獣国のレジスタンス
第1話 野良人間
「はっはっは……! くぅん……!」
――なんだ?
体が重い。
いや、それよりもこの荒い呼吸音は……動物、犬か?
なぜ犬がこんな至近距離で――
ああ、そうか。
色々と思い出してきた。
俺は死んで、『
それで……そうだ。
記憶を消されるとか言われてたけど、こうして思い出しているということは――
「ワオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!」
「だあああああああ! もおおおおおお!」
「うっぜえ犬だ……な……?」
しかし、そこには――
「くぅん……くぅん……」
ハゲで、デブで、全裸で、四つん這い。
赤い犬用の首輪をした四十後半くらいのおっさんがいた。
「――は?」
俺の脳が思考を放棄する。
「あら、ジョセフィーヌちゃん、どうかしたざますか?」
声が聞こえ、俺はそのほうを見る。そこには、フサフサのモフモフ。
ファンタジーでもよく出てくる獣人……というやつだろうか。
人型で、髪の毛の生えた黒猫が立っていた。
高そうなドレスを着て、日傘をさして、おっさんの首輪の先、リード紐を持っている。
そこから導き出される答えは――
「猫の獣人が……人を散歩させている……?」
「おや、こんなところに
「え? なんで日本語をしゃべって――」
「あら、言葉を話せる人間なのね、あなた」
「お、俺のこと……か?」
そっちこそなんで喋れるんだ、と問いたいが、ここはあえてグッとこらえる。
この状況が尋常ではないからだ。
下手に口を開けば立場を悪くする。
「ええ、そうよ。こうして会話できているのだもの。……もしかして、飼い主から逃げてきたの?」
「飼い主? いや……そもそも、ここがどこなのかすら……」
「あら可哀想に。……とはいえ、外からやって来たというのも勘がられないし、混乱しているようね」
「外? ま、まぁ……混乱はしてるけどさ……」
「けど、ごめんなさいね。あたくし、このとおりすでに人間は飼っているの。飼い主を探すなら他を当たって頂戴」
「行きますわよ、ジョセフィーヌちゃん」
と、おっさんに声をかけた。
いや、ジョセフィーヌちゃんって顔じゃないだろ、そのおっさん。
ていうか、ジョセフィーヌちゃんの顔ってなんだよ。
なんて呑気なことを思っていると――
「夜。三番街。その裏路地に来い」
すれ違いざま。
ジョセフィーヌちゃんが俺に、小さく声をかけてきた。
それにしても、めっちゃ渋い。
なにこの声。
惚れる。
無駄に良い声のジョセフィーヌちゃん。
「――いや、そうじゃねえよ!」
なんてツッコんだのは、さきほどのひとりと一匹(?)が立ち去った後。
「なんなんだ一体……」
俺はぼけーっとそれを見送ると、ゆっくり立ち上がり、改めて辺りを見渡した。
「……げ」
思わず声が出る。
猫。犬。兎。熊。狼。鳥。
様々な動物が、中世
「ど、どうなってんだ、これ……」
俺、もしかしてとんでもない世界に飛ばされたんじゃないのか?
そして、俺は次に
……うん。まさしくって感じだ。
厳密にいうと違うんだろうけど、中世の欧州。
よく見るファンタジーぽい世界。
石畳、煉瓦の建物、噴水。
遠くのほうには城らしき大きな建物もある。
城と言っても天守閣や、お堀があるようなものではなく、まるで冠をかぶった王様や、ドレスを着たお姫様なんかが住んでそうな
広場には露店があり、リンゴやオレンジ、トマトやたまねぎなど、色々な果物や野菜が売られている。
「それにしても、獣人だとたまねぎやトマトも食べられるんだな……」
あと気になるのは肉屋だが……見たところ、ここにはなさそうだ。
助かった。
「ふむぅ……」
ざっと見た感じ、どうやら文明に関しては、俺のいた世界と比べて、そこまで大きな差はなさそうだが――
「やっぱ、慣れないよなぁ……」
俺は改めて、道行く人々……ではなく、
外国の、特にア〇リカあたりの人たちならこの状況、泣いて喜ぶと思うけど、俺に
そして獣人から人間に対する態度。
ジョセフィーヌちゃんを見た限りだと、人間に厳しい世界なのかとも思ったが、案外そんなことはないらしい。
チラチラと見られてはいるものの、そこまで明確に敵意を向けられてはいない。
あと、見られているのは、おそらく格好のせいだろう。
上下紺のジャケパン、ネクタイ、ビジネスシューズにビジネスバッグ。
こんな世界観だと、この格好はあまりにも悪目立ちしすぎる。
けど、危害を加えられないのなら、とりあえずは安心。
……なのだが──
『夜。三番街。その路地裏に来い』
ジョセフィーヌちゃんの言葉が、俺の脳内で反芻される。
やっぱいい声だったよなぁ……なんて、浸ってる場合じゃない。
情報を集めるために、その三番街とかいうところへ行きたいのは山々だけど――
如何せん、地理がわからない。
『三番街ってどこだよ』
『その路地裏ってどこだよ』
『太陽ぽいモノはあるけど、そもそも今何時だよ』
……などなど、とりあえずクリアしなければならない事柄がありすぎる。
ともかく。
さっきの猫ぽい獣人と話が通じたということは、おそらくここにいる獣人たちとも話が通じるということ。
なら、ここは思い切って話かけてべきだな。
「は、はうわーゆ」
ワンパターンだな、俺。
……まぁいいや。
俺は道行く獣人の中でもとびきり弱そうな、小さなねずみの獣人に話しかけた。
身長は俺の手のひらよりも、すこし大きいくらい。
そいつは俺の顔を見ると、怪訝そうな表情を浮かべつつも足を止めてくれた。
俺はその場に片膝をつき、なるべく視線の高さを合わせる。
「……なんだね?」
「おお、やっぱり。問題なく日本語だ」
「ニホンゴ……?」
わからんのか。……ああ、こういうのはあれだな。
たぶん勝手に、脳内で言語翻訳、変換されてる感じのやつだろう。
「……用がないのなら、もういいか? あまり人間と話しているところを見られたくないんだが……」
なるほど。
スーツのせいかとも思ってたけど、やっぱりそういう立ち位置なのね、人間って。
「……あの、すみません、すこしお聞きしたいことがあって……」
「なんだ」
小さいのにやけに高圧的だな。
「三番街……というところへ行きたいのですが」
「三番街だと?」
獣人の、片方の眉が吊り上がる。
「は、はい」
「……いや、止めておいたほうがいい。君みたいに貧弱な人間だと、すぐに殺されてしまうだろう」
「こ、ころ……!? そんなに治安が悪い所なんですか……!?」
殺されるってなんなんだまったく。
物騒すぎる。
あらかじめ聞いておいてよかった。
それにしても、なぜジョセフィーヌちゃんは俺をそんなところへ?
「いや、治安が悪いというわけではないのだが……まあいい。どうしても行きたいのなら、行けばわかるさ」
「えぇ……そんな猪木みたいな……」
「イノキ?」
「ああ、いえ……なんでもありません」
「……もう、いいかね?」
「あ、あと、もうひとつだけ……」
獣人は言葉を発さず、また片眉を吊り上げた。
ここまであからさまにイラつかれると、俺も心苦しくなってしまう。
まあいい、手短に済ませよう。
「……今ってその、何時ごろなのでしょうか」
「昼の十二時だが?」
「十二時……」
てっきり、さっきの日本語みたいに
『ナンジ?』
と聞き返されると思ったけど、時間の概念はあるらしい。
それも幸運なことに、おそらく、俺のいた世界と同じくらいの時間認識だ。
ちょうど、太陽ぽいのも真上にあるしな。
「あの、ありがとうございました」
軽く会釈をする俺。
ねずみの獣人は特に何も返事をすることなく、その場から立ち去った。
「……よし」
てくてく。
俺もとりあえず歩き出す。
こうしているほうが思考がまとまりやすいからだ。
とりあえず、〝三番街〟という場所が危険だということだけはわかった。
だが、そうなってくると、なぜジョセフィーヌちゃんがそこへ来いと言ったのか気になる。
誰にも聞かれたくない話をしたいから?
ここで生き抜くためのコツを教えるため?
少なくとも、俺に何かを伝えるためではあると思うんだけど……うーん……。
いや、待て。
なぜ俺は、会ったばかりのジョセフィーヌちゃんを信頼しているんだ?
なぜ俺は、ジョセフィーヌちゃんの言うとおりしようとしているんだ?
ただのいい声をした、全裸のおっさんなのに。
俺の敵かも知れないのに。
……敵?
そもそも敵ってなんだ?
俺はジョセフィーヌちゃんにとっての〝敵〟なのか?
そう言われてみれば、たしかに心当たりはある。
俺が最初、目を覚ました時、結構な力でジョセフィーヌちゃんを払いのけてしまったのだが……もしかしてそれが癇に障った?
ということは、これはもしや――決闘!?
俺は、ジョセフィーヌちゃんに決闘を申し込まれたのか……!?
「わからん……わからん……」
俺はひとり、うんうんと唸りながら歩いていると――
ぽよよん。
「ぽよよん?」
なにか柔らかいものにぶつかった。
顔をあげてみると、ものすごいプロポーションの獣人が二
見た目からして、おそらく狼と虎だろう。
それも雌。
なぜわかったかというと、髪が長くてボン、キュッ、ボンだから。
他の獣人がドレスやらエプロンみたいな、ゴテゴテした服装なのに対し、なぜか中東風のダンサーぽい衣装。
ベリーダンスだっけ?
フェイスベールに、ひらひらのスカート。
しかも布が原色のわりに生地が薄い。スケスケ。
ほとんど裸だ。
いや、たしかに動物は裸だけど。
体毛は生えてるし、大事な所は隠れているけども。
「あら? おにいさん、この辺りで見ない人間ね。おひとり?」
煽情的な格好に、情欲を掻き立てる猫なで……いや、虎なで声。
そんな虎の子(ダジャレではない)が、俺の喉元をフワフワプニプニな前足で撫でてくる。
思わずゴロニャン、と鳴きそうになるのを我慢し、俺は二人から距離を取った。
「ななな、なんなんだいきなり!?」
「なにって……べつになにもしてないわよ?」
「『なにもしていない』……だあ?」
おいおい、なんということだ。
ならさっきのは、あいさつ代わりということなのか?
俺はとんでもなところに迷い込んでしまったみたいだ。
「……ななななら、自分はここで失礼させてもらいます!」
「あん、待ってってば」
今度は狼の子が俺の腕を掴んでくる。
フニフニ。
虎の子とはまた違った肉球、そして乳の感触。
そして鼻をつく野性的な(決して臭くなく、むしろフレグランス的な)香りに、頭がくらくらしてくる。
「じつはわたしたち暇しててね……」
「これから誰かと遊ぼうかなぁって」
「あ、遊ぶ……? それって――」
「そ。いけない……あ・そ・び」
「ごくり」
すでに口内がカラッカラで飲み込む唾すらない状態だった俺は、わざわざその擬音を口に出した。
「どお? おにいさん?」
「わたしたちと、いけないこと……してみない?」
鼓動が早くなり、顔が熱くなる。
ダメだ。
ダメだダメだ。
あからさま過ぎる。
しかし、なんだこれは。なぜこうまで抗い難いのだ。
俺はノーマルじゃないのか?
いや、気をしっかり持てダイスケ。これは罠だ。おまえの根性を見せる時だ。
「……ご、ごめん、俺は……そういう趣味は……」
「趣味? なんのこと?」
「それよりも、わたしたち気になるなぁ……おにいさんの、カ・ラ・ダ」
ネクタイを外され、シャツのボタンをプチプチと外されていく。
するり。
獣人のフワフワな手が、プニプニの肉球が、俺の胸板をなぞる。
嗚呼……ごめんなさい、ア〇リカの皆さん。
俺も獣人のこと、大好きみたいだ。
「――してぇ……ッ!」
「え?」
「なあに? なにがしたいのぉ?」
「オラも、姉ちゃんたちの体のこと、いっぺぇ知りしてぇ……ッ!」
いつの間にか俺は、目から大粒の涙を流し、声帯をギュッと震わせていた。
「よしよし」
「よしよし」
やがて、ふたりに挟まれるように頭をなでなでされる。
前後からボンキュッボンのボンの部分と、フニフニが押し寄せてくる。
もはや逃げ場はない。
……いや、逃げる必要などない。
「じゃ、一緒に行こうね」
「一緒に……どこへ? ぼく、怖いよ……」
なぜか幼児退行してしまう俺。
「天国よ」
「て、天国……! 昇天……!」
天国……そうか、俺の天国はこんな所にあったのか……!
俺は夢見心地のまま、ふたりに手を引かれ移動する。
嗚呼……なんだこれは……移動式天国なのか?
「ゆっくり……ゆっくり……」
「おにいさんは、わたしたちに身を任せるだけでいいの……」
……お父さん、お母さん、ぼくを生んでくれてありがとう。
そして、今までに出会ったすべての人たちにも、溢れんばかりの感謝と祝福を。
「異世界、サイコーーーーーーー!! ひゃっほーーーーーーーーう!!」
――などと、谷間の中心で叫んでいる俺は、ただの救いようのない阿呆に過ぎなかった。
そして、この時ふたりに連れられた場所こそが、〝
今後の俺の異世界ライフを、大きく左右する場所であった。
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