第27話 天ヶ原の三羽烏

 木々が涼やかな音を立てざわめいてる。夏の訪れが近づくも、森林内を薄着で出歩くにはまだ少しばかり肌寒い。

 露希の東側に位置する天ヶ原山あまがはらやまは昔から霊脈の流れが強いと言われていた。けれど、それを知る者は今や殆どいない。

 舗装された山道を少し外れると、隠される様に草花が覆い茂る石造りの階段がある。そこを登った先に天ヶ原あまがはら神社はひっそりと佇んでいた。

 人が出入りしている形跡はみられないが、不思議と手入れが行き届いており、年月を感じさせない。木漏れ日に照らされた小さな本殿は、“神聖”という言葉が良く似合うだろう。


 水に濡れた緑色の生物を除けば。


 それは、ひたりひたりと湿っぽい足音を立て本殿に向かう。そのまま障子張りの扉を開けると、眠っている1人の女性と火の番をしている2体の都市伝説がいた。


亜姫あき嬢はまだ眠っているカパ?」


「カパルチーノおかえりー。亜姫ちゃん相当疲れてたみたい。仕方ないさ、昨日あんなことがあったんだから。ウチもまだ整理がついてないし」


 田中鳥夫たなかとりお露希あらわき第2研究所を飛び去った後、亜姫は放心状態で天ヶ原神社を訪れた。彼女は事の経緯を伝えると倒れるように眠り込んでしまったのだ。


 幼子をあやす様に、鳥喰聖愛とりぐいせいあ敷島亜姫しきしまあきの髪を撫でる。亜姫は疲れを残した寝顔でとこに身体を預けている。


手振柘榴てふりざくろ……予想以上にネジが外れたやつコンね。何故、今までノーマークだったコンか?暗部の連中は無能だコン」


「コクリータの言いたいことも分かるが、九判こばんの姪っ子か情報屋インフォーマーを引き継いだのは、今年に入ってからカパ。店主の指導怠慢、もしくは未だ都市伝説の存在を教えてないか……どちらにせよ、柘榴の存在はイレギュラーカパ。他の暗部も動けていないのがその証拠カパね」


「気づいてても露希の問題児3人組くらいかな。アイツらのことだから面白がってそうだけど。それでウチらに迷惑かけてちゃあ世話ァないわ。交渉人ネゴシエーターのド阿呆あほうに、似たような菓子折り持って来られるのもそろそろ飽きたっつーの!」


 聖愛は愚痴を吐き捨てながら、囲炉裏に火をくべているコクリータの臀部を殴りつける。コクリータが「アヒィ!?」と歓喜の混ざった奇声を上げるが、彼らにとっては日常茶飯事のようで、特に気にする様子も無い。


「当面の問題は田中鳥夫カパ。柘榴を信じるなら、彼の体内には“ビダハビットの血液”が混ざっているカパ。つまり、ビダハビットも露希に居る……」


「ウチらが前に感じたあの気配は間違ってなかったってことね。だとしたら尚更迂闊には動けないよ。第一アイツは一度死んでるんだ。遺体はウチのこの両目がちゃんと見た。1番ネックなのは……本人かどうかさえ分からないってこと。情報が圧倒的に足りてない。ってなるとやっぱり田中鳥夫が最優先ね。かぁー面倒くせぇーなぁ!!」


「聖愛ちゃん、口が悪くなってるコン!」


「うっせぇ!!ウチはアイドルやぞ!!」


「ありがとうございますっ!!」


 聖亜のシンプルな罵倒に、コクリータの取ってつけた様な語尾が思わず消失する。カルパチーノは額を手で抑え、ため息を付いた。「アイドルなら尚更口が悪いとダメなのでは?」という指摘は喉元で止まっている。


「問題の1つとして、田中鳥夫がどれ程強くなってるかって話だコンね。少量とはいえ激物を投与されても耐えることの出来る強靭な肉体、それが更に強化されたって考えると……もしかしたらカルパチーノは勝てないかもしれないコンね!」


「何故私を引き合いに出したカパ!?……ゴホン。私は頭脳派だから元より戦わないカパ。そして、残念なことにコクリータの推理は間違っていないカパね」


「あー、そこは大丈夫」


 聖愛は140cmほどの小さな体躯で立ち上がり、ケロッとした表情で即答した。両隣には2メートルを超えた巨漢が2体彼女を見下ろし、彼女の真意を今か今かと待ち侘びている。


「図が高い」


「「ハッ!!」」


 聖愛が低くドスの聞いた一声を冷やかに発すると、カパルチーノとコクリータは膝をつき頭を垂れた。

 囲炉裏の火が一瞬にして消えた。障子越しに射していた陽の光も雲間に隠れ、室内は瞬く間に薄暗くなる。

 唯一の光源は、2つの赤い輝きのみ。聖愛の真紅に染まった瞳だけが不自然に暗闇に浮いていた。


「なぁお前ら、今ので分かるよなぁ?。バードマンとは格が違う。いくら魔改造されてようがウチには関係ねぇ」


「分かっています……カパ。ただ、この不肖カパルチーノの進言はどうかお耳に入れて欲しいカパ」


「分かってる。別に脅したわけじゃない。ウチはお前らのことを信頼してる。ただお前ら2人よりウチが強いだけだ」


「さっすが聖愛ちゃんコン!華麗なるアメとムチ、そして最後にマウントを取って立場をハッキリ分からせてるコン!!」


 聖愛は流れる様にコクリータの右頬をビンタする。コクリータは物凄い勢いで、部屋の隅まで転がっていった。


「お前にはムチだけな」


「ありがとうございますっ!!」


 漫才の如く手馴れた掛け合いをする2人の傍ら、のそりと亜姫が体を起こす。いち早く気付いたカパルチーノが真っ先に駆け寄り、亜姫の様子を伺う。


「亜姫嬢、具合の程はどうカパ?」


「カパルチーノ……だいぶ身体は軽くなったよ。聖愛ちゃんもコクリータも迷惑かけたな」


「気にするなコン。亜姫嬢のおかげで、こちらも助かったコンね。貸し借り無しだコン」


「そーそー!ウチらの仲じゃん?まぁ、どうしてもお礼がしたいって言うなら、美味い酒でも貢いでもらおうか」


「なら、枝織えだおりも呼んで宴会だな!」


 未確定な宴会を想像し、1人と3体はくつくつと笑いあった。夏に飲む酒は、春とは違ってまた別の上手さがあることを彼らは知っている。

 そして1人だけジュースの入った紙コップを飲む枝織響えだおりきょうは少し拗ねた顔を見せるのだ。その表情が愛らしく思えて亜姫は好きだった。


「ま、今はそうも言ってられないけどね。あたしは一般人だからさ……出来ること少ないけど、アンタらの力になれるよう努力はする」


 亜姫の言葉に3体の都市伝説は力強く頷いた。

 時刻はもうすぐ16時を迎える。日が長くなったとは言えど、うっすらと夜の帳が下りてきている。亜姫は腕に着けた時計を確認した。


「じゃあ、私はそろそろ行くよ」


「体の調子は大丈夫カパ?」


「へーきへーき!この後、枝織に会って田中鳥夫のことを伝えないと」


「ここで待ってればいいコン!」


 そう言った矢先、聖愛の鉄拳がコクリータの脳天を穿つ。


「このアホ狐!亜姫ちゃんが響と2人で会いたいってことだよっ!」


「ありがとうございますっ!」


 亜姫は照れくさそうに笑ってその光景を見ていた。


「では亜姫嬢、気をつけてカパ。枝織少年にもよろしく」


「リョーカイ!そっちもね!柘榴に捕まんなよ!!」


 亜姫は大きく手を振り、天ヶ原神社を立ち去っていった。

 三羽烏は暖かい瞳でその背を見送る。種族は違えど、彼らには家族のような絆があるのだ。




 ――――ピシリッ。


 突如亀裂のような音が響いたことをコクリータは感じ取る。


「結界が破られた」


 その言葉で聖愛とカパルチーノ躊躇なく臨戦態勢をとる。本殿の周りで緊張が走る。

 コクリータの結界術は“全てを拒絶するほど強固なモノでは無い”。だが決して“弱い訳では無い”。大抵の悪しき存在は弾かれるのだ。

 結界が破られるということ。それは“凶悪なナニかが侵入した”ことを示唆していた。


「……来たね」


 聖愛は一言そう告げる舌なめずりをする。

 その刹那、轟音と暴風を連れたソレは顕現あらわれた。


「ウチの許可なく随分と立派なモン引っさげて来たじゃねぇか……田中鳥夫ォ」


 天の使いの如く、堂々と、そして大胆に三羽烏の領域テリトリーに田中鳥は単身乗り込んできたのだ。

 これは、他の都市伝説からしたら“馬鹿”か“死に急ぎ野郎”の2 どちらかしか考えられない無謀な行いだ。

 けれど、鳥夫の選択肢はどちらでもない。それは彼の真っ直ぐで自身に満ちた瞳が物語っていた。


「その目はなんだァ?ウチに向けていいモンだと思ってんのかぁ?お前、ビダハビットの血ィ貰ったんだってなぁ?それで翼も生えて自信満々ってかぁ?」


 田中鳥夫は答えない。否、。神に近づいた自分と、目の前馬鹿共は喋るに値しない。

 今の彼はただ己の力に慢心し、その実力を試したい一心なのだ。そして、ここら一体を支配している三羽烏とやらを倒せば支配権が自分に移る。その利益の為だけに、鳥夫は天ヶ原神社に舞い降りたのだ。

 もはや元の鳥夫とは価値観が大きく変わってしまっていた。


「プッ……アハハハハハハハハッ!」


「聖愛ちゃん、急に笑いだしてどうしたコン!?」


「いやいや、面白くってさー。ウチが無視されたのって何時ぶりかなーって思って」


「先月のライブ以来カパ。聖愛ちゃんのコールアンドレスポンスが全て無視されてたカパ」


 聖愛は数秒の沈黙の後、思いっきりコクリータの左頬をビンタする。コクリータはいつも通り大きく宙を舞った。


「今度は左!?ありがとうございますっ!!」


「さぁーて、肩もあったまったし……今のウチ、ちょっと機嫌いいからさぁ」



 ――――格の違い見せてやんよ?



 鳥夫の背筋を一瞬の寒気が襲う。神に近づいてから初めて感じた恐怖に、鳥夫の口角が自然とあがった。

 そして鳥夫は自分でも気が付かぬ間に地から足を離し、高揚感のままに聖愛の元へ飛び込んでいったのだった。

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