第33話 そして鳥籠は開け放たれた

 ひたすらに空を目指す田中鳥夫たなかとりおに、ビダハビットは押し上げられていた。

 ただでさえ部の悪い空中という状況で、急激な気圧の変化による肉体への不可は着実に蓄積されている。


「流石にこのままじゃ身体が持たないか」


 ビダハビットは自らの両脚を鳥夫の首に力まかせに引っ掛けた。予期せぬ重力に、思わず鳥夫の体制が崩れる。だが彼の勢いは未だ止まらず、ビダハビットをどうにかして振りほどこうと、宙を縦横無尽に暴れ回っていた。


「どうどう……。キミが暴れると身体に響く。落ち着いてくれたまえ」


 体制を保つことさえ困難な状況で、ビダハビットは身体を振り子の様に勢いづかせ、鳥夫の左脚を掴んだ。


「離せェ!!」


「そう言われて離す輩をキミは見たことがあるかい?」


 ビダハビットはそう言い終わると、鳥夫の左脚をあらぬ方向にねじ曲げた。骨折れる鈍い音にビダハビットは舌なめずりをする。


「ガァァッ!?」


 突如身体を襲う激しい痛みに、鳥夫の動きは止まってしまう。ビダハビットがその隙を見逃す訳が無かった。首に引っ掛けてた自分の両脚を解き、鳥夫の足首を更に強く握る。


「さぁて、スカイダイビングと洒落こもうか」


 鳥夫の折れた右脚にビダハビットの全体重が降りかかると、2人は重力に導かれるまま地表を目掛けて急降下する。自慢の4枚の翼を大きく羽ばたかせるが、もはや為す術はない。


 地表まで残り20mに差し掛かった時、ビダハビットは鳥夫の脚を掴んだまま大きく前傾姿勢になる。それに合わせて鳥夫の身体も前に引っ張られた。

 直後彼の瞳に入ってきたのはコンクリートの地面だった。


 鳥夫は、落下の速度が乗ったまま地面に思い切り叩きつけらた。全身が軋み、圧力に負けた肉体は血を吹き出す。周囲のコンクリートがヒビ割れ、陥没するほどの衝撃を受けた鳥夫の瞳には光が無かった。


「ふぅー……反省だな。私の身体じゃないんだ。無茶は控えなくては」


 鳥夫を使い、落下の衝撃を逃がし着地する。曲芸師顔負けの軽業を、鳴子の細い身体でやってみせたビダハビットには、擦り傷ひとつ無い。


「さてと、鳥夫くん生きているかい?」


 ビダハビットがそう言いながら振り向くと、ガクガクと膝を震えながらも必死に起き上がろうとする鳥夫の姿があった。その姿を見てビダハビットは拍手をする。


「エクセレント!!立ち上がろうとする意思はキミのものだ!キミは私の血液を乗り越えたんだ!!」


「皮肉にしか聞こえない……」


 喀血しながら、息も絶え絶えに鳥夫は答える。視界は赤く霞がかり、臓器は潰れている。もはや全身に力を入れなければ立つこともままならない。


 鳥夫の耳に微かに聴こえてくる。自らに訪れる死の足音が。


「さて、力を求めしバードマン“田中鳥夫”くん。キミはもうすぐ私に殺される。死に意味があるなんてことは言わないが、キミはただ私のエゴで、キミにとって無意味に殺される。最期に言い残したことはあるかい?」


 鳥夫はビダハビットの言葉など、どうでもよかった。走馬灯に魅せられるまま、ひたすらに思考の奥へ奥へと沈む。深層心理の海の中で垣間見る記憶には、彼があれ程嫌悪していた劣等種にんげんの姿が映っていた。それは初めて受け入れて貰えた人間だった。


 共にパチンコで勝ち、大笑いをして帰ったあの日。

 共にパチンコで負け、コーヒーを片手に肩を震わせ泣いたあの日。

 友人が多額の借金で、氷雨組と名乗る男たちに連れていかれたあの日。

 結局自分のギャンブル癖は治らなかった。


(我ながらロクでも無い出会いだな。そりゃあ心のどこかで人間を嫌いたくもなる)


 一瞬思考が冷静になるも、すぐさま別の記憶が脳に流れ込んでくる。そこには九判こばんが映っていた。


 きょう鳴子めいこ詩音しおんそして店長の十語とうご。彼らと一緒に過ごした短い日々。


 記憶の中の鳥夫は――――笑っていた。


(戻れないから、思い出か……)


 鳥夫は心の中で呟く。過程はどうであれ、壊したのは鳥夫自身だった。取り戻すことの出来ない過去に終止符を打つため、鳥夫は口を開いた。


「人間はどこまで行っても下等だよ」


「……僕の血液を投与されたのが、キミでよかった」


 ビダハビットが鳥夫の胸を貫く。引き戻したその手には、心臓が握られていた。鳥夫は一瞬顔を歪めると、力なくその場に倒れた。


「キミも被害者だよ、鳥夫くん。」


 ビダハビットは手に力を込め、ひとつの命を握り潰したのだった。


 日はとうに沈み、辺りは夜の帳に覆われていた。バードマンの死を告げるが如く、森の中から野鳥の合唱が響き渡る。闇夜の中、月明かりだけが、 血にまみれた2人を照らしていた。


 *


“この身一つで空を飛びたい”。貪欲な人の願望を再現した都市伝説バードマン。鳥の顔だが人の肉体を持つ彼に、空を飛ぶ為の翼は無い。人としても生きられず、鳥としても生きられない。歪な生を授かった彼が、肉体という鳥籠から解き放たれた今この瞬間、初めて本当の自由を手にしたのかもしれない。

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