第26話 きっかけは些細な事でいい

 ――4月28日 AM8:20。


 死体探しという非日常を体感した3人も、翌日を迎えれば普遍的な学生としての日常に戻る。

 八脚馬はかくま高校の入学式から早いもので1ヶ月が経とうとしていた。桜の木は葉の色を緑に変え、少し肌寒さを感じた春風も夏の匂いを纏い始めている。学生たちは新生活に慣れ、クラス内でもいくつかのグループが生まれ昼休みに談笑に花を咲かせている。


「ほんと田中さんには困っちゃうよー!結局朝まで壁に空いた穴を塞いでたんだからー!あれから連絡取れないし……ねー聞いてるのー!?」


「ホ、ホント災難デシタネー」


「おい詩音しおん、その話朝からずっとだぞ!流石のなるこもロボットになってるよ」


 例外なく怪崎鳴子かいざきめいこ枝織響えだおりきょう錆谷詩音さびやしおんも学校社会で輪を作り、小さな世界を構築していた。


「まぁさ、この1ヶ月上手くいかないこともあったけど!明日から俺たちを待つのは……ゴールデンウィークだ!」


「「イエーイ!!」」


「去年までの私は毎日ゴールデンウィークみたいな生活でしたけど、学校生活を送ってみるとやっぱりありがたみが違いますね!」


「そりゃそうさ!昔の人は言ってました!よく遊び、よく学べ!つまり遊んでいれば自然と勉強も出来るようになるのさ!」


 その時、響の頭にコツンと何かが当たる。


「アイタッ!?」


 反射的に振り向いた響の前に居たのは、担任の富二実千年生ふじみちとせだった。先程の衝撃は、彼女が持ち歩いている教科書を、響の頭頂部目掛けて軽く振り下ろしからである。


ことわざの意味が違う。言葉も間違って使われて悲しんでるよ?」


「ち、ちぃちゃんセンセ!このご時世に教師が暴力を!?」


「あっ、枝織くん。先生にそんなこと言っていいのかしら?君が現代文の授業中に惰眠を貪ってること、私知ってるんだよー?担任の授業なのにすごい度胸よねぇ」


「いや、その、それはですね」


「ゴールデンウィーク明けの中間テスト、現代文の問題難しくしちゃおっかなぁ」


「そんなご無体な!?」


「それが嫌だったら、ちゃんと勉強しなさいな?」


 千年生の言葉に響はシュンとこうべを垂れた。


「でも、千年生さ――富二実先生の言ってるとは正しいよー。キョーくんアタシと違って馬鹿なんだから」


「見た目で言ったら詩音の方が馬鹿っぽいだろ!?着崩した制服にピアス!赤毛にカラコン!完全に役満じゃん!ウチの学校はドウナッテルンダー!!」


「見た目で判断してる時点で馬鹿っぽいよ?特待生舐めんなよー?それに、アタシはこの格好でも文句言われないように頑張って勉強してるんですー」


「詩音さん特待生だったんですか!?そう言えば入学式で新入生代表挨拶してたような……」


 騒ぐ響を無視して、詩音は得意げな顔を見せる。鳴子はあたふたと響を窘めている。千年生は微笑みを浮かべながら3人のやりとりを眺めていた。


「そう言えばちぃちゃんセンセ!何か用でもあった?まさか俺にお小言言いに来ただけじゃないよね!?ね!?」


「あーあ、折角枝織くんが興味ありそうな写真、撮ったんだけどなぁ。テストでいい点取ってくれるって約束してくれないと削除しちゃうかもなー」


「取りまぁす!勉強もしまぁす!ちぃちゃんセンセの授業も寝ませぇん!」


「キョーくんの言質もーらい」


「ナイス錆谷さん!」


「チクショーもう逃げられねぇ!!」


「よろしい。枝織くんの漢気に免じて見せて差し上げましょう」


 千年生はポケットからスマートフォンを取りだし画面を見せる。液晶に表示された1枚の写真。そこには星と月が煌々と輝く夜空が映されていた。ひと目で分かる美しさ、と同時に最新携帯端末のカメラ機能の精密さをこの1枚は物語っている。


 だが、ひとつだけ不可解な点がある。変な影が映っているのだ。


「この影……一体なんでしょうか?4枚の羽?プロペラ?鳥に見えなくもないっていうか……」


「UFO?」


「都市伝説の中にも翼を持つ物はいるけど、うーん。モスマンはアメリカだし、天狗の翼は2枚だし。先端のこれは角かな。空飛ぶ鬼なんているかぁ?センセ、他に写真は?」


「残念ながらこれ1枚だけね。その後飛んでっちゃった。はいこれ、プリントアウトしたやつね。見せたんだから約束通り勉強頑張ってね」


 千年生はそう言うと立ち去っていった。残された3人は彼女が教室から出たことを確認して、机越しに顔を合わせる。


「俺に勉強させるために写真に加工でもしたのかな」


「富二実先生はそんな人じゃないですって!」


「仮にコラ画像だったとしても、千年生さんはそこまで手の込んだことはしないよ。調べてみたら分かるけど、加工特有の荒さが無いもの」


「詩音さんはそんなことまで分かるんですか!?凄いですねぇ」


「千年生さん、おにぃの友達だからよく話す機会があったのー。最近は2人とも忙しそうで会えてないみたいだけど」


「えっ、それって恋仲だったりとか!?」


「さぁそこまでは?メーちゃんって意外とラブロマンス好きだよねぇ」


「2人とも今はコレに集中しろよ!本物だとして、一体なんなんだ?」


 3人は残された1枚の写真に改めてじっくりと目を通す。やはり加工には見えない。胴体と思われる部位から対照的に生えた4枚の翼の様なもの。頭部には1本の尖った何かが生えている。


「本当に角……ですかねこれ。……あっ!」


 突然鳴子が大きな声をあげる。鳴子の脳内にある人物の姿が過ぎったのだ。天啓にも近い閃きを鳴子は自然と口にする。


くちばし……これ、田中さんの被り物についた嘴に似ていませんか!?」


「言われてみればそうかも?田中さんって鷹の被り物だったよねー。それに今連絡つかないし……。あながち間違いじゃないかも……」


「たたたたた田中さんのわけないじゃーん!?第一さ!人間に?翼なんて生えてるわけないじゃーん!?」


 先程まで流暢に喋っていた響は焦ったように2人の会話を遮る。顔には脂汗が浮かび、両腕は忙しなく動いていた。傍から見ても怪しいと一目で分かる。


「キョーくん何か隠してるでしょ?」


「響さん、なにか隠してますよね?」


「いや、違う!何もなぁーんにも隠し事なんて、ありゃせんよ!!」


「口調に動揺が現れてるんだけど」


「か、仮に!仮にだよ!!2人は都市伝説が居たとしたらどうする!?」


 響の突拍子も無い発言に鳴子と詩音はきょとんとする。響の鼓動 は過去一番の早さを記録していた。


 ――――響は都市伝説との繋がりを周囲に話していない。それどころか、存在を隠し通そうとしている。

 子供の頃自分を救ってくれたヒーロー、ビダハビットとの出会いにより、何故か響は都市伝説を知覚することが出来るようになった。彼自身にもどのような原理かは分からない。それでも都市伝説たちが人に紛れて暮らしていることを感じ取ることが彼には出来た。

 ある者は、人と仕事を共にし、ある者は宗教家として人を導き、ある者はただ人として生きようとする。人の日常には彼らが間違いなく彼らが存在するのだ。


 響の場合、天ヶ原あまがはら神社の三羽烏さんばがらすこと鳥喰聖愛とりぐいせいあ、カルパチーノ、コクリータとの交流を持つこととなった。

 きっかけは小学生の響が、森で迷ってしまい、たまたま天ヶ原神社に辿り着いたことだった。

 聖愛曰く、響が辿り着いけたのは、都市伝説の気配を無意識に知覚していたこと。そして響の魂がまだ無垢であったから、天ヶ原の結界に引っかからなかったとのこと。

 それ以来三羽烏は響の友人である傍ら、彼を家族の1人の様に接している。


 だからこそ響は都市伝説たちの存在を公になり、彼らの日常が壊れてしまうことに酷く怯えているのだ。


 それは例え親しい友人であっても話せることじゃない。

 わざと都市伝説に興味があると言い、架空の存在であることを意識させる。それが彼なりの都市伝説の護り方だった。


 故に響にとって最悪の状況が、目の前にそそり立つ壁として現れている。


(焦って要らないことを言ってしまった!これじゃあ田中さんが都市伝説って言ってるみたいなものじゃないか!折角社会復帰出来たのに、俺が彼の居場所を壊してしまう!!)


 罪悪感と自身の情けなさに早鐘を鳴らす心臓で、響は嗚咽しそうになる。ゴクリと唾を飲み込み、吐き気を無理やり押さえつけ鳴子と詩音の言葉を待つ。


 だが2人の言葉をは響の予想を斜め上に行くものだった。


「「なんだ、そんなことか」」


「へ?」


 今度は逆に響がきょとんとする。2人は今なんと言った?


「知ってましたよ、鳥夫さんって都市伝説なんですよね?」


「最初はビックリしたけど、都市伝説って本当にいたんだね。私も考え方を改めなきゃなー」


「いや、待て待て待て待て!ちょっと待ってぇ!?なんかさ、もっとあるじゃん?びっくり仰天して椅子から転げ落ちるとか!!」


 そう言った響が慌てて椅子から転げ落ち、地面に尻餅をついている。鳴子と詩音はそれを見て、遂には吹き出してしまった。


「あははは!キョーーくんって嘘が下手な自覚ないでしょ?」


「いや、そんなことは」


「あるのー。最初に鳥夫さんに会った時から怪しいと思ってたんだ。だから、九判こばんで田中さんを問い詰めたらあっさり認めたよー」


「私は詩音さんからそれを聞きました。安心してください、誰にも言ってませんよ」


「な、な、なんで俺には教えてくれなかったのさ!」


「いや、だってキョーくん隠し通そうと必死だったじゃん。可愛いから気付くまでそっとしておいて上げたんだよ」


「「ねー」」


 安堵と気恥しさの両方が響に押し寄せ、身体から一気に力が抜ける。彼の額は緊張による汗でびっしょりと濡れていた。響は手で額を拭い、1度大きく深呼吸をして椅子に座り直す。


「分かった、分かったよ。改めて告白させてくれ。俺は都市伝説が理解わかるんだ。理屈は分からない。ただ、本能でって分かる」


「某ロボットアニメの新人類的な」


「詩音さん!?その例えは使い方を間違えるるとら多方面からバッシングの嵐だからやめようね!」


「写真を見たら都市伝説って分かったりしないのー?」


「いや、実物を目にしないと断定は出来ないな。サイコメトラーとは違うんだ。で、それを踏まえて俺から言わせて欲しいんだけど、こんな都市伝説見たことない。翼が生えていたとしても2枚だ。4枚の翼が生えた都市伝説を俺は知らない」


「結局分からずじまいかー」


「でも、私は嬉しいですよ」


「「え?」」


 響と詩音が項垂れるなか、鳴子はひとりニコニコと満面の笑みを浮かべる。


「だって響さんが“言い難いこと”を話してくれたじゃないですか。それってすっごい勇気がいるんじゃないですか?だから、そういうことを話して貰える関係になれたんだなって、嬉しくなっちゃって」


 照れくさそうに喋る鳴子に詩音が同調し、得意気に続ける。


「そーそー、キョーくんって本当にしんどい時は1人で抱えるタイプじゃん?形はどうであれ、素直に認めて話してくれたのは嬉しいよー。メーちゃんはすごいよ?アタシなんて出会って3年も経つのに初めて聞いたからねこの話!」


 まるで犬を甘やかすように、詩音が鳴子の髪をわしゃわしゃと撫でる。恥ずかしそうに制止しようとする鳴子はお構い無しのようだ。


「なんか、悪かったな。2人のこと信用出来てなかったみたいだ。ごめん」


「今更何言ってんのー?人のことを信用しきるなんて出来ないよー。誰にだって隠したいことはあるしー。そういうの含めて友達だと思ってたんだけどなー」


「詩音……ありがとうな」


「ちょっ!?2人ともずるいですよ!私も仲間に入れてくださいー!!」




 ――――目に見えない信用とは、ボタンの掛け違いひとつで崩れ去ってしまう砂上の城。抱えているものを隠し続けることは、楽な生き方ではある。

 けれど、限られた青春という時の中で、本心を少しでも打ち明けられる友人に出会えることは、この世のどの財よりも価値がある。

“信用”ではなく“信頼”を得た彼らは、より一層の力強い絆で結ばれ、かけがえのない日常を過ごすだろう。



 だが彼らはまだ知らない。

 が、砂の城より遥かに脆いということを。

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