第5話「長谷部愛助は騙せない(後編)」

「何をやんの?」


 僕は「はわわ!?」なんてはしたない声を出してしまった。まさか、彼女が隣にいるとは思わなかったのだ。

 できる限り、誤魔化そうと頑張ってみる。


「い、いや。やろっかなって。フランス語とか、中国語とか」

「あっ、そういうこと」

「あはは。先に日本語とかの勉強が必要だよね」

「そうかもね」


 彼女は僕の隣に座り、手に持っていた二つの皿をテーブルに置く。皿の上にはパンケーキとウサギの形をしたリンゴ(一つ、二つ崩れている)だった。

 本当に穏やかな甘さが匂いからして漂ってくる。

 彼女が箸を用意して、「いただきます」と手を合わせていたものだから、つられて僕も「いただきます」。

 さてとパンケーキを取って、一口。口の中にふわりとした感触が入ってきた。飲み込んだ直後に自然と声が出た。


「甘い。甘くておいひー」


 かなり美味しい。バナナが中に入っていて、とろり、口内でとろける味がたまらない。

 ツン崎さんは特訓のためだとか言っていたが、そんなことをしなくても通用する出来だ。


「まぁ、良かったわ。まっ、作るの一気に作りたかったんだけど、食べきれないじゃない。出来立ての暖かい方が美味しいし、冷ますのもったいないし。そこでアンタみたいな男が来てくれてとっても助かったわ」

「そりゃ、どうも……と言うより、マジでありがとな。こっちこそ、すごい助かった」


 久々にここまで甘い朝食を食べて、疲れていた心がかなり回復していく。今日一日これがあったからこそ、頑張れる。

 リンゴも視覚と味覚で楽しませてもらった。ちなみに崩れた形のものは彼女がささっと取って口に入れていった。

 そんなこんなで朝食を二人で完食させ、「ごちそうさま」をする。

 後は僕はテーブルの片づけ、ツン崎さんは食器を洗っていく。先に彼女の方から言葉が飛んできた。


「夜についてはワタシ、用事があるから……明日の朝、またお願いしてもいいかしら」

「あっ、了解!」

「じゃ、また明日の朝、同じ時間に集合ね」


 そこで僕は、とある作戦を思い付いた。今日の夜もカフェラテ子さんの配信がある。ツン崎さんがカフェラテ子さんであれば、何か尻尾を出すかもしれない。

 僕が見ているとなれば、彼女は僕に関して何も言おうとしないだろう。もし、僕がいなかったら。カフェラテ子さんが僕のおっちょこちょいエピソードの一つや二つ話し始めるかも、だ。


「そういや、今日、課題やんないとなんだよなぁ」

「ん?」

「いや。集中したいから、昨日みたいにドンドンってドアを叩くのは遠慮してくれればねぇ、と」

「……ふぅん。分かったわよ」


 彼女がこの言葉に了承してもらえれば、次にやることは一つ。

 朝食が終わって大学にいる中で、カフェラテ子さんにコメントで連絡を送っておく。配信前の動画にも一応、コメントを送信できるようになっているのだ。


『ごめん、今日はいけそうにないんだ。課題が忙しくて。今日も頑張ってね!』


 やりきった。だから、そのまま寮の自分の部屋に戻って夜を待った。配信時間までコンビニで買ってきたサンドウイッチを食べながら、全裸待機。

 課題をやるなんて話はほとんど嘘。画面の前でずっと正座している位、暇だ。いや、課題は少々あるのだが、それよりはカフェラテ子さんの真相を探る方が先。

 課題のプリント用紙は気になって仕方がないので取り敢えず、やろうとしたのだが。つい換気のために窓を開けたら、部屋の中に吹き荒れた風が夜空の果てまで運んでいった。


「まっ、いっか」


 後で回収するとして。今はカフェラテ子さんの配信を確認しなくては。

 確か彼女の方からはコメントさえしなければ、いるかどうかは分からないようになっている。彼女が分かるのはコメントしている人がいるかどうか。それと何人いるかどうか、だ。彼女の配信にはだいたい五十人から六十人で一人二人イレギュラーな人数があったとしても、それが誰だか探るようなことはしない。

 つまり、僕がいてもバレやしないのだ。


『さて、今日も配信を始めますよ!』


 カフェラテ子さんの綺麗な茶髪が画面に映り始めた。毎度コメントに応対している彼女。問題はそこではない。

 彼女が日常を喋り始める場面が重要だ。ドキドキする僕を画面の前に彼女は告げていた。


『ちょっと今日は小声でーす。ちょっと近くで頑張って仕事している人がいますのでー』


 胸がドクンと大きな音を鳴らして、騒めいた。課題ではなく、仕事と言ったが。もしかしたら、言い換えただけなのかもしれない。

 カフェラテ子さんは学生とも社会人とも言っていない。ただ皆を褒める天使的な役割だ。

 だから近くに「課題をやっている人がいる」と言ったら、視聴者に学生が近くにいる寮だと推測されかねない。だからわざわざ別の話し方をしたのか。それとも、本当に仕事をしている人が近所に住んでいるだけか。

 分からないから余計にもやもやする。

 

「ううん……今日は別に言わないかな」


 彼女は日常と称して好きな漫画やアニメの話をし始めた。これではカフェラテ子さんがツン崎さんだったと証明できない。

 いや、やはりできないのかもしれない。理由は明白。違うから。

 そう思っていた時が僕にありました。


『あっ、そう言えば……今日の朝の話なんですけどね……近くの人にわたしの料理を振舞ったのです。必死な顔で毎度走ってるのを見るし、大変そうだなぁって思って。それで、ご飯を食べて貰ったら、美味しいって本当に素敵な笑顔で言ってもらったんですよね』

「えっ」

『その人はやはり、思った通りの人で。わたしが怪我した時にもすぐに駆け付けてくれて、手の処置をしてくれたんです。本当に優しくて、もう……もう! 感動しそうでした』


 今朝の出来事をそのまま、カフェラテ子さんが話していたのだ。コメント欄には「カフェラテ子さん、大丈夫なの?」とたくさん彼女を心配する言葉が出てきているも、僕には見えていなかった。

 ただ、この眼に映るのは虚空だけ。


「ほ、本当に……」

『本当に』

「カフェラテ子さんって」

『その人って』

「ツン崎さんだったの!?」

『優しいんですよ!』


 頭に衝撃が走り、僕の脳は動かなくなった。考えるのをほとんどやめたのだ。世界が一転する。

 ある訳がないと思っての実験だったはずが証明になってしまった。

 

「……本当にツン崎さんって、あんな優しいことを思ってたの? それとも演技なの?」


 その時だった。昨日と同じく誰かが玄関の扉を叩く。誰だろう。ツン崎さんはカフェラテ子さんとして、ライブ配信中のはず。

 まさか、秘密を知ってしまったことに対して粛清をしに来たのだろうか。

 ビクビク震える中、ツン崎さんとは違う穏やかな声が辺りに響き渡る。


「ちょっと夜遅くにごめんなさーい! お聞きしたいことがあるんです!」



 


 

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