第25話 空も飛べるはず

 夜空を背に空を自由に飛び回るひとつの影は、露希あらわき市内でも一際大きな鉄塔に降りった。その影こと田中鳥夫たなかとりおは4枚の翼を折りたたみ、眼下に広がる露希市を一望する。


 圧倒的な全能感ぜんのうかんちゅうを掴み這いずり回るのではなく、翼による飛翔。鳥夫はこの姿になってから、今までに無い自由を味わっていた。もはや自分は都市伝説では無い。それ以上の存在になったとさえ彼は感じている。


 だからこそ今の鳥夫にはこれまでの記憶、経験と言ったものをすこぶる鬱陶しく思った。頭の片隅でうっすら思い出す度に、過去の己が如何に愚鈍ぐどんな存在であったかを突き付けられるからだ。

 己の愚行で破滅し、あまつさえ上位の存在である都市伝説が下等な人間に頼る。しかもその状況を自ら楽しんで受け入れていたとはなんと恥ずべきことか。過去の自身に対する怒りが湧き上がると共に、鳥夫には人や人と交わる者たちが、とてつもなく愚かで恥ずかしく思えて仕方なかったのだ。いっそことごとなぶり殺してしまおうか。

 うれいにも似た表情で、禍々しい考えを巡らせる鳥夫にも、易きに流れる事で自分が報いを受けることは、過去の忌々しい経験で理解している。だからこそ人も都市伝説も神さえも、知恵をつければ何処までも邪悪になれるのだ。



 *



 4月27日21時。八脚馬はかくま高校で残業を終えた富二実千年生ふじみちとせは、眉間を指で軽く抑えながら帰路に就いていた。ゴールデンウィーク明けにある中間テストの作成は、予想以上に目を酷使していたらしい。


「毎年の事だけど、私テスト作るのほんと苦手なのよねぇ。今回のクラスの問題児は枝織えだおり君ね。クラスでも人気だし、学校生活に慣れていない怪崎さんとも打ち解けてくれて良い子なんだけど、担任の授業中に爆睡してるのは頂けないわね。きっとあの子は大物になるわー……」


 人気ひとけの無い道で生徒の愚痴を吐いた千年生は、改めて自分が疲弊していることに気付く。たとえ耳を傾ける人が居なくても教え子を悪く言いたくない。それが教職として、いや彼女の信条なのだ。

 千年生は疲れを誤魔化すために、背筋を仰け反らせ大きく伸びをする。ほんの少しばかりリラックスした脳で、星空が広がる空を眺める。その時彼女の目には不可解なモノが映った。


 大きな影が空を飛んでいる。外していた黒縁の眼鏡を掛け直し、再度その影を見る。それには遠目からでもよく分かる特徴があった。

 4枚の翼だ。何処かの国の神様に、蛇の身体に4枚の翼を生やした生物がいた気がするが、その影は首も尾も長い様には見えない。仮にそうだとしても、現実にそんな生物は有り得ない。

 じゃあ何なのだ、と疑問を持ちつつも千年生はスマートフォンでその飛翔する影を撮影した。


「うわっ、写ってる……ってことは疲れによる私の幻覚じゃないわね。撮ったはいいけどコレどうしようかしら。私はには詳しくないんだけど。とりあえず十語とうごに任せちゃおっかな」


 突然強風が千年生を襲う。目も開けられない程の横風に耐えるべく、彼女は両腕で顔を覆った。唯一周囲を確認できる聴覚にはバサリバサリと何かが大きくはためく音が聞こえる。


 風が弱まったことを確認し千年生が腕を下ろすと、目の前には幻覚と思われた4枚の翼を持つ生物が居た。その存在に千年生は驚くでも叫ぶでもなく、ただ呆れた様にため息をついた。


「ごめんなさいね。私今仕事終わりで疲れてるの。君たち都市伝説の相手は別の人に――――」


 千年生が言葉を続けようとした瞬間、一陣の風が横切る。視線を外した一瞬に都市伝説は影も形も無くなっていた。不審に思いながらも、関わらないに越したことはないと考えた千年生は、何事も無く歩みを進めた。


 ――ぞくり。


 突如訪れた悪寒に千年生は身体を真後ろに翻す。そこには先程まで目の前に居た都市伝説の姿が在った。それを認識した瞬間、彼女の肉体がずるりとズレる。


「えっ?」


 千年生の身体が肩から腰に掛けて斜めに切り落とされる。袈裟斬りで作られた様な断面は、堅牢けんろうな骨でさえも美しく真っ二つに両断されていた。

 まだ立ったままでいた千年生の半身が、力を無く地面に倒れ混んだ。

 ドチャリ、と生々しい音と共に大量の鮮血が地面に広がり、コンクリートを赤く染め上げる。

 千年生の瞳は虚空を捉え、もはやその目に生気は感じられなかった。



 *



 人目に付かないように、1人で歩いていた人間を実験がてらに殺してみたものの、鳥夫に罪悪感は欠片も生まれなかった。それどころか彼は人の脆さを知り、人間が下等な生物だと再認識する。そしてひとつの学びを得た。


 人は鳥夫の速度を視認することが出来ない。つまり速度さえ出ていれば、気付かれずに人を殺せるということだ。

 この学びがより鳥夫を全能感に浸らせた。あれほど嫌悪したものたちを、意図も容易く地に沈めることが出来るのだと。生まれ変わる前には決して得られなかった充足感が彼の全身を満たす。

 だが焦ってはいけない。過去の失敗の様に、手酷いしっぺ返しは をもらうことを鳥夫は恐れていた。だからこそ彼の内心は、冷静な状況判断ができる程に穏やかだった。


 その場を離れるべく鳥夫は翼を使い天へ昇る。もう空中に手を伸ばす必要は無い。身体に残る殺人の感覚を噛み締めながら、鳥夫は闇夜に飛び去っていった。

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