第30話 暴力

 天ヶ原山あまがはらやまに隣接するドライブルートの先にある寂れた休憩所に敷島亜姫しきしまあきは車を停めた。山を切り開いて新たに建造された高速道路により、この道を通る車は激減した。昔はこの休憩所にも出店やらキッチンカーやらが立ち並んでいたが、今は簡易トイレと自販機がぽつんと設置してあるだけだ。

 車どころか人っ子一人居ない休憩所にどんな用があるのか?響は疑問に思いながらも、亜姫と共にいつまで経っても品揃えが変わらない自販機に向かった。


「亜姫さん、こんな所まで来て何かあるんですか?もしかして……この自販機じゃないと売ってない飲み物があるとか!」


「そんな呑気な話だったら良かったんだけどなぁ。あんまり堂々と話せる様な話題でもないからな。わざわざこんな所まで連れてきたって訳だ」


「都市伝説関係ですね」


「枝織は察しがいいなぁ。んで、お前にも関係がある」


「てなると、三羽烏さんばがらすにも話は伝わってますね。亜姫さんが都市伝説のことで俺に声をかけるってことは相当マズいことになってるんですね。……教えてください。一体何があったんですか?」


「枝織……悪いな。面倒事に巻き込んで」


「今更ですよ!俺は亜姫さんの為なら喜んで力になります。それに俺はビダハビットになりたいんだ……!俺の力が亜姫さんを救えるならドンと来いですよ!!」


 響の色眼鏡が外れていた。その真剣な眼差しは、恋に囚われた十代のそれではなかった。本質を見極め、判断し、偽善であれおのが進む道へ突き進む。そう物語る“枝織響”のまなこに亜姫は圧倒される。自身の身を犠牲にしようとも最善を尽くす響の信条は、狂気じみた執念を感じさせた。

 自己犠牲と正義感。それは彼の強みであると同時に、決定的な弱点だ。耳障りの良い言葉で武装した響の危うさを亜姫は知っていた。あまつさえそれを利用しようとする自分の情けなさに、反吐が出る。亜姫は眉間に皺を寄せ話始めた


田中鳥夫たなかとりお……知ってるだろ?」


「えぇ、まあ……田中さんに何かあったんですか!?」


「彼を被検体にしてしまった」


「……どういうことですか?」


「それは――」


 亜姫が言葉を続けようとしたその時、山の斜面から何かが転がり落ちて来た。気を取られた2人は音の方向を注視する。木の葉や砂塵に揉まれ、汚れが付着しているそれはどうやら生き物の様だった。

 響は咄嗟に助けるために駆け寄ろうとする。


「枝織っ!……よく見ろ」


 亜姫はそんな響の肩を掴み、制止させる。亜姫の指が示す先には大きな翼が見えた。


「田中鳥夫だ……!」


「っ!?なら、尚更助けないと!!」


「どうやらその必要は無さそうだ」


 鳥夫らしき生物は、地に伏した身体を必死に起こそうとしている。足腰には力が入っておらず、離れていてもよく見える痛々しい打撲痕は、彼が手負いであることを証明していた。

 よろめきながらも立ち上がった彼は響たちへ顔を向ける。


「ほ、本当に田中さんなのか!?あの翼は……」


「枝織、アイツはビダハビットの血液を投与された。……被検体としてな」


「亜姫さんがどんな研究に携わったのかも、ビダハビットの血液も今はいいです。……まずは田中さんだ」


「……あぁ」


 疑問、疑心を脳の端に追いやり、響は目の前の鳥夫に集中する。彼の次の行動によって、自分も対応を変えなければならない。心身にとてつもない負荷の掛かる緊張感が、響を摩耗させる。


「枝織くんと……お前はあの時俺を連れ帰った女と共に居たな」


「田中鳥夫……!!」


 響は鳥夫らしからぬ言葉に違和感を覚え、亜姫に小声で話しかけた。


「亜姫さん、アレ?俺が知ってる田中さんはもっとナヨナヨしてたって言うか……」


あたしはこうなる前の田中鳥夫のことは知らない。肉体の変化は顕著だが、ビダハビットの血液ってのはどうやら精神的にも作用するみたいだな」


 響は亜姫を庇うように前に立ち、じわりじわりと鳥夫との間合いを詰める。依然鳥夫に動きは無い。顔と腹部の打撲痕のせいで動けないのか、それとも対話をしようとしているのか。響は未だ判断を下すことが出来なかった。


「田中さん……アンタどうしちまったんだよ!」


「どうもこうも、君の後ろにいる女から話は聞いていないのかい?たしか、手振柘榴てふりざくろという女だったかな。彼女に捕らえられ、気づけばこの通りだ」


「なっ!柘榴先生がっ!?」


「枝織くんも知り合いだったか。あれは悪い女だな。人の身でありながらこの僕を出し抜いたんだ。今すぐくびり殺してやりたい所だが……今となっては感謝している。尊厳と力をこの身に与えてくれたのだから」


 鳥夫は自慢げに両翼の翼を大きく羽ばたかせた。4枚の翼は彼の力を象徴している。事実響の目には恐怖の色が浮かび、膝が震え始める。


「枝織くん、君にはそこそこ世話になったからな。見逃してもやってもいい。……だが手振柘榴と結託したそこの女は殺す。安心してくれ、抵抗するチャンスは与える。僕の速さは簡単に人を切り裂いてしまうようだからな。それじゃあつまらないだろう?歩み寄り、両の手で最期まで痛めつける。その間の抵抗は認めよう」


「田中さん待ってくれよ!アンタが理不尽な目にあったことは分かった。俺がなんとか話し合いの場を設ける!!」


「話し合い?僕にはチャンスすら無かったのに?枝織くん、どうやら君は後ろの彼女を守りたい様だが、その女は俺の助けを無視したんだぞ?」


 鳥夫は笑みを浮かべ、亜姫を指さした。亜姫は何も言い返さない。


「亜姫さんにも事情があったんだ!それも含めて話し合おうって言ってんだよっ!」


「枝織……私は研究者としての欲望に負けた。庇われる筋合いはないんだよ」


「亜姫さん、だったら尚更だ。俺は怪異も都市伝説も神様も人間も、出来るなら手を取り合いたい。もちろん柘榴先生とも話し合いの場を設ける。約束するよ。殺して解決した所で誰も救われないんだ……。だから話し合おう!俺を信じてくれ!!」


 鳥夫は響の言葉に感銘を受けたのか、目を瞑り項垂うなだれる。響の心にはひとつの希望の光が宿った。種族は違えど、言葉を必死に投げかければ答えてくれる。田中鳥夫を信じているからこその確信だった。

 数秒間の沈黙の後、鳥夫は息を吐いて響に向き直った。


「ナンセンスだ。全てがナンセンスなんだよ、枝織響」


 それは余りにも稚拙な響の考えに対する呆れ。溜息だった。


「枝織響、君はバカか?僕が人なんかの交渉に応じる奴に見えるか?僕は別に恨みで殺そうとしている訳じゃない。言ったろ?感謝しているんだ。僕は僕の意思で人を殺す。話す余地は最初から無いんだよ」


「田中さん、本当にどうしちまったんだよ……!」


「僕は生まれ変わったのさ。自分の力の意味を、存在を理解したと言ってもいい。何故これほどの力があって人にへりくだららなければならなかったのか……今では不思議でしょうがない。勿論、僕よりも強い奴らはいる。先程洗礼を味わったところだ。だとしても、圧倒的に人より優れている。目の前を飛ぶ羽虫を殺して何が悪い。君もそうするだろう?」


「枝織……分かったろ。アイツはお前の知ってる鳥夫じゃない」


「……亜姫さん」


「安心しろ、三羽烏には柘榴のことも伝えてある。枝織を巻き込んだ私の責任だ。ごめん…。大丈夫、私が死んでもなんとかする。響、全力で逃げろ」


 亜姫の言葉に響はゆっくりと息を吸い込み、大きく吐き出した。肩の緊張が抜き脱力する。身構えた響は、鋭い眼光で鳥夫を見つめた。


「亜姫さん、バカ言わないでください。言ったでしょう?俺は亜姫さんの力になりたいんだ。その上で田中さんも助ける。それが都市伝説と人の掛橋になると誓った俺の信念です。罪悪感を感じてるなら、簡単に死ぬなんて言わないでくださいよ。俺も罪を背負いますから。案外わがままなんですよ、俺」


「足震わせながら何言ってんだ馬鹿野郎が……!」


「男の子はね……好きな女の前で格好つけなきゃいけない呪いに掛かってるんですよっ!!」


 響は勢いに任せて前に飛び出した。直線上に立つ鳥夫目掛けて、自身の恐怖を振り払うように力強く走る。無鉄砲とも見て取れる動きだが、鳥夫は先の戦闘による学びを経て身構える。

 隙は無い。力も上。慢心さえ乗り越えた鳥夫にとって愚直に向かってくる響は的でしか無かった。


「悪いが君の勝てる未来は潰させてもらう。痛い目はもう懲り懲りだからね」


「田中さん、俺の……皆の為に眠ってくれっ!!」


 響の顔を目掛けて、鳥夫は腕を振り払う。しかし彼の腹部に走る激痛がその行動を鈍らせた。


(やってくれたな……鳥喰聖愛とりぐいせいあッ!!)


 それでもかなりの速度を持った拳を、響は前のめりになりながら屈んで避ける。髪を掠める手刀に一瞬硬直する。先程振り払った筈の恐怖が響の全身を駆け巡った。


「枝織響ォ!」


「……ッ!」


 響は歯を食いしばり、拳を突き出す。鳥夫は顎に伝わる痛みに身構える。人の力などたかが知れている。だからこそ余裕のある鳥夫の脳は、既にカウンターの動きをイメージしていた。


(痛みは想像出来ている。彼の攻撃の隙に合わせて腹部を蹴りあげるだけだ!!)


 だが鳥夫は予想外の出来事を文字通り


(何か光っ――)


 鳥夫の目は響の拳を確実に追っていた。鳥の獲物を捕まえる為に発達した動体視力は、人間を遥かに凌駕している。故に鳥夫はまでも捉えてしまった。


「ガハッ!?」


 瞬間、鳥夫の喉に強烈な衝撃が走る。生物の弱点であり絶対的な急所にダメージを受けた鳥夫は、当然呼吸が止まる。


「やっぱ見えたか……生物の授業、寝ずに受けて良かったぜ……!」


 鳥夫は喉元を抑えながら響を睨みつける。そこには彼の思いも寄らぬ響の姿があった。

 。いつ取りだしたかも分からぬ棒を、響はぐるぐると回している。


「一体何処から……!?」


「マジックみたいだろ?悪いが手は明かせない。そうでもしなきゃ、田中さんに勝てる自信が無いからな!」


 響の手にしている物は“アピアリングケーン”と呼ばれる伸縮する棒だ。マジックにも度々使われているが、鉄で出来た響の使用している物は護身用としても有効である。普段は掌に収まる分銅だが、唐突に伸びる意外性は相手の混乱を誘う。更に響の物は特注品で、持ち手に簡易ライトが付いている。彼はそれらギミックを使い、見事鳥夫の虚を突いたのだ。


 響は手にした棒を鳥夫に投げつけ、一気に距離を詰める。鳥夫は投げられた棒を振り払い、響の追撃に備えた。しかし鳥のさがだろうか。またしても掌の発光に視界を奪われる。

響はアピアリングケーンを2つ持っていた。


「ぐぁっ!!」


 次に鳥夫を襲ったのは眉間の痛みだった。正中線を的確に捉えた鋭い衝撃に鳥夫は、膝こそ着かないものの額を抑え悶絶する。


「頼む、田中さん……もう止めてくれ」


「それはなんだ?弱者に対しての情けのつもりか!?」


「違う!!俺は強い弱いで物事を決めてない!ただ、アンタに元に戻って欲しいだけだ!!」


「くくく……はーっはっはっはっ!!戻る!?これが僕だ!僕の本性だ!!誰よりも自由に空を飛ぶ強者が僕だ。僕は手に入れたんだ。誰もが震え上がるビダハビットの力を!!それを自由に使って何が悪い!!枝織響、君も何かを思い通りにするなら力を使うだろ?」


「ふざけんな!アンタを心配してくれる人たちだっているじゃないか!俺もその1人のつもりだ!頼む、田中さん。戻ってきてくれっ!!」


「それが必要なくなったって言ってることにまだ気が付かないのか。枝織響、君には言葉で説明しても伝わらないようだ。力の意味を教えてあげるよ」


 強烈な向かい風と共に鳥夫の姿が響の視界から消える。その刹那、何かへし折るような音が真後ろから聞こえた。


 振り向いた響の瞳には、亜姫の腹部に拳をめり込ませる鳥夫が写っていた。

 響の視線に気づいた鳥夫が、ニタリと口元を歪ませ拳を下ろす。咳き込む亜姫の口元から大量の血液が溢れ、彼女は地面に倒れ込んだ。


「亜姫さんっ!?」


 響は鳥夫のことなどお構い無しに、亜姫の元へ駆け寄った。呼吸は浅いが脈拍はある。意識の有無はまだ分からない。しかしおびただしい出血量が臓器の損傷を明らかにしていた。

 響は直感する。彼女に残された時間はそう長くないと。


「枝織くんも分かっただろ?力があれば奪うことは容易い。君は力がないから奪われた。明白だろう!シンプルだろう!!弱者は搾取され続け、強者はより高みへ登り続ける。こんなにも素晴らしい世界は無い。君たち人間は最下層を這いつくばっててくれ!!」


 今、響の耳には鳥夫の激しい罵倒など一切届いていなかった。それどころか周囲の環境音さえ聞こえない。唯一、心臓を脈打つ鼓動が大音量で身体中に響き渡っていた。


 怒り。怒り。怒り。湧き上がる怒りの感情が響の脳内を決壊したダムの如く埋め尽くす。響の身体は自身の脳が知覚するより先に動いていた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 型もへったくれもない力に任せた拳を鳥夫の顔面目掛けて放つ。


「感情任せは良くないよなァ」


 響の身体は宙に舞っていた。蟻を踏み付けるが如く、羽虫を叩き殺すが如く、鳥夫の造作もない“ただの暴力”は響を軽々しく吹っ飛ばした。重力に任せて響の身体は叩きつけられる。響はその圧倒的な力量を認識することさえ出来ぬまま、だらりと力なくコンクリートに倒れ込んだ。後頭部鈍い音を立て、彼の脳が揺れる。


「亜……姫さ……」


 四肢を必死に動かそうにも、全く力の入らない響は掠れる声で亜姫に声をかける。彼女の存在だけが、今の彼が夢の世界の誘いを振り払う希望だった。

 しかし混濁する意識の中、響が捕らえた音は亜姫の返事こえではなかった。


 ――――よく耳に馴染んだ歌が聴こえたのだ。




 ビダハビットがやってくる。

 悪事聞きつけやってくる。

 鼓動鳴らしてやってくる。

 B、D、H、A、B、I、T。

 ビダハビットがやってくる――。


「ビダハ……ビット……!?」


 遠のく響の視界が最期に捉えたモノ。それは昔自分が救われた都市伝説ヒーローの姿だった。

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