第2話「津崎れこはツンデレない」

 ツン崎さんのドアを叩く音が次第に強くなっていく。恐る恐る玄関のドアを開けると、彼女はスタスタとこちらまで歩いてきて、愚痴を吐いた。


「靴をもっと揃えときなさいよ。あー、男子はずさんなところが多くて困るわね」

「ちょっと待って、ツン崎さん……じゃなくて、津崎さん」


 ツン崎は渾名。本名は津崎つざきれこ。毎度毎度僕を否定しているものの当人は完璧主義なのか、きりっとしている。今でも人の部屋を尋ねて来る際の身だしなみも立ち振る舞いもしっかりしている。

 顔立ちも美人。メイクについても忘れていない。

 同じ美人でもカフェラテ子さんとは正反対の見た目である。短く整った黒髪と猫目。僕と同じ大学の音楽学科にいる彼女だが、同学科内では人気の的となっているらしい。時々、僕は文学学科なる違う場所にいるのに「部屋が隣とはどういうことだ」と音楽学科の学生に羨ましがられることがある。

 ただ、毎日怒られるのも楽ではない。彼女は僕のところを見て先程のように度々、文句を言うのである。


「ツン崎って誰のこと? どうせワタシのことでしょうけど。そんなくだらないこと考えてるなら、もっと成績について考えた方がいいんじゃないの?」

「ほっとけ……って……あれ、何でそれを知ってるんだ?」


 僕はふと疑問に思った。何故違う学科に所属する彼女が僕の成績事情について知っているのだろうか。時々同じ講義を受けることもあるが、そこでは発表なんてものはない。ただただ教授の話を聞くだけだ。成績が分かるところなんて一欠片もない。

 成績事情を教えたのは、家族か、カフェラテ子さん位なのだが。彼女は僕が疑問を口にする前に答えを出していた。


「そんなのテストの日の顔見りゃ、分かるでしょ。ぐたーってなって、いつもの地味顔が更に真っ青になって。死人が歩いてるのかと思ったわよ」

「そこまで酷いか」

「ええ」

「って、そうだ。何の用なんだ? 人の家のドアをバンバン叩いて大騒ぎして」


 話がどんどん逸れていきそうなので、戻しておく。彼女は何故に僕の家にやってきたのか。差し押さえではないと思いたい。

 心の中でそう願っていると、彼女は張り紙を出した。


「寮母さん、いるでしょ?」


 彼女の言葉と共に差し出された紙によると「寮母さんの親に急な用事ができてしまい、しばらくは朝食と夕食は作れなくなってしまった。後に返金対応はしますので各自、用意してください」とのこと。

 いつもは寮母さんが食堂に弁当を作り置きして、それを受け取り、ご飯を食べることになっていたのだ。今晩も普通にハンバーグが作られていたから、いなくなったなんてこと気が付いていなかった。

 僕は頭を掻きつつ、ぼやいていた。


「……用事で……ううん、そういうことか。明日からはコンビニ弁当かなぁ」

「言わないとアンタ、ぼんやりしてて気が付かなさそうだからね。きっと明日の朝も寝坊して、『ないないっ! 何で僕の分のご飯がないの!?』って叫びそうだから」

「そんなに僕が間抜けに見える?」

「見える」


 と彼女は近くの棚にあった僕のイヤホンを指差して、告げていた。そうです。間抜けなことに踏みつぶして壊しました。彼女は痛いところを的確についてくる。そんな理屈で納得しそうになって違和感を覚えた。

 やはり、彼女はおかしい。

 確かにうっかり間抜けで踏みつぶしてしまったイヤホン。彼女の前で壊した訳ではない。誰かに壊された可能性や間抜けとは違った不慮の事故だと推測することもできるはずだ。

 どうして間抜けな事故だと断定できたのか。

 僕はその辺りの壁に穴がないか、確認しておいた。もしかしたら、覗き穴ができているかもしれないからね。


「ないなぁ……覗き穴」

「何言ってんの?」

「いや、何でもない。それよりもさ、まっ、教えてくれてありがとう」

「まぁ、当然ね。お腹空かれて結果的に病気になって。ワタシに病気をうつされても困るから」


 彼女はツン崎さんだ。また、ツンツンしている。しかし、まぁ、言っていることは間違っていないし。目に見える形で僕を助けてくれている。

 今回のことも助かった。忠告してもらわなければ、彼女の言った通りの未来があったことだろう。これはカフェラテ子さんでも不可能なこと。彼女なりの優しさがあったからこそなのだ。

 だから、頭を少し下げてもう一度お礼をしておいた。


「……ありがとね」

「な、何よ。別に……あっ、そうだ。ついでのことなんだけど……」

「ついで?」


 何か言われるかと身構えた。すると、今度は彼女、僕が手にしているスマートフォンに対して視線を向けたのである。

 そして、何故か彼女はVtuberについての話題を口にした。


「そう言えば、時々窓が開いてる時に聞こえてくるんだけど、その、Vtuberとか、そういうの見てるのよね?」

「ああ……」


 少々意外だ。彼女がそんな話題を出すなんて。学業や私生活について口を出してくることがあっても、エンターテイメントについて話すのはこれが初めてかもしれない。


「……ちょっと最近、ワタシもそういうのをチェックしてるんだけど……」

「へぇ……」

「アンタ、とんでもない量のVtuberに貞操が狙われてるそうね」


 彼女は真顔でそう口にした。

 なるほど。貞操が狙われている、と。


「へーそー」

「あら、あんま、驚かないのね」

「だって、狙われてんでしょ。僕、結構近所の動物に狙われること多いし……貞操位……? えっ、貞操狙われてる!?」


 僕がのけぞりそうになっていると、彼女は顔を真っ赤に染め、大声で喋った。


「だから、貞操狙われてるって言ってんじゃないの! 女子にこういう系の単語、連発させんなっ! この変態童貞豚野郎が!」

「いや、別に貞操って言わせようとした訳じゃないから! 貞操って意味がピンと来なかったんだよ! ってか、童貞って君が勝手に!」

「言い訳無用! ってそうしてる場合じゃないわ。もし、告白されたり、何か変なことが言われるようなことがあったりしたら。そのせいね」

「で、でも何で……」


 確かにカフェラテ子さんに告白のようなものをされてしまったが。好かれる理由が分からない。それにその他大勢のVtuberに狙われる理由も見当たらない。

 多いと言える程、Vtuberの配信を見ている訳でもないし、実際関りがないのだ。

 その疑問に対し、ツン崎さんはある解釈をした。


「きっとアンタは何か重大な禁忌をやらかしたのよ。Vtuberにとっての禁忌を。変な言葉を送ったりした覚えはある……? 絶対にあるはずよ。何か……何か!」

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