第34話 【B】eginning

 ――4月28日 PM6:00。


 太客である子供たちは、暖かい食事が待つであろう我が家への帰路を辿る。静けさを取り戻した九判こばんは薄暗い夜道をひっそりと照らしていた。先の荒事で空いた穴はトタンで塞がれており、風が吹くたびにカタカタと音を立てる。酸化した木造の壁面と相まって、九判が露希あらわきと共に長い月日を過ごした軌跡をより色濃く残している。


 2代目店主、錆谷十語さびやとうごはひとり店仕舞いに勤しんでいた。ツギハギの壁を視界が捉える度に、悲嘆にくれた溜息が彼の口から漏れる。懐に余裕はあれど、かかる時間に目を背けることは出来ない。

 極めつけは露希で起きているここ連日の騒動だ。渦の中心にいる手振柘榴てふりざくろ。彼女に引き抜かれた田中鳥夫。事の顛末がどうであれ、交渉人ネゴシエーターとしての仕事を休業する訳にはいかない。


「どの道今は建て替えなんて考えられる状況じゃないよなぁ……」


「どうやらその様だね、錆谷くん」


 十語の心臓がドクンと大きな音を立てる。独り言への突然の返答に、十語は思わず振り返る。

 そこには怪崎鳴子かいざきめいこの姿があった。しかしながら様子がおかしい。

 八脚馬はちかくま高校の制服は破け、所々に赤黒い血液が付着している。その姿に、彼女が唯ならぬ事件に巻き込まれたことは明白だった。

 しかし、十語が彼女に対して抱いたものは違ったのだ。


 ――――何故、鳴子の喉がの声が聞こえるのか。


「オイオイオイオイ、こいつは一体どんなトリックだ?……“ビダハビット”さんよ」


 十語の口から出た言葉は、半年前に心臓を残し、この世から旅立った都市伝説の名。少女の外見にそぐわない男性の声は、現実を曖昧にし、思考を曇らせる。だが彼女がビダハビットであるという十語の確信が遮られることは無かった。彼がこれまでに培った経験と直感が、目の前の存在を全力でビダハビットと告げるのだ。


「なぁに、少しばかりの茶目っ気でね。私の心臓が何処まで彼女を護ることが出来るのかをね。安心してくれたまえ。既に更朽ちた身だ。この街にも迷惑をかけるつもりは無い。もちろん肉体は鳴子くんのモノだ。時間が経てば、私はまた眠るだろうよ」


「お前が意志を持って現れてることが問題なんだよ。このことを知っているのは?」


「少なくともこうして話をしたのはキミが2番目だ」


「1番目は?」


「私がこの手で埋葬したよ」


 ビダハビットの手の中には、1枚の白い羽毛が握られていた。それが田中鳥夫たなかとりおの死を物語ると理解するのに、そう時間はかからなかった。十語は眉間に皺を寄せ、舌打ちをする。


「勝手に出ていったと思ったら勝手に死にやがって。都市伝説ってのは何奴も此奴も勝手な奴ばっかりだな!」


「元凶の私に仇討ちでもするかい?」


「ばーか!俺が勝てる訳ないでしょうが!第一、詩音の友人なんだ。仮に罰を与えるとして、それは俺の役目じゃない」


「流石は交渉人。自分の立場から逸脱することはないようだね」


「大方、田中鳥夫も被害者だろう?背後の相手が分かっていても、依頼されるまでは動けない。それが暗部のルールだからな。正義の心やら復讐心なんてもんは、ドブに捨て無いとやってられんよ。俺の役目は元より仲介だ。現場の人間じゃないのさ」


 自身の持つ権利とそれを縛る枷。どちらの関わり方も蔑ろに出来ない十語は、何処か諦めた様子で笑う。


「キミが変わっていない様で安心したよ。それだけでも鳴子くんを救った意味が生まれた」


「俺は氷雨の跡取り娘の怖い顔を毎度見せられてるけどな。安心しろよ。まだ気付かれちゃいない」


「今後もそうであって欲しいと願うのは残酷かな?」


「残酷だろうが、俺たちが決断したことだ。今更同情なんてできる立場じゃないだろう。一抜けして救われた気になってんじゃないよ」


「ふふふ、珍しく君に喝を入れられてしまったね。そうだね、時間は既に進んでしまった。後に戻ることは出来な――」


 言葉を紡ごうとするビダハビットが、突然両膝を地面に着いた。


「おいっ!」


「どうやら、そろそろ時間の様だ。少しばかり肉体に負荷をかけてしまった。鳴子くんの心にもね。数日は目を覚まさないかもしれない」


「勘弁してくれよ。ゆうにお小言言われるのは俺なんだからな」


「ふふふ、明日暮あすぐれくんなら、何とかしてくれるね。安心して眠れるよ」


「死者は死者らしくしとけよ。鳴子がやっと手に入れた人生なんだ。ビダハビット……


 ビダハビットは一瞬驚いた表情を見せると、再び目を細めて微笑む。その顔がどんな意味を持つのかを、十語が知る由は無かった。


「あぁ、肝に銘じておこう。では錆谷くん。露希を、鳴子くんを任せるよ」


 そう言い終わると、鳴子の身体がガクリと脱力し前のめりに倒れ込む。十語は彼女が地面にぶつかる前に、その身体を抱え込んだ。


 軽い。

 細い身体を酷使させられた鳴子の身体には、目立つ外傷は無い。

 しかし十語は思った。内部に相当な負荷がかかっているのではないか、と。

 1年前まで床に伏していた少女の肉体が、あの異次元の動きに付いていけるとは思えない。恐らく筋繊維はズタズタに引き裂かれている。


「こりゃ、意識が早く戻っても全身筋肉痛で立つのもままならないんじゃないか?」


 またひとつ舞い込んで来た大き過ぎる面倒事に、十語は思溜息を零す。思わずハッと口元に手を当てる。


「溜息が癖になるとは、こりゃ人より老け込むのも早そうだな。人の苦労も知らないで、気持ちよく寝やがって……」


 十語は穏やかな寝息を立てる鳴子に、半ば八つ当たりで文句を吐いたのだった。


 *


 氷雨組の壊滅。手振柘榴の思惑。ビダハビットの復活。

 始まりは半年前に遡る。

 過去と未来を含めた全てが帰結することを、誰も知る由は無い。

 今この瞬間にも新たな現実は、1分、1秒ごとに刻まれていく。

 その秒針の如く、怪崎鳴子の心臓は生きている証を鳴らす。


 ――――そして露希に住む人々は5月を迎えるのだった。

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