cace.1 エピローグ

第35話 エピローグ

 白く塗られた壁面は四隅囲い、心電図が一定間隔で音を刻んでいた。室内にはベッドがひとつあり、その傍らで1人の女がシャリシャリと心地の好い音を立て林檎の皮を剥いている。

 最後の一皮が剥け終わった時、ベッドに横たわっていた男、枝織響えだおりきょうは目を覚ました。


「此処は……?」


「おはよう響くん」


 寝起きで頭が働いていない響は、伝達された外部情報に従い、音のする方へ首を向ける。そこにいた人物は、彼の曖昧な思考をすぐさま覚醒させた。


手振てふり……柘榴ざくろ……!?」


「やっ!血液検査以来だねぇ!せっかく都市伝説について語り合おうと思ったのに……。響くんったら全然保健室に来てくれなくて――」


「アンタのせいでっ!」


 響は反射的に柘榴へ掴みかかる。が、頭部に響く強烈な痛みにより響の身体は再びベッドに沈む。目の前の女に対する憤りとは裏腹に動かぬ肉体は、響に歯痒い思いをさせた。その気持ちを代弁するかの様に、響は目に力を入れ鋭く柘榴を睨みつける。そんな彼を見て、面白い玩具を手に入れた子供みたく、くつくつと柘榴は笑った。


「急にそんな激しく動いちゃダメだよぉ?君、都市伝説に思いっきり殴られたんだからねぇ。安静にしてなきゃあ。第一私がここまで連れてきたんだから感謝して欲しいくらいだね。」


「よくそんなことを……!亜姫あきさんはっ!?亜姫さんもあの場所に居ただろう!」


 痛む額を抑えながら響は必死の形相で柘榴に尋ねる。柘榴はそんな彼を気にも止めることなく、林檎を切りながら片手間に答えた。


敷島しきしまちゃんは無事だよぉ。臓器の損傷は激しいけど命に別状は無いってさぁ。まぁ面会は出来そうにないけどねぇ」


「そっか……そっか、良かった……!!」


 響は安堵に感嘆の声を漏らした。柘榴は切り終えた林檎を皿に乗せ、響目の前に差し出す。


「さてさてさて、響くんに私から提案がありまぁす」


「提案……?」


 突拍子の無い柘榴の言葉に、響は気の抜けた返事をする。


「今回の一件で響くんは都市伝説の恐ろしさを知ったと思う。というか知ってもらわないと私としても困るんだけど」


「そんなの昔から分かってますよ。どうせもう知ってるんでしょ?俺が彼らと縁があることも」


「だとしてもだよ。響くん、君はこれからもっと沢山の都市伝説たちと触れ合うと思う。今回のバードマンしかり、ビダハビットが居なくなった露希で、危険な連中がここぞとばかりに動き出した。だから……


響は思わず耳を疑う。あまりにも自分勝手な物言いに、響は心の声をそのまま音に乗せた。


「何を巫山戯たこと――」


「何が『巫山戯たこと』なの?事実君は私の生み出した都市伝説で死にかけたんだよ?悪いけど私は私のために実験を続けるし、反省も辞めるつもりも毛頭無い。響くんの性格上、一度関わったことから逃げることは出来ない。私には分かる。君は何度でも私の前に立ち続ける。それこそ死ぬまでね」


 柘榴に罪を償わせる。響の揺るぎないその決心は、亜姫から話を聞いた時点で固められていた。だからこそ客観的な、しかも忌むべき張本人の口から出た指摘に、響は言葉を返すことが出来なかった。


「私はどうやら都市伝説と仲良く出来ないみたいだからさぁ。私は響くんに都市伝説の“殺し方”を教える。響くんは私に都市伝説との縁を繋げてもらう。どう?悪くないでしょう?」


「悪い、悪くないの問題じゃない……!アンタに従ったら他の都市伝説が被害に遭う!それを俺が殺すのか!?不毛なイタチごっこじゃないか!アンタの弟子にはならない。たとえ死んでもアンタを止める」


 子供じみた欲張りな響の物言いに、柘榴は溜息をついた。


「じゃあ敷島ちゃんを殺す。動けない響くんは私を止めることは出来ないし、私なら躊躇うことなくソレが出来るってこと……もう分かってるよね?君に残された選択肢は1つだけ。元より、を作り出した時点で私の勝ちだよ」


 柘榴は冷たい視線を響に向けながら淡々と言葉を続ける。


「さぁ選んで。私に従うなら兎の林檎を食べなさい。拒否するなら、私はこの部屋を出て敷島亜姫を殺しに行く」


 怒りに熱く煮えたぎった脳が一瞬で冷える。響の心音はとてつもない速度でその身に刻まれていく。理不尽な選択肢を前に響は脂汗を流しながら悟った。


 ――俺は目の前の狂人に逆らうことが出来ない。


 響は今になって震え始めた口先で、搾る様に言い放った。


「分かったよ……。あぁ、呑み込んでやるともっ……!アンタの技術でアンタを止めてやるっ!!これが悪魔の契約だろうと、何だってしてやるよォ!!」


「ふふふ……アーハッハッハッハッ!!なら随分と優しい悪魔に魅入られたねぇ!その兎は響くん自身だよぉ。良いように食われるだけの存在はもう嫌だろぉ?その惨めで哀れな甘美を、私の為に……そして君自身のためにしっかり味わってねぇ!」


 与えられる餌を口にする仮初の捕食者は、ただ目の前の林檎うさぎにかぶりつく。目から零れる悔し涙が、甘い林檎には不要な塩味を加えた。不快感と罪悪感に吐き気を催しつつも、今の彼に与えられた選択肢は、一心不乱に獲物を喉の奥へ奥へと押し込むことだけだった。

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