしたくないのだ。

 だから、ここは以前食べたカレーライスの美味しさをこのカレーライスの美味しさと言うことにして説明する。


「う、うん。ええとね。このぴりっとするスパイスとカレーの具材がマッチしてて。野菜もカレーの中にとろけていて、野菜特有の甘味なんかも出て、本当味がまろやかで……お、お肉も弾力があって、うん。その脂がまたカレーのマイルドさにあっていて、程よいか、感覚に」


 かなりヤバい。嘘がバレる前に喋っておきたいという考えのせいで、ついつい早口にもなっていた。

 僕の顔から手から汗が滝のように流れ出る。穂村さんが丸い目でこちらを見つめていた。もしかして、彼女も辛いことは承知しているのではないか。自分の出した味が僕の指摘したものとは違うと思っているのかも、だ。

 そうだったとしたら、僕は彼女の意向に添えなかったことになる。

 彼女が僕の考えに気付き、悪い方に思考を動かさないよう願うばかり。後できるのは、この唇、舌、胃から燃え上がりそうな辛さのカレーライスを「うま、うまい! うま、うんまっ!」と言いながら、食うことだけだ。

 彼女は不思議そうに僕の顔を眺め回すと、突然相好を崩し始めた。


「ふふっ。真っ赤な顔。それ位になるまで喜んでもらえたんですね」


 口にたらふくご飯を詰め込み、何も言えない口で「うんうん」と頷く。ついでに自分自身に応援もしておく。頑張れ、僕。笑顔を絶やすな。

 僕が何も返答しないうちに彼女は自分の分のカレーをたいらげ、更なるカレーをよそってきた。それどころか、彼女の分以外にも見えるカレーライスの皿がぽつんとテーブルの上に置かれていた。

 彼女が言うには、僕の分とのこと。


「美味しいのなら、どんどん食べちゃってくださいね」

「そ、その前に水を……」

「水、ですか?」

「あっ、いや……食べ物にはどうしても……飲み物が……」

「水よりもスペシャルドリンクがあるんですけど、如何いかがです?」

「そ、それでもいいから、ちょ、ちょうだい……」

「はい! 野菜ジュースです!」


 彼女はペットボトルに入れてあった緑色の飲み物を持ってきた。野菜ジュースと言うよりはスムージーにも見える。それに少々苦そうな気もするが。

 問題はない。逆に辛みから逃れられるのなら、酸味、塩味、甘味、苦み何でも来い、だ。

 彼女がコップに注いでくれたジュースを一気に飲み干した。その瞬間、今度は目頭まで燃えた気がした。


「うううううう……」


 穂村さんは穏やかな顔で「オリジナルの調合をした野菜ジュース。唸る程、美味しくて良かったです!」との前向きな解釈をされていた。

 僕の方は後ろ向きな解釈でしかない。口から炎を吐きそうな僕は喉を抑えたくなるのを我慢し、辛みを誤魔化すために辛いカレーを食べていた。

 一体、あの野菜ジュースには何種類の唐辛子が入っていたのだろうか。ハバネロとか、入っていないと信じたい。

 彼女は喉が渇いたとぼやいて、その野菜ジュースを平気で飲んでいる。おかしい。彼女が人間に見えなくなってきた。

 一応、彼女は辛さを感じているのか知りたくなってきた。


「そ、そういや、カレーって何口にしたの?」

「ああ……物足りないかもでしたか? 甘口にほんのちょっとスパイスを混ぜただけなんです。やっぱ、もっと辛い方がお口に合うんですかね」

「い、いや、この辛さが最適なんじゃないかな。ほら、『ジャーカレー』は辛口が合うし、『パーモンドカレー』は甘口が似合う。製法によって一番、最適に食べられる辛さってのがあるんだよ」

「そうでしたか! 良かったですっ!」


 危なかった。もし、彼女の言葉を否定したくなくて「ああ、そうだね」なんて言ってたら、激辛スパイスを持ち出されるところであった。

 迂闊うかつに辛さについては話さない方が良いであろう。

 僕は何度も何度もスプーンを動かしては口にカレーを突っ込み、死ぬ思いでお代わり分も食べさせてもらった。

 たぶん、明日は空を飛べると思う。体中の穴という穴から火が噴き出るだろうから。

 彼女は片づけながら、死に掛けて魂が抜けている僕を心配していた。


「ど、どうしたんですか?」

「い、いや、今日は疲れたと思って。が、学校も大変だったから」

「ああ、気疲れさせてしまったのもありましたかね。すみません」

「謝らなくてもいいんだよ」

「そ、そうですか? 大丈夫です? おうちまでおんぶで連れて行きましょうか?」


 それは心配し過ぎだ。逆に僕が不安になってしまう。


「ダメでしょ。絶対潰れるし、うち隣だし」

「そ、そうですよね。自分はもっと力を付けないとですね!」

「えっ?」

「だって子供達を運ぶのに力は必要ですよね」

「う、うん……」


 そうか。子供の世話をイメージしているんだよな。彼女、保育学科の学生だし。ならば、いつか言わなくては。

 彼女が保育園だとかで無差別集団カレーテロを起こす前に。辛さが一生トラウマになる子供達を作らないためにも。

 勝手にそんな責任を持って、僕の気が重くなる。重荷を少しだけ持ってくれる穂村さんの声がした。

 

「じゃあ、今日はここでお開きということで」


 彼女ならきっと自分の過ちを受け入れられるかもしれない。希望を持って、僕は「おやすみ」と告げ、部屋を出た。

 さて、今日はもうおやすみなさい、だ。

 僕は伸びをして、自分の部屋に入っていく。そこで同時にドタンと廊下に響き渡る音。僕はドアをまだ閉めていないし、穂村さんの玄関扉は閉めてきたはずだ。

 他に誰かいたかな、と思いながら就寝の準備をする。


「……何で……何で……話と違うような……ずるいじゃない……」


 ふと聞こえたような発言。先程、読んでいた穂村さんの小説にも似たような台詞があったような気がする。まだ口の中に辛さが残っていた僕は、幻聴でも耳にしたのだろうと気にも留めなかった。

 この言葉が後から重大な事態を引き起こすことになるなんて、露も知らずにね。


 

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